117話 敵は人間ではない(アスター視点)
その時、回廊からギャアギャア、鳥の鳴き声が聞こえた。
「ダモン!!」
起き上がろうとしたイアンを、アスターは剣先で軽く突く。イアンの細い首をツツと血が流れた。
開け放たれた青銅の扉から飛び出したのは、派手な配色の鳥、ダモンだった。
赤、青、緑、白、黒、茶……羽の色は華やか。体を膨らませて威嚇するせいなのか、年中興奮して毛を逆立てているせいなのか。醜く見える一番の原因は、毛をむしる癖なのかもしれなかった。イアンの所に戻り、ストレスが解消され、毛並みが良くなっている。慣れれば、こんな鳥でも可愛く見えてくるから不思議だ。
ダモンはイアンを見つけると、嬉しそうに飛んで来た。
「イアンサマ! イアンサマ!」
当然ながら、ダモンには状況の把握がいまいちできていない。騒々しく、イアンの周りを飛び回った。
「ダモン、村はどうなってた?」
「ミンナシンダ、クロシシ、ワルイトリ、ミンナシンダ」
「何を言ってる……」
「ミンナシンダ! ミンナシンダ! ワルイヤツミンナシンダ!!」
「悪い奴……敵のことか? 人間が死んだのか?」
「ニンゲンシナナイ。バケモノミンナシンダ!」
アスターが何度試みても、まともな会話はできなかったというのに、ダモンとイアンの会話は成り立っていた。案外、賢い鳥ではないかと、アスターは苦々しく笑う。
驚きのあまり、言葉を発せられないイアンにアスターは説明した。
「我々の仲間にも、優秀な魔術師と魔獣使いがいたんでね? こちらの損失は今のところ、十人程度だ」
いつの間にか捕らえられ、けがの手当てを受けていたクリープをイアンは睨みつけた。人数を聞いても、魔術師や魔獣使いのことは聞いていなかったのだろう。クリープは相も変わらず無表情だ。
「イアン・ローズ、おまえは戦うまえから詰んでいたのだよ?」
アスターは正直に伝えた。圧倒的勝利なのは事実だ。こちらの損失は二割。魔人・魔物は全滅。最大の目的である王女の奪還も果たした。
王女が逃げてから、だいぶ経っている。今さら、追手を向かわせたところで手遅れだし、手配もできぬだろう。
しかし、高笑いするまえに外がガヤガヤと騒がしくなった。
不気味だと感じていた静けさが嘘のようである。異様な大騒ぎだ。祭りを思わせる音量……とは言っても、楽しげなのとは違う。おどろおどろしい。
聞こえてくるのは何重にも重なる呻き声と、大勢の人間が地面を踏む音だった。
「なにごとだ!?」
アスターは怒鳴った。
「ちょっと様子を見てきましょうか?」
クリープの手当てをしていたラセルタが立ち上がると、イアンは無感情な声を出した。絶望した時、人の声は感情を失う。
「行かないほうがいい。アンデッドの群れだ。これから、村を襲いに行く」
「なんだと!?」
「中央塔に閉じ込めておいた大量のアンデッドを解き放ったんだろう」
先ほど、アスターがラセルタと通った所だ。あの黒い海蛇みたいな塔から、アンデッドが放たれてしまったということか。
アスターの脳裏に、まず浮かんだのはレーベだった。
二基の気球はすでに飛び立っているだろうし、何人かは不時着した気球の捜索に出ているから、村にはほとんど残っていない。
作戦どおりいかなかった場合、大量のアンデッドをまえに十二歳の少年は生き残れるのだろうか……
もしものことを考えて、魔術を使えるレーベに残ってほしいと言ったのはアスターだ。
「すぐにやめさせろ!」
「俺にはできない。魔物を操っているのは別の者だ」
「じゃあ、そいつに言ってやめさせろ!」
「……俺の言うことを聞くかどうか……東の塔にいるが……」
「東の塔だと!? ユゼフもそこにいる!」
「……ユゼフが!? どうして?」
「なんでも、友達を助けに行くとか言って……」
イアンは目を剥いた。
「そんな……馬鹿な……東の塔には化け物の親玉がいるんだ。ぺぺは……ユゼフは……助からない……」
アスターは動揺しつつも、注意深くイアンを見ていた。
──こいつはもう抵抗しないだろう
イアンはユゼフのことを心配している。話し合いを選んだユゼフの選択は、間違いではなかったのだ。
「イアンよ、アンデッドの数はどれくらいだ?」
「詳しい数はわからないが……たぶん三百はいるかと……」
「ふむ、三百か……」
敵襲があった場合、ジャメルとビジャンには作戦どおり戦うよう言ってある。少人数でも打ち合わせどおりにやれば、三百くらいはなんとかなる。まだ幼いレーベを危険にさらすのは、心苦しいが……
「よし、皆で東の塔へ向かうぞ! イアン、アンデッドに見つからないよう案内しろ!」
アスターは、ラセルタにイアンのけがの手当てをさせた。時間がないため、たいしたことはできないが、何もしないよりはいい。拘束したイアンとクリープと共に、東の塔へ向かうことにした。
幸運だったのはアキラの存在だ。ラセルタがレーベからユゼフの血を一瓶くすねていたため、助かった。瀕死の重傷者だったのが全快したのである。
命は大切にせねばと、アスターは肝に命じた。よって、ラセルタがクリープに情けをかけたことは不問とした。クソガキも意外なところで役に立つ。
ラセルタいわく、クリープはラセルタが立ちふさがった時、子供という理由で斬らなかった。斬って逃げられたものを、まごついていたため、快復したアキラに捕らえられてしまったのだ。
──なんだ、こいつら? ガキの盗賊以上にヌルいじゃないか。やはり、いいように踊らされているだけだったか
黒幕は魔物たちの首領。人間同士で話し合えば、もっとうまい解決策があった。イアンとユゼフの面会に付き添わなかったことを、アスターは重ね重ね後悔した。
騒がしいダモンを先に飛んで行かせる。先頭はイアン、すぐうしろに縄を持ったアスター、アキラとラセルタに挟まれたクリープが続く。
出血のせいだろう。イアンの顔色は青く、足取りは少しふらついていた。
──簡単に止血はさせたが……やはり無理をしていたのだな? ユゼフの血を飲ませれば、死にはしないだろうが……
残念ながら、本当の最後の一瓶はアキラに使ってしまった。ユゼフの所まで、なんとか堪えてもらうしかあるまい。
「イアンよ、移動しながら話せるか?」
イアンが地面を見て答えないので、アスターは構わず続けた。
「さっき、東の塔に化け物の親玉がいると言ったな? どういうことか説明しろ」
「……」
「時間がなくて、情報がすぐにほしいとき、私はとても暴力的になる。下手すれば、おまえのことを死なすかも」
イアンは下を向いたまま黙り続けた。
主殿の裏手を通り過ぎ、西の塔へ向かって行く。城を囲む内周壁に、オーク材で作られた頑丈な両開き扉が見えた。
そこまで来て、ようやくイアンは口を開いた。
「内周壁と外周壁の間の通路を通る。いつもはシャドウズという使い魔がいるが、今はいないと思う」
「なぜだ?」
「化け物はユゼフへ乗り移ることに、全力を注いでいるはず……」
アスターがオークの扉を開ける間、イアンはジッとアスターの顔を見ていた。
「本当にダリアン・アスターなのか?」
「嘘ではない。別に信じなくても構わんが」
イアンはアスターに視線をまっすぐ合わせてきた。褐色の目から怖れは消え、好奇心が芽生えている。良い傾向だ。
「そうそう、おまえの父親のハイリゲ・フォン・ローズを知っているぞ。王議会で一緒だったからな? 取るに足らん男だった。顔立ちが……まったく似とらんな! 本当に親子か?」
「養父だ。血はつながっていない」
「ふーん。どおりで似てないわけだ。ハイリゲ卿は臆病者で謀叛など起こすはずがないから、主国で内戦があったと聞いて、ローズの名が出た時には驚いたぞ!」
アスターの言葉にイアンは、はにかんだ。アスターはそれを見逃さず、畳み掛けた。
「……んなことは、どうでもいい。問題は化け物の親玉だ。いったい何者だ? どうしてユゼフは助からないと言った?」
「あの化け物は自分を三百年まえの王だと言っている……」
イアンは話し始めた。




