42話 戦わせてみる(サチ視点)
暁城の訓練場にて。
剣の稽古中、アスターはクリープにダーラと対戦しろと言うが……どうやら何かたくらんでいる。
サチに眼鏡を渡し、クリープは目隠しした。その上から面頬をかぶる。
アスターはクリープの視界が完全に遮られたことを確認すると、「ん」と軽くうなずき、刃引きした剣をダーラではなくサチに渡した。
「……えっ!?」
アスターは人差し指を口に当て、代わりに眼鏡を預かった。サチはダーラから大陸仕様の面頬を受け取り、まごつく。
「さあ、始めるぞ! まずダーラから仕掛けろ!」
アスターはダーラを下がらせ、サチを押しやった。整えられた長髭を撫で、ほくそ笑む。
見物人はサチとクリープを取り囲んだまま広がった。人の輪の中心で対峙することとなる。
剣を渡されたサチは呆然としていた。とりあえずアスターに促されるまま面頬をかぶるが、サイズが合っていない。今の自分はさぞかし不格好だろうと思った。
素直に従ったのは、アスターの指導で劇的に上達したユゼフのことを聞いていたからである。
「人格には問題がある人だけど、人を見る目や指導は的確だ」
ユゼフはそう言っていたし、事実、アスターの見解に目から鱗が落ちることもあった。
たぶん、サチとクリープを戦わせるのには意味がある。サチが相手だとクリープが本気を出せないと思い、ダーラだと嘘をついたのだ。
──クリープを騙して戦うのは気が引けるが……さて、俺から仕掛けろと? いったい、どうしたものか……
さっきみたいにカッとして襲いかかることは、普段ならしない。たいていは防御に徹するか、イアンのような強い者の援護につくかのどちらかだ。
おまえから攻撃しろと言われても、正直どのようにしたらいいのか、わからなかった。
サチは夜明けの城(王城)に攻め入った時のことを振り返ってみた。
イアンのそばで、使ったことのない剣を死に物狂いで振り回していた。今から思うと、生きているのは奇跡だ。
サチは当時の感覚を呼び覚まそうとした。
──そうだ、あの時……
シャルドン領シーラズの教会でマリィと襲われた時……
気絶から覚めたあと、身体能力が一時的に驚くほど向上していたのである。虫食い穴を使ったとはいえ、シーラズからローズ城へ馬も使わずに数時間でたどり着いた。通常なら二日かかる距離だ。
危機的状況になると、身を守ろうと体内の化け物が目覚める。覚えていないが、メラク神父の話ではマリィを襲おうとしていた暴漢共を素手で殺したというし……
──不本意だが、体内に眠っている力をうまく使って戦えば、ユゼフの助けになれるかもしれない……
自分が人間ではないことを認めたくはない。だが、今は親友のために力が必要だ。サチは腰に下げていた衣嚢から汗拭き用の手拭いを取り出した。
見物していた兵士たちがざわつく。サチは面頬を脱いで、クリープと同様、目隠しをした。
「なんと! ダーラ! おまえ、なかなか面白いではないか!」
アスターが嬉しそうな声を上げた。
危機的状況下、サチはいつも無意識に体を動かしていた。それは本能的な感覚で視覚に頼らない。
夜明けの城で宰相クレマンティ率いる騎士と戦った時も、シーラズの山でオートマトンに襲われた時も……
余計な情報を遮断すれば、何かつかめるかもしれない。そう思った。
面頬をかぶり直すと、目隠しのおかげでぐらついていた頭部が若干マシになった。息苦しいのは我慢する。
サチが剣を構えたとたん、クリープは後ずさった。
「アスター様? 相手は本当にダーラですか?……なんだか大きいような気が……」
抑揚のない口調であっても、不安をにじませるクリープをアスターは笑い飛ばした。
「大きい? そんなはずはなかろう。おまえは第六感だけで戦うことを考えればいい」
サチは小柄でダーラより四ディジット(六センチ)低い。クリープの能力で、どのように見えているかはわからなかった。
視界が閉ざされる代償に周りの息遣いや話し声、金属や革の軋む音が大きくなる。
──邪魔だ……俺が感じたいのは音じゃない……
サチは深呼吸して集中した。能力を持たぬ兵士たちも何か感じとり、水を打ったように静まり返る。
「なんか、すごく……邪悪だ……」
兵士たちと共に見学するダーラがつぶやいた。隣にいるラセルタが小突いているのが、サチには気配でわかる。幸いクリープはサチのほうに気を取られている。
瞬間、風を切り、サチはクリープに向かって疾走した。
クリープは気配を消すのを得意とする。しかし、戦闘時は動き回るので完全に消し去ることができない。精気は血液と同じく全身を駆け巡る。
サチはクリープから発せられる僅かな気を感じ、動力源である心臓目掛けて一直線に突いた。痛いだろうが、一応防具をまとっているから当たっても死にはしない。
難なく避けられた。下から右上へ剣を払われたので、サチはそのまま上から打ち込もうとする。動きを予測しているかのようにクリープは受ける。その後は凄まじい打ち合いになった。
金属が火花を散らすほどの衝撃音が辺りに鳴り響く。
異様な光景だろう。借り物の防具を身に付けた貧弱な見た目の二人だ。その二人が目隠しして激しく剣を交えている。
受けた剣をクリープが擦り上げ、返し技を打ち込もうとした。サチは察して後ろへ大きく飛ぶ。
この時、静かだった周囲がどよめいた。人では考えられない長さを、軽々と飛んでしまったのかもしれない。
短い打ち合いは少々、サチを疲労させた。慣れないこともあるが、小山を下りる時とは運動量が異なる。
休むため、腰を落とし下段にサチは構えた。性格上、クリープは攻撃をしてこないだろう。
打ち込む刃は全部避けられてしまう。動きはすべて読まれている。意表をつく一撃でないと、倒すことは叶わない。
──どうすればいい? カウンターか? フェイントか……
考える余裕はなかった。予想に反してクリープが向かってきたのだ。
剣が下がっていたため、即座に受けることができない。斜めに振り下ろされた剣は肩を掠め、サチはよろめいた。
「休むな! 攻撃しろ!」
アスターが怒号をあげる。二打目を打って倒すことができるのに、クリープが手加減していたからである。
サチは下から斜めに剣を振り上げようとする。それをクリープは押さえ込み、ふたたび鍔迫り合いになった。
サチは肩に鈍い痛みを感じていた。防具を着ていても打撲はする。
──このままだと間違いなく、俺のほうが先にへばる
真剣だったら、九死に一生を受けた場面だろう。ここで、一か八かある方法を試してみることにした。できるかわからないが、やってみる価値はある。
まず息を止めて……
剣を重ね合わせている状態のまま、クリープの動きが止まった。
サチは完全に気配を消した。
それは〇・一秒にも満たぬ短い間だったが、不意打ちを食らわすには充分な時間だった。
クリープは明らかに戸惑っていたし、王手をかけたつもりだった……
近距離で打ち込もうとしたのが甘かったのか。
サチは剣を振り上げ、キルティングレザーで守られた胴を打とうとした。
とっさの判断ができず、クリープは動物的本能で迎え撃つことになる。サチからの攻撃を打ち落とすと、おそらく反射的にクリープはサチの頭上へ剣を振り下ろした……
サチは叫び声を上げ、腰をついた。刺激的な痛みに耐えられず、声を出してしまった。顔が生ぬるい血に濡れている。
クリープは面頬と一緒に目隠しを剥ぎ取り、唖然とした。
「サチ!!」
避けきれず、直撃してしまった。大き過ぎる面頬がずれ、顔を守る金網の縁が額に刺さってしまった。血がダラダラ落ちてくる。目隠しが水分で重く垂れ下がり、顔半分を圧迫されて呼吸困難に陥る。サチは面頬を脱いで、血濡れた顔を表にさらした。
場は騒然となった。見物していた兵士たちが慌てて駆け寄ってきた。思いがけない流血沙汰だ。
「どうしよう……サチ」
地面に突っ伏したサチをクリープは助け起こした。すばやく目隠しに使っていた布を傷口に当てる。それでも血は止まらない。
いつもの無表情が考えられないくらいにクリープは狼狽していた。瞳は怖れと悲しみの色に染まり、サチに呼びかける声は震えている。
「誰でもいい。医者を呼んでこい!」
忠兵衛が叫んだ。サチは今にも消えそうな意識のなか、皆の心配する声を聞いていた。
それから、医者が到着するまでのことをサチはよく覚えていない。意識はあったが、心が虚ろになっていた。
医者が到着して傷の縫合が終わるまで、クリープはサチに付き添ってくれた。その間に兵士たちはそれぞれの持ち場へ戻り、アスターとダーラ、忠兵衛以外は近くにいなくなった。いつの間にか、赤い月は高い所に昇っている。
手当てが終わるとクリープは謝ろうとした。サチは感づき、
「おまえは悪くないよ。謝らなくていい」
と伝えた。下手に気を使われるのは御免だ。これは事故であって、クリープは全然悪くない。先を越されたクリープは唇を噛んで下を向いた。
「さあ、もう食事時だし休憩にしよう」
アスターが何事もなかったかのように手を叩いた。
脳へのダメージが懸念されるものの、今のところ、吐き気はなく意識もはっきりしている。一日風呂に入らなければ問題ないだろうと医者は話した。
打たれた直後、朦朧としていたのも治療が終わるころには治っていたし、サチはそこまで気にしていなかった。頭部のけがは出血が多くてびっくりするが、実際は軽い切り傷だ。
クリープの態度は大げさだった。
クリープは仇でも見るかのように、アスターをにらみつけた。
「眼鏡を返してください」
「眼鏡?……ああ、そうだった。忘れてた……しかし、あんまり度も入ってないし必要か?」
さっさと返さず、アスターはレンズをのぞき込む。
「それにおまえ、眼鏡をかけないほうがいい男じゃないか。顔を隠したい理由でもあるのか?」
答えず、クリープはアスターの手から眼鏡をひったくった。目つきは鋭く、瞳は憎悪に満ちている。
「おまえでも怒ることがあるのだな? サチを傷つけたことが、そんなにつらいか?」
アスターは愉快そうだ。いくら煽っても本性を現さないクリープが感情的になっている。それが楽しくてたまらないのだ。
そんな悪オヤジに疑問符を突きつける猛者がいる。一部始終をずっと見ていたダーラだ。
「アスターはあやまらないの?」
ダーラの頭の上には“?”マークがついている。サチは謝れと言われ、アスターは何も言われない。純粋な子供は、世の理不尽さについていけないのである。
「ん? なんでだ? これで、この二人は使えることがわかった。よかったではないか?」
アスターは平然と言ってのける。
眼鏡をかけたクリープはさっさと行ってしまった。




