18話 アスターさんの手荷物検査
ユゼフたちが城内に戻ると、心ここにあらずのイザベラとレーベが待っていた。見張りに立っているクリープ以外は、全員揃っている。
ケガをしたのがラセルタとアスターだけなのは奇跡的だった。居館に入ってすぐの幅広い回廊で、イザベラとレーベはアスターたちのケガを確認した。
高いアーチ型の天井には豪華なシャンデリアが吊り下がっていた。大きな格子窓が等間隔に嵌め込まれ、猫脚のソファがバランスよく配置されている。ソファに張られるのは柔らかいベルベットだ。蜘蛛の巣だらけの壁が灰色にくすんでいるものの、往時を偲ばせる。
アスターが人差し指を立てて、ダーラに目配せしていたのをユゼフは見逃さなかった。
──ダーラが出歩いていたことを、かばうつもりか
勝手に外を歩いて敵に捕まったとなれば、ダーラに非難が集中する。アスターはダーラの代わりに、皆の非難をひっかぶるつもりなのだ。
ならば、代わりに怒りをぶつけてやろうじゃないかと、ユゼフは思った。ユゼフが腹を立てているのは、アスターのえこひいきだ。
「なにやってんの、あんた? 勝手に外へ出て……下手すりゃ死人が出てた」
レーベの手当てを受けるアスターをユゼフは責めた。すると、アスターはごまかし笑いをしつつ、嘘をついた。
酔っ払い、魔瓶のグリフォンに乗って城外へ出たところ、気づいたら連中に囲まれていた。角笛で知らせてくれたのはダーラだと。
「ユゼフよ、おまえを化け物呼ばわりして悪かった。腰を刺されて重症かもしれん。血をいただけると、ありがたいのだが……」
アスターは悪びれずに言った。いたずらが見つかって、舌を出す悪ガキと変わらない。見た目はむさ苦しい髭オヤジだが。
──なんだよ? ヘラヘラして……全然反省してないな、この人
「血はやってもいい。でも、ちゃんと反省してからだ」
「おいおい、さっき謝ったではないか? この私が頭を下げることなど、めったにないぞ?」
「その態度だ。あんた、全然自分が悪いと思ってないだろ? 人のことは厳しく責め立てるくせして」
「ちょっと、言い方キツくないですか? アスターさんの指示通り動いて、うまくいったんでしょう?」
レーベが横やりを入れてきた。今まで、どこをほっつき歩いていたのか。突然の出現と記憶が結びつき、ユゼフは少時黙った。カオルたちに囲まれるアスターを発見した時に見えた、目くらましの煙を思い出したのである。
──ふぅん……そういうことか
アスターがダーラを助けるために城外へ出たのはいいとして、ダーラがなぜ外へ出たのか。このクソガキが関わっているに違いないと思った。おおかた、探索だとかなんとか言って、フラついている所をレーベは捕らえられたのだろう。それを見張り塔で見ていたダーラが助けに行ったと。
つまり、諸悪の根源はこのクソガキ、レーベである。
わかったところで、ユゼフの怒りは収まるどころか、ぶり返した。
「は? おまえは黙ってろよ」
「ぼくはしゃべっちゃいけないんですか? へぇー……そうですか、そうですか。エラくなったもんですねぇ。みんな、あなたのせいで危険な目に遭ってるというのに……」
ユゼフの怒りは頂点まで達した。
──俺のせい? 俺のせいだと?
「お互い責め合うのはもうやめよう。皆、それぞれ咎を背負っている。お互いさまだ。そんなことより、これからのことを決めないか?」
ユゼフが口を開くより先に、アキラが場をおさめた。言い争いになるのが、わかったからだ。アキラだけでなく、皆疲れた顔をしている。争い事にはもう飽き飽きなのだろう。
ユゼフはアキラの顔色を注意深くうかがった。
「信じていいのか?」
「兄のことか? オレは臆病な裏切り者につくつもりはない」
アキラはキッパリと言い切った。嘘をついても顔に出る性格である。今のところは大丈夫だ。
ユゼフは胸をなで下ろし、ちょうど手当てを終えたラセルタに尋ねた。
「ラセルタ、食料と水はどれだけ残ってる?」
「干し肉が二切れ。干し魚が二切れ。干しいちじくが一掴みくらい。種無しパンが五切れ、芋がら一束です。水はそれぞれで管理してるので、わかりませんけど……オレの分は革袋に半分くらいっす」
「……思ったより少ないな……アスターさん、なにか隠し持ってるだろ?」
「私か!? いくらなんでも、それは勘ぐりすぎだろう。何も持ってないぞ!」
アスターは大仰に驚いて、拳を開いて見せた。完全にクロだ。
「いや、あんたは持ってる。絶対にだ……ラセルタ、アスターさんの部屋を調べに行ってくれないか?」
「今っすか?」
「そうだ」と答えようとした時、
「わかった。正直に言おう……ワインを二本隠し持ってる。ベッドの下だ」
アスターが白状した。
「やっぱり。ラセルタ、取りに行け。それと他にもなにか持ってないか、くまなく調べるんだ」
「りょうかいっ!」
ラセルタは威勢よく返事をし、部屋のほうへ走っていった。肩をジェフリーに貫かれていたが、元気だ。ユゼフはアスターが着ていた上衣を拾い上げ、内ポケットを探った。
「あった!」
出てきたのはケルビムの絵が細かく彫られた伝統的な小瓶だ。ユゼフは蓋を開けて香りを嗅いだ。
内海の限られた場所でのみ栽培される香辛料の香りがする。おそらく、この城のどこかにワインと隠されていたのだろう。
「おい、それは私が見つけた物だぞ! 町で売れば金になる」
「これから長旅になる。これは預かっておこう」
「なんと! おまえ、自分では何も見つけられなかったくせに、私から取り上げるというのか?」
「そうだ。一人占めするなよ」
アスターが憤怒して急に立ち上がったので、腰に包帯を巻いていたレーベはひっくり返った。
「やれやれ、呆れた人たちね。サチがいなければ、あなたたちと行動する理由もないんだけど……」
イザベラが馬鹿にして笑う。彼女の役割はケガの治療だけではない。オートマトンから逃げた時、虫食い穴を閉じたり、レーベやエリザの精神的な支えにもなっている。その存在は大きく、態度を注意する者はいなかった。
「でも、まあ成り行きとはいえ、一緒に旅することになったのだから協力はするわ。ここからアオバズクまでは、距離的にどれぐらいかしら?」
「二千五百スタディオン(五百キロくらい)だ」
ユゼフは答えた。
「山道も含むし、動けない人や子供もいる。馬でなら二十日くらいかかるかしらね……歩きなら、ひと月くらい?」
それを聞いて、わかってはいても、溜め息があちこちから漏れる。
「せめて馬があれば……」
誰かのつぶやきは皆の心の声だ。グリフォン一頭につき乗れるのは二人。残っている魔瓶は二本だけだ。皆の様子をジッと見ていたアキラが、唐突に提案した。
「途中、カワラヒワにあるオレの実家に寄らないか?」
全員の視線がアキラに集まる。
「旅費までは用立てられないだろうが、馬と食料少しくらいは用意してもらえるかもしれない」
嬉しい提案だったが、必然的に一つの懸念が脳裏に浮かんだ。ユゼフは皆の代わりに質問した。
「大変ありがたいが……カオルはもちろんお見通しだろう。先回りされる可能性は?」
「兄は母の連れ子だったし、父とは仲が悪い。実家には行かないと思う。でも、通り道で待ち伏せされる可能性はある」
「ここから、その実家まではどうやって行くんだ?」
「一番近くて楽なのは山を南に下り、モズとカワラヒワにまたぐ「月陽の平原」を通る。そこを過ぎると、「鉄の道」と呼ばれる大きな街道があるから北西方向へ進んで「夜の町」まで行く。あとは町を抜けて、柊の森を北に進めばいい」
「距離は?」
「五百スタディオン(百キロ程度)だ。たぶん、歩いて四、五日はかかる」
「他の道はないの? 街道で絶対待ち伏せされるわよ」
イザベラが口を挟んだ。
「あるにはあるけど……」
アキラは言葉を濁した。
「危険なのか?」
アスターの問いに、アキラは首を横に振った。
「このままソラン山脈の頂上まで行って山を越えれば、カワラヒワに入る。だが、そこからは鉱山地帯だ。ソラン山脈の北側は岩ばかりで、植物も動物もおらず、食料の補給ができない。それに遠回りだから、町まで一週間以上かかる……」
カワラヒワは陽が射さぬため、農作物を育てることができない。豊富な鉄鋼資源と鉄製品の鍛造で民は生活していた。
国土の三分の二は鉱山で占められる。なだらかな岩が重なり合い、山を形作っていた。
ユゼフはさまざまな事態を想定し、思考を巡らせた。待ち伏せを避けたいし、アスターから取り上げた香辛料を売って食料も調達したい。ボロボロな衣服も整えたいし……水は近くに川があるはずだから、マリクに案内してもらおう。
意識のないサチもいるし、移動時間が長くなるのはきつい。
「運河は?」
ユゼフの言葉に、アスターが膝をピシャリと打った
「そうだ! 鉱山地帯には運河がある。運河を下って行けば、楽に移動出来る」
ユゼフとアスターは、カワラヒワの地理に詳しいアキラの顔を見た。
「たしかに東へ流れる運河がある。船で下れば夜の町へはすぐ到着する」
「決まりだな!」
アスターはにんまりした。