125話 歩き組襲われる(アスター視点)
アスターが配慮しているというのに、ジャメルのほうから突っかかってきた。
「アスター? 文句あんのかよ!?」
アスターが向くと、むくれた顔の無精髭が睨んでいる。カワウ人だから、髭が濃いのだ。年齢を重ねるにつれて、もっと濃くなるだろう。
それはこっちのセリフだと言い返そうとして、アスターは違和感に襲われた。ジャメルの手首に植物の蔓が絡まっている。
払おうとしたところ、それはジャメルの腕を締め上げた。声を上げようとするジャメルの口をどこから現れたのか、平たい蔓がぐるぐる巻きにし、圧倒的な力で引きずっていく。
「ジャメル!」
助けようとするアスターの横をサッと通り過ぎる者がいる。ダーラだ。
ジャメルが壺状の花へ放り込まれる寸前に、ダーラは蔓を叩き切った。斬られた蔓はヒュルヒュルと元いた場所へ退いていく。
──ダーラの奴、意外と素早いではないか
アスターはジャメルを助け起こした。少し離れた所を歩いていた他の仲間が走ってくるのが見える。アスターは手招きした。
「みんな、もっと固まったほうがいい。集まれ!」
最後尾のアキラとクリープが追いついてから、指導する。
「襲われた時、すぐ対処できるよう、ひとかたまりになって移動したほうがよい」
皆が素直にうなずき、四列になって歩き始めた。先頭はジャメル、アスター、ダーラの三人。最後列のアキラとクリープは二人で並ぶ。
この二人は陰気な雰囲気が似ていた。頭領を下りると表明したアキラは、これまでリーダーだったのを忘れるぐらいオーラが失われている。
「荷物、変わろうか?」
距離が近いため、アキラとクリープの会話が最前列のアスターにも聞こえてきた。クリープは鍋や釜、食料などを一人で背負っている。アキラが持っているのは工具やロープ、救急道具だからまだ軽い。天幕は重いので置いてきたのだ。徒歩で運ぶのはキツい。
「大丈夫です」
「いや、交代しよう」
アキラが言うと、クリープはすんなり荷物を渡した。
このやり取りはジャメルにも聞こえただろう。アキラの卑屈な態度に苛立っているのがわかった。拳を握り締めるジャメルの肩にアスターは手を置いた。
「なんだよ!?」
「ちゃんと周りに注意を払え。今はおまえが頭だ」
アスターは声を低くして伝えた。先ほど、失態を見せたばかりなのでジャメルは言い返せない。
「いいか? 腹を立てるのはわかる。だが、我々はまだ危険地帯にいるのだ。怒るのはグリンデルに着いてからにしろ……」
アスターが皆に聞こえないよう、小声で話している最中……
隣を歩いていたダーラが急に立ち止まった。
「どうした?」
「なにか! なにか……変だ!」
ダーラは背後を確認する。
「なに止まってんだよ? 早く行け!」
ダーラの真後ろで待つ盗賊が尖った声を出した。ジャメルの不機嫌が皆にも伝染している。
「待ってください」
今度はクリープだ。
「囲まれています」
点在していた食虫植物がいつの間にか、アスターたちの周りをぐるり取り囲んでいる。進行方向にはいなかったため、察知できなかったのである。植物はジワジワこちらに寄ってきていた。
背中合わせに全員が身構える。アスターはジャメルに尋ねた。
「どうする?」
「数が多い。一、二の三で逃げるぞ」
「では、私が殿※を務めよう」
アスターはクリープとアキラのほうへ下がった。
「一、二、三……行け!」
ジャメルの合図で、いっせいに走りだした。すると、思いがけないことが起こった。
周りを囲んでいた植物たちが、獣の速さでこちらへ向かってきたのだ。根を足の代わりに動かし、茎や蔓を伸ばして突進してくる!
「まずい……剣を抜け!」
アスターは唾を飛ばして怒鳴った。
貝殻のような花が、パックリ口を開けて襲いかかってくる。鋭い棘、糸を引く数多の粘毛、真っ赤な口が迫ってくる。アスターは食われそうになりながら、葉をつなぐ太い茎を斬った。血の代わりに噴出する液が視界を緑に染める。当然ながら青臭い。
立て続けに蔓や茎がやってきた。植物の蔓は弾力性がある。
知らず知らずのうちに、アスターは腕と首に巻きつかれていた。締めつけられるまえに斬る。が、間髪容れずスプーン状の粘々した葉が被さってくる。ラヴァーを粘液で汚したくなかったが、致し方ない。べとっとした葉にアスターは剣を突き刺した。蔓を切れば、ひるんで一時的に退がるので時間稼ぎにはなる。
荒涼とした背景は消えてしまった。斬っても斬ってもきりがない。迫りくる植物は雪だるま式に増える。
アスターの横にはアキラとクリープがいた。ジャメルたちは、なんとか逃げ切れただろうか……
「アスター!!」
植物の厚い壁の向こうから、ダーラの声が聞こえる。
──馬鹿め! 助けに戻ろうとはするなよ……
抜け道はない。
植物は円になり、アスターたち三人を包み込んでいた。完全に敵の腹中。食われたのと同じ状態だ。
クリープが荷物を下ろした。アキラも同じく。
「私が……」
「オレが……」
「僕が……」
後ろで守る……と言おうとして、アスターたちは同時に口を開いた。
「なんだ、クリープ? おまえ、私に先へ行けと言うのか?」
「僕は彼らと戦い慣れています。背後を守らせてください」
考える余裕はなく、植物は蔓を伸ばしてくる。
クリープが戦っているところを、アスターは見たことがなかった。剣もナマクラでろくに手入れもしていない。普段は鈍くのろまな印象だし、魔物と戦う姿は想像つかなかった。
しかし、サチを背負って黒曜石の城から逃走したことが思い出された。体力だけは間違いなくある。
無感情な顔から、強い意志をアスターは感じ取った。
「いいだろう。任せた!」
猛攻を続ける蔓……というより、触手を斬りながらアスターは答えた。向きを変え、前に立ちふさがる花の茎を十本ほど一気にぶった斬る。
「アキラ、転がれ!」
アスターとアキラは前方へ転がり、左右から襲ってくる貝のような葉から逃れた。スレスレだ。背後で、地面に衝突する草の気配を感じた。
立ち上がろうとするアキラの足首に蔓が巻きつく。猛烈な勢いで引っ張られ……
すんでのところで、アスターはアキラの腕をつかんだ。反対の手で上から来る触手を斬り飛ばす。
蔓からアキラを解放したのはクリープだったのか、アスターは見ていなかった。他に注意を払うほどの余裕はなかったのである。
どれだけの茎や蔓を切り倒したのだろう。まさか、植物の汁にまみれ、戦うことになるとは思わなかった。田舎暮らしをしていたアスターは貴族とはいえ、農業の苛酷さの片鱗ぐらいは経験している。草取りをする自領の農民たちを想起し、頭が下がる思いだった。植物は農民の生きる糧でもあり、敵でもある。
がむしゃらに邪魔な緑を除いていった。農民たちに草取りの極意を教わりたいところだ。熱のこもったジャングルに流れ込む弱い風を感じ、目の前にある茎を斬り倒すと灰色の景色がようやく見えた。
絡まり合った蔓を払いのけ、人一人がかろうじて潜り抜けられる空間ができる。
「アスター! お頭!」
ダーラの手にすがり、アスターは外へ這い出た。アキラもそれに続く。
「馬鹿めが! ダーラ、おまえ今、助けに行こうとしただろう?」
「……なんで、わかるんだ?」
「おまえが大馬鹿だからだ」
背後では集まった植物が結合し、巨大なドーム状の建造物を造っていた。
植物たちの注意はドームの内側へと向けられているのだろう。今のところは襲ってこない。
「早いうちに、ずらかったほうがいいっすよ」
盗賊の一人がジャメルに囁く声が聞こえた。植物の集合体から距離を置き、他の仲間たちが見守っている。
「クリープがまだだ」
「……あんな奴、仲間じゃねぇし、放っておきましょうよ」
「でも荷物が……」
「どうせ、荷物なんか捨ててるっしょ」
やり取りを見てアスターは、
「先に行ってていいぞ。私はもうちょっと待ってから行く」
気を利かせてやった。
「アスターが待つんならおいらも……」
ダーラが狐耳をピンと立てて言うと、
「……オレも」
足に絡みつく蔦と格闘するアキラがマスクを取った。
「アスターさんとお頭なら大丈夫っすね。早く行きましょうよ」
急かす仲間にジャメルは答えられなかった。
沈黙のあと、心に張られた膜を切り裂くかのようにアキラの声が響く。
「アスターは仲間だ」
するとダーラも口を開いた。
「アスターがいなければ、任務は成功しなかった。みんな、アスターやユゼフやレーベに助けられてる」
ジャメルは迷っている。即決しなくてはならぬ状況だ。つい、アスターは期待してしまう。彼らの態度はこそばゆいが、嫌いではなかった。ジャメルはこのなかで、一番成長性のある若者だ。
瞼を数秒閉じてから開き、ジャメルは、
「アスター! オレはアンタを信じてる! 必ず追いついてくれ!」
声を張り上げ、くるり背を向けた。よい決断だとアスターはにんまりする。
「行くぞ!」
その時だった。
アスターが抜け出た穴とはだいぶ離れた位置から、長い刃がぬっと飛び出した。刃は高速で上下左右に動き、複雑にもつれ合った蔓を四角く切り取る。
そこから出てきたのはまず荷物だ。大きな衣嚢が二つ。次に草の汁で濡れた細い指先、汚れた眼鏡──
荷物を外へ出してから、顔を出したのはクリープだった。
「すみません。荷物を取りに行っていたもので……」
穴から這い出たクリープは、そこにまだ全員がいるのを見て、
「あれ? 先に行ってるとばかり……」
とぼけた様子で、ずれた眼鏡を直した。
皆が唖然として言葉を失うなか、ダーラだけは何がおもしろかったのか噴き出した。ジャメルは驚いた顔を見られないように正面を向き、歩き始める。
「何をぼんやりしてる? 行くぞ!」
クリープの謎、深まる──
何はともあれ、無傷で済んだ。
※殿……一番うしろ




