19話 暗号②
お引き取りくださいと言っても、ディアナは出て行こうとしなかった。
「何を調べているの?」
問いには答えず、ユゼフは本棚をくまなく探した。ディアナのことは目の端でなんとなく認識している程度だ。今はそれどころじゃない。
「あった!」
一冊の本を見つけ、パラパラとページをめくっていく。何年もの間、誰の手にも取られなかった本は派手に埃を舞い上がらせた。当然、傍にいたディアナは咳き込む。
「もう、いいわ! おまえの気持ちはよくわかった!」
ディアナの顔色は淡い紅色から怒りの赤へと変わった。
「国に帰って、もしもお父様がおまえと結婚するようにと、おっしゃったとしても、私は断固拒否する! おまえはちゃんとした貴族ではなくて平民の血が流れているのだから、私には相応しくないわ!」
ユゼフの指は紙上の文字を端から順に移動していた。ディアナの声はあまり届いていない。さっきまで脳を縛り付けていた暗号が……謎がようやく解けようとしている。
「私は私生児ですから、そんな話にはならないでしょう」
上の空でユゼフは答えた。
ディアナは足音も荒々しく、ドアが壊れるのではないかと思うくらい大きな音を立てて出て行った。
そんな騒々しい音もユゼフは耳半分で聞いている。何をそこまで夢中になっているのか? 自分でもわからない。
複雑に絡まり合った糸が綺麗に解けていく。なかに一本だけ色の違う糸が混じっていた。糸が指し示すのは、これから進むべき道だ。
友人と従兄弟が汚れた行いをし、父と兄を一度に失った。
憤りやら悲しみよりもまず、自分がどこへ向かうべきか、わからなかった。決められた道を進むだけの人生が、突然深い霧に覆われてしまったのだ。手を伸ばした先が消えてしまうほどの、深い深い霧に──
だが、霧は晴れた。行くべき道は決まったのである。
「カモミールの月、十八日、十五時五十分」
やはり、日付のあとに記された時間がキーワードだった。
五十分、五十人……
シーマは最後に会った時、王位継承順位の話を何度も持ち出してきた。それから、臣従の誓いをした。普通のやり方ではない。魔族のやり方だ。
ユゼフが手に取ったのは魔族語の辞書。
十五時五十分……
魔族の共通言語は五十音からなり、母音は十五音である。
今はカモミールの月の二十九日だから、文の日付の十八日は十日も前にさかのぼる。少々不自然な気がした。王城が占拠されたのが十七日。その翌日書いたにしては、記載されている情報量が多い。
文を託されたマリクは、シーマのいるシャルドン領からローズ領へ向かった。シーマがディアナを連れて行けと指定した場所だ。
それから、マリクは時間の壁を渡ってグリンデルへ行き、虫食い穴を通ってこのソラン山脈にたどり着く。
シーマがグリンデルとローズ、魔国の境目へ行くよう指示を出すのは、そこへ行けば何らかの方法で時間の壁を渡れるからだと思われる。現にマリクは時間の影響をまったく受けていない。
また、虫食い穴を利用すれば、文を書いてから届けるまで数日もかからないはず。国外に虫食い穴は少ないが、主国内にはたくさんある。
つまり、この日付はヴィナス王女のサインをもらったあとから、書き足した可能性が高い。時間だけでなく、日付にもきっと意味があるはずだ。
ユゼフは文をもう一度見直した。
ヴィナス王女が姉ディアナに宛てて書いた、という体裁をとっている。とはいっても、姉妹同士の個人的な文ではない。学匠シーバートに託す、と最初に記載されているとおり、これは公的な文書なのである。
カモミールの月、十八日──
十八行目を見ると、王城を占拠したイアン・ローズが籠城していることが書かれてあった。この文章は暗号とは関係ない。
今度は文章を縦に割ってみる。ユゼフは十八列目を指でなぞった。
シーマの字は美しく女性的でありながら、軍隊のごとく整列していた。格子の枠にピッチリはまっているかのように、縦から見ても綺麗に並んでいる。便箋を横にしても違和感がないぐらいだ。
が、よく見ると文字を確実に合わせようとしているのか、左右の字が伸びていたり空白が目立たない程度に入っている箇所がある。
──間違いない
ユゼフは辞書を片手に縦十八列目の文字を魔族語に当てはめていった。
違う……
ただ文字を当てはめるだけだと、意味のつながらない言葉の羅列になってしまった。
……では、これならどうか?
手紙の日付にあるカモミールの月は年が明けてから、三番目の月である。それに因んで文字を三字ごとに読んで、魔族語に訳してみる。
ようやく浮かび上がった言葉は……
「ダガー、三……」
その時、ドアがノックされ、シーバートの声が聞こえた。
机の際に置いた懐中時計が、制限時間の終わりを告げている。
「お待ちください。今、ただ今、開けます……」
ユゼフはシーマとの誓いのあと、賜ったダガーを腰から外して眺めた。誓いを立てる際、このダガーでシーマは右腕、ユゼフは左腕に傷を付けたのだ。
ダガーの柄部分には縦に五つ、異なる宝石が埋め込まれている。三番目に埋まっているのはグリンデル水晶、虹色に輝くアニュラスの奇跡だ。グリンデル水晶はグリンデル王国と内海の一部でしか採掘できない。非常に高価な宝石である。
再度ノックされる。
ユゼフはダガーを戻し、ドアを開けた。
「何かありましたかな?」
シーバートは不安そうにユゼフを見た。
「……いえ。本を見ていたら埃だらけになってしまい、払っていました」
「ケガの具合はどうですか?」
「ほとんど痛みはありません。シーバート様の薬草が効いたのです」
ユゼフは傷のことなど、すっかり忘れていた。もらった薬草はスリングに入れたままだ。
「痛みがないといっても、骨が完全にはくっついていないだろうから、無理はしないように」
「あ、お預かりしていた文を返します。遅くなってすみませんでした」
ユゼフはヴィナス王女の文を差し出した。シーバートはそれを注意深く受け取る。
「それで……なにか、わかりましたか?」
「いいえ、なにも。私の思い違いでした」
嘘をついている時の声は、いつにも増して無感情になる。高揚していても、進むべき道が決まったことで、落ち着いていられた。
ユゼフはもう吃らなかった。
シーバートの乾いた目は子供を心配する親の目に似ている。
「なにか、隠し事はしてませぬか?」
ユゼフは首を横に振った。
「困っていることがあるなら、わしに話していただけないだろうか?」
「大丈夫です」
「先ほど、ディアナ様が怒り狂って、貴殿とはもう口も聞きたくないと、一緒に連れて行くのは嫌だと喚き散らされておりました」
「……ああ」
ユゼフは苦笑した。
「何か思い当たる節は、おありですかな?」
「ええ。本に夢中で無礼な態度をとってしまったかも知れません。後ほど、謝りに行きます」
シーバートは、もの言いたげだったが、頑とした態度を感じ取ったのだろう。微かに首肯した後、出て行った。
カチャリ……ドアが控えめな音を立てるまで、ユゼフは苦笑を顔に張り付けていた。
シーバートが去ると、部屋のなかをぐるぐると歩き回った。
──グリンデル王国に何かあるのだろうか……
回りくどいやり方は、いかにもシーマらしい。こんなやり方でメッセージを送るのは、困っているからだ。
裏で煽動し、イアンに謀叛を起こさせたはいいが、思いどおりに事が運ばないのかもしれない。
状況を整理すると……
王城を占拠したイアンの反乱軍と、ヴィナス王女を保護するシーマの連合軍が対立する構図となる。イアン対シーマ──
王城を占拠されているものの、兵力は上回っていると文には書いてあった。王城の周りを王連合軍が取り囲んでいるため、イアンは城から動けないとの話だ。
ユゼフは文に書かれた内容を何度も読み返し、戦況を推察した。
北のローズ城は処刑されたイアンの義父に代わってカオル・ヴァレリアンが守っている。
シーマの父ジェラルド・シャルドンと王妃はイアンの捕虜になっている。
王家とつながりの深いヴァルタン家、クレマンティ家、シャルドン家は国王側だが、ヴァルタン家の男子は全滅。謀叛の最初に城と屋敷を奇襲され反乱軍に占拠されているし、宰相クレマンティも王城が攻め入られた時に戦死している。
イアン・ローズに連なる諸侯は意外にも多い。
その理由として長引いた戦争の存在が大きいだろう。戦争中、内海奥地の諸侯には重税を課し、大陸に近い諸侯と王家は散財した。徴兵に関しても、大陸の選択制に対し内海では強制だ。
クロノス国王に対する不満は平民だけではなく、内海の諸侯にも広がっていたのである。
イアンは内海の諸侯たちに協力を要請した。
小領主であっても塵も積もれば山となる。独自の兵を持ってなかろうが、不満を持つ領民を駆り立てれば軍隊は簡単に作り上げられる。
内海の諸侯の数は三百くらい、そのうち、半分がイアンにつき、四分の一がクロノス国王側についた。その他の諸侯は戦況を静観している。今のところは。
内海の小領主など物の数ではないと文には書いてあったが、そんなことはないだろう。
国王の崩御が外に漏れれば、イアンが優勢になる。
そして、この文の表向きの送り主であるヴィナス王女。彼女は今、シーマの城に匿われているわけだが……後妻の子供である。あろうことか、母親のミリアム王妃は謀反を起こしたローズ家の人間──対してディアナの亡くなった母は、グリンデルのナスターシャ女王の妹だ。
「グリンデル……」
グリンデル王国から援軍が来れば、戦況は一変する。それを実現できるのはディアナだけだ。
設定集ありますので、良かったらご覧ください。
地図、人物紹介、相関図、時系列など。
「ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる~設定集」
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