19話 水を取りに行く
話し合いのあと、隠し通路の場所を教えてもらうことになった。
地下にある通路とはまた別の道だ。城内を探索中、レーベが見つけたという。やはり、ユゼフの推測したとおり。レーベが外に出て→ダーラが助けに行く→そのダーラをアスターが助けに行く。ミイラ取りがミイラになる。この流れで間違いなさそうだった。
皆もだいたい察していたようだが、収穫もあったのでレーベを責める者はいなかった。
明日は、この隠し通路から城外へ出ることで一致した。
ユゼフは一旦部屋に帰り、マリクを連れてくることにした。滞在している間、マリクは外で水分補給していたはずである。水のある場所を教えてもらいたい。
マリクを連れて戻る途中、厨房に寄る。水を運ぶのにちょうどよい天秤棒と桶をユゼフは見つけた。埃はかぶっているが、洗えば使えるだろう。
月明かりが射し込む回廊に出て、おぼろげな光の揺らめく玄関へ向かった。
アスターとレーベは、先ほど話し合っていた玄関近くの回廊で談笑していた。二人の間には食虫植物のレグルスがいて、蔓を伸ばしたり引っ込めたりしている。ユゼフはなんとなく近寄りづらくなり、立ち止まった。
「レグルス、伸ばせ!」
レーベの言葉に反応してレグルスは蔓を伸ばした。シュルシュルシュルっと。二キュビット(一メートル)は伸びている。
「レグルス、つかめ!」
今度は、近くにいたアスターの両腕に蔓を絡みつかせる。
「アスターさん、どうですか?」
アスターが蔓の絡んだ腕を引くと、レグルスは引き摺られた。
「なかなかの強度だ。繊維が束になっているから、引っ張っても千切れにくい。ロープに比べたら柔いが、すぐに使えるところがいい」
マリクが吠えたので、二人はユゼフのほうを向いた。レーベはとたんにムスッとした顔になり、アスターに絡みついている蔓をハサミで切った。
「では、行きましょう。ご案内いたします」
両頬を蜂に刺されたようなふくれっ面のレーベが先立って、玄関を出る。
満月は頭上高く昇っていた。月明かりの中、居館の裏手を進んでいく。レグルスは暗闇でも平気なのか、よちよちとレーベについていった。パレスの裏には果てしない深淵が広がっていた。
崖と隣接する塀は腰ほどの高さしかない。パレスの外壁との間は、人一人通れるくらいの幅だ。
少しでもバランスを崩せば、崖下へ真っ逆さま……な状態。
マリクは能天気にこの環境を受け入れていた。舌を出しリズミカルに呼吸する姿は、はしゃいでいるように見える。
「気をつけてください」
「大丈夫だ。とうに酔いは覚めてる」
レーベが注意を促すと、ユゼフの後ろを歩くアスターが酒臭い息を吐いた。
塀の一部が扉になっており、押せば石擦れの音を立てて外側に開く。崖を抉って作られた階段が続いていた。
階段へ足を踏み入れるまえに、レーベがパイロ※で松明を灯した。暗い足元は危険だ。ギリギリ、大人二人が並べる程度の幅で手摺りもない。
マリクは躊躇せずにレーベの横をすり抜け、先を駆け出した。愛らしい犬は、何度もここを行き来しているのかもしれない。
「マリク、待て!」
立ち止まり、黒く潤った目をキラキラさせて振り返る。クルリと丸まった尻尾は絶え間なくよく動く。犬とは無邪気な生き物だ。
犬ではないユゼフにとって、天秤棒を担いで階段を下りるのは、苦痛だった。帰りは水で一杯にした桶を担がねばならぬから、もっと大変だ。
「ケガをしたラセルタはともかく、ダーラかクリープにさせればいいではないか?」
ユゼフの肩の上でユラユラする天秤棒を見て、アスターは言った。
「クリープはエリザと見張りを交代したばかりだ。疲れているだろうから休ませたほうがいい。それに明日、この通路を使うなら自分の目で確かめておきたい」
階段を下りるアスターの足取りはしっかりしている。腰の刺し傷はユゼフの血を飲んだことにより、すっかり癒えていた。
「持ってやろうか?」
おそらくは、血を飲んだことによる負い目から、アスターは申し出た。
「いい。アスターさん、こんなの持ったことないでしょ?」
「おまえは持ったことがあると言うのか?」
アスターは尋ねてから、なぜかハッとして口をつぐんだ。
「この人、魚屋さんだったんですよ」
レーベが余計なことを言う。貴族の屋敷に引き取られるまえ、どのような生活をしていたか、迂闊にもユゼフはレーベにこぼしていた。
「……十二歳まで町で魚を売ってた」
ユゼフはボソボソと打ち明けた。アスターには、あまり知られたくない。
レーベにはよくて、アスターにはダメ。なぜなら、レーベは庶民でアスターは元でも貴族だからだ。普段、気にせず接しているが、庶民と貴族の間には大きな隔たりがある。
アスターは質問をやめなかった。
「それがなぜ、ヴァルタン家に?」
「兄たちが戦争で死んだときの保険だ……戦争が終わったら、俺は用なし。王女様が婚約儀式を終えて国に帰れば、宦官にされる予定だった……この話はもうしたか」
崖の下に果てしなく広がる闇は、ユゼフの気持ちを後ろ向きにさせた。
母と妹たちのことを思い出す。ユゼフは胸元に手をやった。形見のお守りはもうそこにはない。
「逃げることは考えなかったのか?」
「考えるには考えた。でも、俺が逃げたら、母や妹たちに危害が及ぶかもしれない……」
ふたたび、アスターは無言になる。ユゼフは話したことを後悔した。
下り階段は端まで行って折り返すのを繰り返し、ジグザクに崖肌を削っている。ほどなく、相当痛んだ吊り橋が見えた。
「今にも壊れそうだな」
「落ちたらそれまでってことで……」
レーベはくすりと笑った。笑いごとではない。レーベには前科があった。
ユゼフは盗賊たちから聞いている。まえにこの城で盗賊たちと対峙した時、レーベは彼らを吊り橋へ誘い込んだ。そして、ロープを切って橋を落としたのだ。
マリクは飛ぶように吊り橋を渡っていく。恐怖心を持たずにいられるのは羨ましい。念のため、一人ずつ渡ったほうがいいとユゼフは提案した。
レーベがレグルスと渡り、そのあとにユゼフが続く。一歩踏み出すごとに、縄の軋む音が聞こえるのは不快だ。そのうえ、向こう側にいるレーベがふざけて揺らしてきた。
両手は天秤棒で塞がっているから、手すりをつかむことはできない。ユゼフはバランスを崩して足を滑らせそうになった。
橋桁の板は、一本足が抜けるくらいの隙間を開けて並んでいる。しかも、ところどころ腐り落ち、大きな穴が空いているところもある。一歩、足を踏み外したら──
「こら! やめなさい!」
アスターが叱りつけたので、レーベはようやく揺らすのをやめた。
ぐらつかない岩場までたどり着くと、ユゼフは腹立ちを押さえきれず桶を投げ出した。レーベのそばまで行き、頭をぽかりと叩く。
こういう暴力は初めてである。クソガキの悪ふざけのせいで、地味に死にそうな思いをしたのだ。これぐらいは当然であろう。
レーベは怒りと怯えの入り混じった瞳をユゼフに向け、プイとそっぽを向いてしまった。それから、レグルスを抱きかかえ、しゃがみ込んで動かなくなる。
──子供じゃないんだから……あ、子供か
全然悪くないはずなのに、ユゼフは決まり悪くなった。妹とケンカした時を思い出す。理不尽なことでスネられ、こういう状態に陥ることがよくあった。
助けを求め、橋の向こうのアスターを見る。アスターは小走りで橋を渡ってくる。
「もう帰る……」
アスターの顔を見たレーベは、ベソをかきながら駄々をこねた。
「今のはおまえが悪いぞ? あんなに揺らしては、危ないではないか」
アスターが言い聞かせようとしても、レーベはおかっぱ頭を振る。
「あとは自分で行ってください。僕はもう帰ります」
アスターは呆れ顔で、溜め息をついた。子供に振り回される父親の絵面だ。ほとほとレーベには甘い。
「仕方がない。私も一緒に道を確認したかったのだが……暗いし、レーベに付き添わねば」
「俺なら大丈夫。逆に一人のほうがいい」
ユゼフはホッと息を吐き、答えた。これで肩の荷が下りる。
※パイロ……炎の呪文




