14話 ディオンの話(画有)
アスターは深く息を吸い込み、ゆっくり一語一語、区切って話し始めた。
「おまえが死ぬと思ったら、息子のディオンが死んだ時のことを思い出してな……年甲斐もなく、動揺してしまったのだ。ディオンは死んだ時、まだ十五だった。殺されたのは、魔法使いの森だ──」
アスターの隊が土漠でカワウ軍と戦っている最中のこと──補給物資を運ぶディオンの分隊は、モズの魔法使いの森で襲われた。
補給部隊が森を通ると予測したカワウ軍は、兵の一部を待ち伏せさせていたのだ。そのことに気づかず、指示を出したのはアスター本人だった。前線で戦わせるより安全だと思って、ディオンを動かしたのである。
そのころ、大きな戦場は二つあった。一つはカワウと隣接するシャルドン領シーラズ。二つ目はモズとカワウの境界に横たわる広大な土漠。
カワウの王子の首級を挙げたことから、アスターは一個連隊を率いるまでに出世していた。
カワウ軍が重要な補給拠点であるモズを狙うと見越したアスターは、大隊をシーラズの戦場から移動させた。主国軍は圧倒的人数差をもって対峙し、蛇のごとく長い列で陣形を組んだ。カワウ軍が土漠を抜けて森へ行くには、この横陣を回避せねばならない。
──間違っていた
裏をかかれ、ディオンの補給部隊は待ち伏せされていた。敵はアスターの息子だということを知っていたので、捕虜にするつもりだった。
ところが、ディオンは物資を頑なに守り、降伏しようとはしなかったのだ。
仲間が武器を捨てても、ディオンはあきらめず、最後まで戦ったという。後に捕虜となった兵士からアスターは聞いた。
「成長途上のディオンの体にはどこにも……触れてやる余地もないほど刃物が突き刺さっていた……私はそれを見て……すべてがもう、どうでもよくなった……」
アスターは目に涙を浮かべ、ときに声を詰まらせ話した。これは演技ではなく、本音なのだとユゼフにもわかった。
「ディオンは私に似ず優男だったので、心配していた。一方で過大な期待も背負わせていた。いつでも上からああしろ、こうしろと物を言い、逆らえば強引に言い聞かせた。だから、おまえは駄目なんだ、私のように強く負けない男になれと理想を押しつけてきたのだ。ディオンは重いプレッシャーの下で、私の期待にこたえようと、認められようと必死だった……」
目を充血させ、声を震わせるアスターを見ていられなくなり、ユゼフは下を向いた。自信に満ち溢れ、心身共に強靭な切れ者が弱みをさらけ出している。
「ディオンが死んだのは私のせいだ」
ディオンを亡くしたアスターは戦場から退いた。
国に戻れば、英雄はどこへ行っても歓迎される。頭脳明晰なアスターは王国の財務大臣に抜擢された。だが、故郷のバム島を離れ、王都スイマーでの華やかな生活は長く続かなかった。アスターは放埒な生活に溺れるようになる。
浴びるように酒を飲み、娼館や賭場で金をバラまき、遊び暮らす毎日。妻子の待つ屋敷にはほとんど帰らなかった。心にぽっかり穴の空いた状態は何をしても埋めることができず、借金だけがどんどん増えていく。
そして、とうとう王の金庫に手を出してしまった。
「国を追放されてからは、日銭を稼ぐだけのその日暮らしだ。モズでは金持ちの用心棒をやったり、依頼されれば殺しもやった。死のうが構わないし、家族やディオンを思い出さずに遊んで過ごせれば、それでよかった」
部屋はいつの間にか薄暗くなっていた。マリクは部屋の隅で丸くなっている。
剥き出しの石壁や整然と並ぶ本棚は、窓から入り込む冷気を吸い込んだ。初夏に入ったとはいえ、山の上は夕方になると肌寒い。
ユゼフは火打石を使って、ランプに火を点けようとした。アスターはその様子をジッと見ながら、話を続ける。
「盗賊どもと出会ったのはたまたまだ。奴らがモズやカワウで猛威を振るっているのは知っていた。意外にも頭領含め若い男の集団で、うまく立ち回れば金になると思った。それからは、おまえの知る限りだ」
ランプの明かりに照らされたアスターは、落ち着きを取り戻していた。ユゼフは想定外の打ち明け話に混乱している。
──どうして、こんな話を急に打ち明けるのか……隠していることと関係があるのだろうか……?
脳裏に浮かんだのは、魔国での出来事である。
黒獅子に襲われた時、戦えなかった三人、ダーラ、ファロフ、アルシアをアスターが指導した。
その時、アスターは今と同じように身の上話をしたのだ。アスターの話を聞いて打ち解けてきた三人は、堰を切ったかのように自分たちのことを話し始めた。
──もしかして、あえて自分の弱みを見せることで、俺に話させようとしてる……?
アスターは、我が子を見るような慈愛の目を向けた。
「ディオンは生きていれば、おまえと同い年だ……そっくりというわけではないんだが、顔とか雰囲気とか性格がどことなく似ている。だから、どうしてもディオンと重ねてしまう。ディオンにしたように期待して、キツい態度をとってしまったこともあるだろう。必要以上に厳しい物言いもした。だから、死にそうなおまえを見て、心から反省し神に誓ったのだ。もう二度と同じあやまちは犯さないと……」
アスターはユゼフの顔色をうかがう。短い間だが、その顔はいつものアスターに戻っていた。穏やかな視線の裏にある小賢しさが、一瞬だけ垣間見えたのだ。
「それが変に優しい理由か?」
「そうだ。おまえが生きていてくれて、心から嬉しい。だから、信用してほしい。私は今まで何度もおまえを助けているし、私がいなければ王女を取り戻すことも、グリンデルから逃亡することも、ままならなかった。私が本音で話したように、おまえにも話してほしい。正直に本当のところを……教えてくれれば力になれるし、思い悩んでいることの相談にも乗れる」
ユゼフはアスターを注意深く観察した。先ほどの苦悩に満ちた表情とは一変し、何かをやり遂げたあとのような晴れ晴れとした顔をしている。その黒い瞳は期待を含んでいた。
ユゼフは察した。これはすべて計算の上なのだと。
「俺はあなたには、なにも話さない」
自信満々だったアスターは狼狽した。
「なんでだ!?」
「信用できないからだ。隠していることには触れていない。息子さんのことは、気の毒だったと思うけど……それを利用するのは卑しいと思う」
アスターの顔は怒りなのか羞恥なのか、みるみるうちに赤くなった。
「おまえ! 私は今まで誰にも話せなかったことを、おまえにだけ打ち明けたのだぞ! それを卑しいだとか、利用だとか……教えてやらなければ、ろくに剣も扱えなかったくせに!……」
「感謝はしてる。でも尊敬はできない。あなたは損得で動く人だ。自分に不利だと思えば、平然と寝返るだろう」
「……そんなことはない。魔国で共に命をかけて戦ったではないか? おまえの命を何度も助けている私が裏切ると思うのか?……尊敬されないのはしょうがない。でも、おまえと出会ってから、変わろうと努力しているではないか? 見本になる父親に戻ろうと……」
「アスターさん、人は簡単には変われないよ。さっき、あなたはクリープにひどいことをしたけど、俺からすれば、クリープもあなたも一緒だ……胡散臭さは同じ……いや、クリープのほうがマシかな? サチを守ってくれたから」
アスターは愕然としたあとに激昂して、立ち上がった。拳を振り上げたものの、わずかに残っていた理性が押しとどめたか。腕を下ろした代わりに罵倒した。
「貴様っ! 今までの恩を忘れて不遜な態度をとると、痛い目を見るぞ?……そこまで気になるのなら、教えてやろう。おまえが寝ている間、何があったか──おまえは私の血を飲んで、復活したのだ。皆の態度がおかしいのはそれでだからな? 人を食らい、肉体を再生させる魔人め! おまえみたいな化け物なぞ、かわいい息子と同じものか! もう助けてやらん。勝手にしろ!」
「よかった。いつものあなたに戻った」
スッキリした。背中に闇が張り付いたような気持ち悪さは残ったが、これでいい。ユゼフが微笑んで答えたので、アスターの怒りは頂点に達した。
荒々しくドアを開け、大きな足音を立てる。すっかり暗くなってしまった廊下に、アスターは姿を消した。




