130話 ユゼフ、おじさんの忠告を無視する
むしゃくしゃする気持ちは、夜になっても収まらなかった。
サチをヤブ医者に見せたところで状況は変わらず、別件含め、ディアナと再度話さねばならない。
ユゼフはラセルタを天幕から追い出し、使い鳥を飛ばした。城にいるエリザを呼ぶためである。
様子からして、今日中にディアナから呼び出しがかかると思っていたが、夜になっても音沙汰がない。苛立ちが収まらないのを、そのせいにはしたくなかった。
「なんの用だ?」
やってきたエリザは男装ではなく、借り物であろう焦げ茶色のガウンをまとっていた。ドレスアップ姿は初めて見る。筋肉質な細い腕や狭い肩幅を見ると、彼女がまだ成長過程であることに気づかされる。ユゼフの視線は、自然と剥き出しになった首から胸元へと向けられた。
エリザは、グリンデルに着いてからずっと冷たかった。
「わかってるくせに……」
呼ぶなり、ユゼフは彼女を抱き寄せようとした。難なく受け入れられてきた行為だ。至極当たり前のことだと思っていた。
が、両手で押し退けられた。初めて拒否されたのである。
「!?」
ユゼフはすぐに状況を呑み込めなかった。拒まれる理由が思い当たらない。
「生理なのか?」
「ちがう」
昼間、自分がディアナに対してしたことだが、拒絶されるのはとても傷つく。
「なんでだ?」
エリザは黙っている。
「なにか……怒ってるのか?」
エリザは首を横に振った。
「じゃ、なんで?」
「ユゼフ、こういうことはもう終わりにしよう」
エリザは目も合わせずに背中を見せた。そのまま、立ち去ろうとする彼女の二の腕をユゼフはつかんだ。
「俺のことが嫌いになったのか?」
「……」
「行くなよ? 今夜は、そばにいてほしい……」
「……ユゼフ、アタシは娼婦でもなければ、町娘でも農家の娘でもない。妊娠したとき、責任を取れるのか?」
「……子供ができたら、ちゃんと認知する……妊娠したくなければ、しないようにやるし……」
「そういう問題じゃないんだ。国へ戻っても、アタシと結婚する気はないんだろう? なら、不適切な関係はとっとと清算すべきだ」
ユゼフはぐうの音も出なかった。
エリザとの結婚はまったく考えていなかった。そもそも宦官になる予定だったから、誰かと結婚するなんてことは想像したこともない。貴族は皆、親が決めた相手と結婚しているし、恋愛と結婚が結びつかなかった。
「結婚のことは考えてなかった……ごめん。でも、これからは考えようと思う。エリザがしたいと言うなら……」
「無理しなくていい。アンタはアタシのことを愛してない。ホントは最初っから気づいてた。でも、いつか振り向いてくれると甘い期待を持って、自分で自分をごまかしてたんだ」
「そんなことは……」
ユゼフは言い淀んだ。エリザのことは好きだ。でも、愛しているかと聞かれれば、はっきり断定はできない。違和感がある。
「ユゼフ、アンタの心ん中には、別の人がいる」
その台詞を聞いて、ユゼフはディアナと再会した時のやり取りを思い出した。あの時、ゾッとするほど冷たい視線を送ってきたイザベラのことも……
「もしかして、イザベラから何か聞いたのか? だとしたら、気にする必要はない」
「ちがうんだ。ちがうんだよ、ユゼフ」
エリザの青灰色の瞳は悲しげにさまよう。
「アタシはアンタ自身から聞いたんだんだ」
「俺はなにも……」
「アンタが魔甲虫に侵されて気を失ってる間、アンタの記憶がアタシたちのところにも飛んで来た。触れると消える不思議な綿毛さ。それに触れたおかげでアタシは顔の傷が、ホスローは折れた足が治った」
綿毛? 記憶?……どれも初耳だ。
「触った時、アンタの記憶や想いが心ん中に流れてきたんだ。アンタはずっと、自分の気持ちにウソをついてきた。ユゼフ、アンタはあの方を愛してる……」
「記憶が……って、瘴気に当たったせいで、幻覚でも見たんじゃないか?」
「見たのはアタシだけじゃない。城が消える時、その場にいたアスターたちも、村にいたジャメルやダーラも、アタシと同じ気球に乗っていたホスローや王女様も……」
「アスターさんからは、何も聞いていない……」
「みんな、気を使って黙ってるのさ。ユゼフ、今さらだけど、アンタは亜人だろう? 青い髪は染めてるし、耳の形が少し変なのは切ったからだ」
髪と耳のことを言われ、ユゼフはうっかり耳を触ってしまった。
──どうして? どうして……誰から聞いたんだ?
青い髪や耳のことを知る者は、家族以外にはいないはず……ユゼフは狼狽した。
ユゼフの様子を見て察したのか、エリザは優しい口調になった。
「心配しなくていい。誰も見たことは口外しない。みんな、アンタのことを好いてるし、力になりたいと思ってる」
ガーデンブルグ王家に嫌悪されたため、主国の亜人は内海の奥地へ追いやられた。または、不具者やならず者が集まるゲットーへ──内陸部で亜人はめずらしい。
落胤で他に後継者がいなかったとしても、亜人では爵位を継承できない。
──それに穢らわしい、亜人どもだわ
胸に突き刺さったディアナの言葉が、ユゼフの中で何度も響く。
「じゃあな、ユゼフ。自分の気持ちに正直になるんだ」
最後にそれだけ言い、エリザは天幕を去って行った。
ユゼフは呆然としていた。いつしか、苛立ちが絶望に変わっている。底深い闇へ突き落とされた。
要するに振られたのだ。いろいろ言い訳していたが、結婚できるかわからない男と、ふしだらな関係を続けることに疑問を抱いた。このまま関係を続けても、損をするのは自分だけだと身を引いた……ただ、ただそれだけだ……
──そうだ、彼女は俺のために尽くしてくれた。それを当たり前のように思って、感謝が足りなかった。今さら後悔しようが手遅れだが……
しかし、落ち込んでもいられなかった。
エリザが去ってから数分も経たぬうちに、気持ちのよい風が天幕の中へ吹き込んできた。入り口の布が翻り、昼間嗅いだのと同じ、爽やかな花の香りが天幕へ流れ込む。
──ディアナ様!?
入り口に立っていたのはミリヤだった。いつからそこにいたのか、動揺していたため、ユゼフは気配を察知できなかった。
「入ってもいい?」
ふんわり笑みを浮かべ、湿った唇が動く。大きな瞳はユゼフに固定されている。
ユゼフはうなずいた。
「王女様がお呼びか?」
「ううん……」
暑いのか、ミリヤはショールを取った。灰色のガウンに白いエプロン姿。いつもと同じ服装だ。普段は隠されている肩と胸元が現れ、ユゼフは視線をそらした。
背中は薄く、ほとんど肉が付いていない。腰は折れそうなぐらい細いし、肩は華奢で鎖骨がはっきり浮き出ている。にもかかわらず、支えるのが大変なぐらい乳房は豊満だった。大きな乳房は、まだ幼さを感じさせる顔立ちには不釣り合いだ。
「そんなに……がっかりなの? 《《王女》》様からのお呼び出しでなくて……?」
ミリヤは下から、のぞきこむようにユゼフを見た。態度に出したつもりはなかったのだが、落胆したのは事実だ。
「王女様にお話ししたいことがある」
ユゼフの言葉に、ミリヤはとても長い溜め息で答えた。
「……で、お呼び出しでないとしたら、なんの用だ?」
とたんにミリヤは目を潤ませた。鎖骨から下の白くなだらかな丘は激しく上下し始める。ユゼフは目のやり場に困った。
「……わたし、わたし、ユゼフにずっと謝りたかったの……」
大粒の涙がポトリ、落ちる。
「盗賊に捕らわれた時、ディアナ様を置いてユゼフが逃げたと嘘を言われて……わたしは……えっと、わたしは……あなたの……ユゼフの……名前を言ってしまった……の」
「そんなの……しょうがないよ……」
「ううん、それだけではないんだ。魔国でディアナ様と監禁されている間、ユゼフはどこかへ逃げたに決まってると、ディアナ様と一緒に悪口を言った。ユゼフは危険を顧みず、助けに来てくれたというのに……」
「それも、しょうがないよ……それより盗賊に捕まった時、君はひどい目に……荷馬車の中に彼らが入ってきた時、俺が身代わりになるべきだった……女の子の君を置いて逃げて、卑怯だったと思う……」
「そんなことない! あの時、ユゼフが身代わりになっていたら、ディアナ様を守れなかったもん……でも、わたしのこと、心配してくれてるの?……なんだか、うれしい」
ミリヤは涙を拭うと、愛らしい笑顔を見せた。すべすべした両手がユゼフの手を包み込む。
「これで仲直り!」
ユゼフは手を握り返した。柔らかいし暖かい。少し沈黙し、ユゼフはミリヤが手を離すのを待った。
「さっき、外で待ってる時に聞こえてしまったんだけど……エリザベート様と付き合ってたの?」
不意をつかれ、ユゼフは握る手から力を抜いた。
「き、聞いてたのか?」
どこから聞いていたのか……とても他人には聞かれたくない内容だ。
「うん。でも、彼女と別れてくれて、うれしい」
「……どうして?」
ミリヤは答えず、握る手にギュッと力を入れた。茶色い瞳はユゼフを離さない。ミリヤが一歩歩み寄ると、ユゼフとの距離はほとんどなくなった。
「わたしは、たいした家柄でもない。ただの侍女。気兼ねすることなんかない」
背伸びしてユゼフの首に腕を回す。早業だ。ユゼフは彼女にキスをされた。
軽いキス。すぐ唇を離した。それでも……
火を付けるには充分だった。今度はユゼフのほうから唇を重ね、彼女を寝具の上に押し倒した。
が、押し倒してから急に理性が蘇る。
「す、すぐに、戻らなくても大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。王女様は今、イザベラとボードゲームに夢中なの。わたしのことなんか、忘れてる」
「で、でも……君に手を出したことがバレたら……」
「バレないよ。わたしが言わなければね。それとも、言ってほしいの?」
ミリヤは茶目っ気たっぷりに笑ってから後ろに手をやり、ガウンの留め具を器用に外した。
プツッと、押さえつけられていた乳房が溢れ出し、ユゼフを留めていた枷は簡単に外れた。
カットしたイザベラ視点↓↓
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