124話 歩き組②(アスター視点)
灰色の空を泳ぐ黒い気球も、広大な大地も同系色だ。枯れた大地に木は生えず、色褪せたグラデーションが地平線まで伸びる。生きているか死んでいるかわからない硬い草が、泥の上で揺れていた。
殺風景を横目にアスターたちは歩いた。
村を出てしばらく泥濘地が続く。色彩の少ない大地は退屈だ。太陽や月といった目印さえない。おまけに磁石まで狂うときている。
頼りになるのは、ジャメルやダーラ、亜人たちの方向感覚のみだった。彼らは野生動物と同じく体内に磁石を持っている。それは人間の磁石とは違い、瘴気に当たるとますます精度を上げるらしかった。
──本当にこいつら、能力値が高いよな? 魔国に来てから身体能力も上がっているし。盗賊にしておくのが惜しい
アスターはこんなことを考えながら、歩くのだった。
景色が味気ないから、話に花を咲かせる。ジャメルとダーラの幼いころの話は興味深かった。
最初はくだらない馬鹿話から、だんだん心奥に迫ってくる。彼らとアスターは死の瀬戸際で共に戦った仲だ。アスターが娘たちの話をすると、自然と身の上話をする流れに変わっていった。
ジャメルは思っていたとおり貴族の出身だった。亜人ゆえに隠されて育てられていたのが、父親の戦死で一家離散。外界へ放り出されたのである。
哀れなのは生まれてこのかた、ほとんど外へ出たことのない世間知らずが捨てられたことだ。しばらくはゴミを漁ったり、ネズミを食べたりして命をつないできた。買い物もしたことがない、身の回りのこともろくにできない無知な浮浪児は放浪の末、モズの森に流れ着き、盗賊と出会った。
アスターは同情しなかった。なぜならジャメルより悲惨な生い立ちの奴は山ほどいるからだ。ジャメルの父親には興味を持った。カワウの騎士ということは、アスターも知っている人物かもしれない。
──詳しい話はおいおい聞き出してやろう。こいつは私を慕っているし、まじめで男気もある。今回、王女のことで恩賞が与えられ、主国に戻れたらその時は……
そんなことまで考えていた。
それと、生い立ちを聞いて気づいたことがある。
ジャメルが捨てられたのは二十年前の東南戦争のころだ。当時、十歳くらいだったというから、実年齢は三十くらいになる。
──見た目は、十代の若造にしか見えんのだがな。個体によるんだろうが、亜人は成長や老化も遅いようだ
ジャメルの尖った耳を見て、アスターはウンウンと一人で納得した。
ダーラは一晩寝て、立ち直ったようだった。母親と過ごした森での生活を話してくれた。
驚くことに、この獣人は素手で狼や虎を狩っていたというのだ。
「おいら一人では無理だけど、ママはとっても強いんだ。大きな獲物でも鋭い牙で噛みついたら、絶対離さない。でも、獲物がいない冬はいつだってお腹を減らしてた。そういう時は洞穴でおいらの集めたどんぐりを一緒に食べる。ママとくっついていれば、寒い冬でも全然平気だった。ママはおいらと違って全身に毛が生えていたからな」
親離れするまえに母を失ったせいか。ダーラは“ママ”のことを話す際、舌たらずになった。まだ保護者が必要なのだろう。心が幼獣のままだ。
「歌はママに教えてもらった。ママが歌うと、森の動物はみんな寝ちゃうんだ。ケンカしてても遊んでても、イタチも子ぎつねも、うさぎもリスも……どんな動物だって、眠くなっちまうのさ。おいらもママの子守歌で朝までぐっすり眠る」
ジャメルは母親を、ダーラは父親を知らない。認知の歪みはここからくる。ジャメルは甘え方を知らないし、ダーラは男のアスターにまでベタベタ甘えてくる。そこが自分の定位置と言わんばかりに、アスターの隣を陣取ってくるのである。
この二人のおかげで道中、退屈せずに済んだ。
──こんな髭面のオヤジをおまえのママと一緒にするなよ? 野良犬を拾って我が家に連れ帰ったら、怒られるだろうが?
一日目は何事もなく終わった。夜までに乾いた場所を見つけ、アスターは盗賊たちに天幕を張らせた。その晩、天幕にて──
アキラは話があると言い、皆を輪の形に座らせた。そして、ずっと顔を覆っていたマスクを外し、同性でも見とれる美しい顔を露わにした。
アキラはそこら辺にいる美男子とは違っていた。男でも遠慮してしまうのだから格別なのである。バルバソフが肩入れしていたのもわかる。本人は容姿で得していることなど、知りもしないのだが。
マスクは例の奴隷商人のアフラムから頂戴したものだ。亜人以外は皆、頭からすっぽりと防毒マスクを被っていた。見た目は原始教、或いはカルト教団の敬虔な信者に見える。
素顔をさらしたアキラは、神妙な面持ちで話し始めた。
「みんな、知っていることだが、バルバソフが死んだ」
傷のある美男子は一人一人の顔を見回す。
「危険は承知の上だったし、みんなも納得してついてきた。だが、これはオレの個人的な感情により受けた仕事で、受けるべきではなかったと思う。十人も死者を出したのは、すべてオレの責任だ」
アキラが言葉を切ると、盗賊の一人が口を挟んだ。
「戦死者はもっと出ても、おかしくなかった。お頭のせいじゃねぇよ」
「オレはみんなを主導する立場にもかかわらず、捕らわれ、代わりに隊を指揮したのはバルバソフとアスターだった。助けてくれたバルバソフを救うこともできず、カレンやカスラーが殺されても何もできなかった……イアン・ローズにも敗れ、ぎりぎりのところでアスターに助けられたんだ……的確な指示を与えられるアスターにオレは従うしかなく、ユゼフやレーベのように特別な能力もない……」
誰も何も言わなかった。
今回の戦いにおいてアスターの存在は大きく、ユゼフとレーベがそれに続いた。バルバソフとエリザは王女を助け出すという大役を果たし、前線で指揮をとったのはジャメルと死んだビジャンだった。
「……でも、ユゼフを助けただろ……」
今度はダーラが沈黙を破った。ユゼフをグリフォンに乗せて湖へ飛び込み、虫を駆除したことを言っている。
「あれはアスターが機転を働かしたおかげだ。オレはただ、それに従っただけで……」
「じゃあ、なんだってんだよ!? 責任とか、役に立たなかったとか? オレたちは命がけで戦ったんだ! ずっと寝てただけの奴もいるが、皆が一人一人、自分のできることをやって敵を打ち破ったんだ! それを終わってから、否定するっていうのか?」
痺れを切らして、怒りをぶつけたのはジャメルだった。
「いや……おまえたちはよくやったと思う。本当に……」
アキラは言葉を濁した。間を置いてから顔を上げ、
「オレは頭領にふさわしくない。ここで降ろさせてくれ」
声を発せないでいる仲間たちに向かって、決定的なセリフを吐いた。
「とりあえず任務はここまでだ。グリンデルに着いたら数日後、アジトへ戻るだろう。それまではジャメルが皆をまとめてくれ。新しい頭領を決めるのはそれからだ。オレはもうアジトに帰るつもりはない……」
「ふざけんなよ!」
ジャメルがアキラにつかみかかった。
「自信がねぇから途中で放り出すってか? 死んだ仲間の気持ちはどうなる!? バルバソフは? カレンは? アラムは? アルシアは? ビジャンは……どうなる?……みんな、アンタを信じてここまで来たんだ……」
ジャメルが拳を振り上げたので、後ろからアスターが押さえた。
「アスター、邪魔すんじゃねぇっ! アンタにはもともと、なんも関係ねぇんだ! はなせっ! はなせぇ──っ!」
「落ち着け!」
「だから、オレは反対だったんだ! バルバソフが戦いに負けてこいつが頭になったけど、お坊ちゃまにはハナっから無理だったんだよ! 血統に憧れがあったのか、こいつがいいとこの出ってことで、バルさんは一生懸命立てようとしてたけど、オレは納得してなかった。オレたちを軍隊みたいに統制しやがって……傭兵みてぇな仕事ばっか、やるようになった。王女を襲う話を持ってこなけりゃ、ユゼフにだって……」
「ユゼフ」の名前を出してから、ジャメルはハッとして口をつぐんだ。
「王家から仕事を賜ったって……すげぇことだ。それも、お頭のおかげだって言ってたじゃねぇか……」
誰かが呟き、ジャメルを責める空気に変わった。バルバソフがアキラを懸命に持ち上げていたのは確かだ。だが、そうでなくとも、仲間内でのアキラの評価は高かったとアスターは思っている。
──剣の腕前はたいしたものだし、何事にも物怖じしない度胸がある。統率力もなかなかのものだ。頭脳派ではないが、リーダーとしてちゃんと責務を果たしていたと思うぞ? 若さゆえに自身の未熟さに悩み、些末事に捉われ過ぎているのだ。もっと自信を持っていい
アキラに対する思いは心の中にしまっておいた。ここは外野のアスターがでしゃばるところではない。
ジャメルは唾を吐き、天幕の外へ出て行った。
「おい、クリープ! 寝ていいぞ! 見張りは俺がやる」
外からイラついた声が聞こえた。入れ替わりに中へ入ってきた眼鏡を見て、アスターはやれやれと肩をすくめる。こいつは感情的な奴より厄介だ。何を考えているかわからない奴が、アスターは一番苦手なのだ。
亜人と同様、クリープもマスクをしていない。耐性があるとのこと。冷静になって思い出してみると、サチを背負った状態で黒曜石の城を脱出したのだから能力値は盗賊以上だ。
クリープは村を発つまえに自分から、ついて行きたいと申し出た。
「剣はたいして使えませんが、荷物持ちでもなんでもします。一緒に連れて行っていただけないでしょうか?」
とか言って……
頭を下げられて、アスターは不快だった。頭領のアキラに言うのならわかる。なぜ、盗賊でもなんでもない自分に言うのかと。
近くでそれを見ていたラセルタが吹き出して、
「このおじさん、ただおもしろそうだからついてきた部外者だよ」
などと言うものだから、周りの失笑を買うはめになった。
──年輩者の私が仕切ってるもんだから、勘違いしたのだろう。迷惑な話だ。これからは余計な口出しをせぬよう気をつけよう
アスターは胸に刻んでおくこととした。
その時、クリープの顔色が変わったような気がしたのである。無表情が「うっ」と痛みに堪えるような、つらそうな顔に変わったのだ。ほんの一瞬で、アスター以外の誰も気づかなかった。アスターはそれを怒りの表れだと捉えた。
──おそらく、“おもしろそうだから”という言葉に反応したのだ。自分は大マジメに何かをやっているので、カチンときたのだろう。こいつは死んだビジャン以上に何かを抱えてる。ついて来るのには理由があるはずだ。わざと空気になるのもそう。どこの曲者か、注意深く見ていよう
二日目は泥濘地を抜け、背丈ほどの食中植物が点々と生えている荒れ地を進んだ。
一日目より足が重いのは、気のせいではないだろう。息苦しさは人の作り出す空気のせいか? 否、マスクのせいだ。
暑くなり、アスターは顔を覆っていた防毒マスクを取った。
隣を歩いているダーラが心配そうに顔を向ける。
「アスター、取らないほうがいいよ!」
「うるさい。おまえらだってしてないじゃないか?」
「だって、おいらたちは亜人だから」
「私は亜人ではないが、吸っても大丈夫な体質のようだ」
「そんなこと言って、バーバクたちみたいに熱を出したら大変だよ?」
息苦しいのは嫌だ。アスターは根拠のない自信に任せた。ダーラは横に従者のごとく付き従い、諫言まで呈してくる。鬱陶しいこと、このうえない。
退屈な道を延々と歩き続けるのは苦痛だった。たくさん残った魔瓶を使えないかとも考えたが、どれに何が入っているかはユゼフしか知らず、ただの荷物となった。もしもの時のため数瓶持ち、残りは気球に積んでもらっている。
──結局、魔瓶三十本も使わなかったではないか
アフラムを身代金目的で襲ったことが思い出され、アスターは苦笑いした。
「魔瓶の金で、気球をもう一基用意すべきだった……」
アスターのすぐうしろには不機嫌顔のジャメルと続いて……最後尾には無表情のクリープに、マスクで表情のわからないアキラがいる。二人で手分けして天幕を背負っていた。合計十名だ。
すべてがくすんで見える魔国で、食中植物だけは彩り豊かだった。大きさは置いておいて、内海の湿原で見た形もある。種類は豊富である。
貝殻やスプーン形の葉にはネバネバした毛が生えていた。細長い壺の形もある。葉は赤や紫、黄色、オレンジなど派手な原色だ。
色鮮やかでもどこか毒々しく、不気味で不安を掻き立てた。
「今日中にグリンデルに着きますかね?」
不安を紛らわさんとしてか、並んで歩いていた盗賊がジャメルに声をかけた。仮の頭領の機嫌が悪いことは知っているはずだが……
「知るかよ! いちいちオレに聞くんじゃねぇよ!」
ジャメルは八つ当たりした。
「でも、お頭は……」
「もう、あいつは頭じゃねえ」
ジャメルは言い捨て、歩く速度を早めてアスターの横に並んだ。アスターは前を向いたまま注意する。
「当たり散らすのは良くないぞ?」
「アンタは部外者だ。口を挟まないでくれ」
耳の尖った新リーダーは、きつい口調で答えた。
アスターはジャメルの気持ちもわかるので黙っていた。一日目の和気藹々とした空気は一変して、険悪になっている。誰が悪いということではなく、それぞれの言い分は正しい。だからこそ、よそ者が口を出すべきではないとアスターは思った。




