113話 アスターとラセルタ(アスター視点)
丘を半分登ったところで、アスターは城の背後へ回った。バルバソフとエリザは裏から忍び込んで、ディアナ王女を助け出したはずだ。アスターは彼らの使った道程をたどることにした。
まず、鉄格子の外れた裏門を発見する。魔物や兵士の気配はない。血や乱れた足跡が見当たらないのは気づかれないように、すんなり出られたということだろう。アスターはひとまず胸をなで下ろした。
──ふむ。忍び込ませて正解だったな。魔物を操ってはいるが、統率できていない。城の守りは不備だらけだ。
中にいる人間が魔物を除いて五人と聞いた時は驚いたが。これは王女と侍女を除いた数と思われる。
イアン、イザベラ、ニーケ王子、ユゼフの友人、クリープ。
イザベラの思惑は、いまいちつかめない。クリープも然り。ニーケ王子、ユゼフの友人に関しては巻き込まれただけであろう。
イアンは直情的に行動しているだけかと思われる。魔人に利用されているのかもしれない。これまでのユゼフの話や世間の評価、対面したエリザの印象から、アスターはそのように分析していた。
──ひょっとしたら、話し合いで解決できたかもな? 馬鹿は懐柔しやすい。すぐキレる鶏頭なのだろう? 怒らせたら、ダメとは限らん。感情的な奴のほうがうまく操作できる。私には私なりのやり方があるのだ。ユゼフが私の同行を拒否するから……
あとからあれこれ思っても、手遅れだ。とりあえず、アスターは状況を見極めることにした。
裏門をくぐり、内周壁を前にする。そう、城壁は外周壁と内周壁、二重に巡らされている。二つの壁の間には広くもなく、狭くもない通路があった。わかりやすく言うと、馬車一台が通れるくらいの幅だ。
見える範囲に城郭内へ通ずる入口を発見した。
重そうなくるみ材の扉は開け放たれている。たしか、イザベラが渡してきた地図には、ここを通るよう記されてあった。
──バルバソフたちがこの入口を使ったとすると、イザベラは嘘を吐いてなかったということになるな?
「アスターさん、見てください! 血が!」
ラセルタが、西へ進む通路の向こうに血の痕を見つけた。一滴、ポツンと。だいぶ離れた所にもう一滴……軽いけがだ。皮膚の表面を傷つけられた程度だろう。
……ということは、バルバソフたちは打ち合わせどおりイザベラの話を信用せず、外周壁と内周壁の間の通路を通ったのかもしれない。そして、負傷した。通路の先に敵がいる可能性は高い。ただし、負傷の程度から見ても弱い敵だ。倒したあとかもしれない。扉が開いたままなのは、王女を連れ出す時に通ったからである。それともそのあと、他の誰かが通ったか。敵か味方か……
「この場合、どうするべきか? 通路を進むか、中へ入るか……あ! ラセルタ、ちょっと待て!!」
ブツブツ言っている間に、ラセルタが内周壁をくぐり抜けて、城内へ入ってしまった。
「こらっ! 待たぬか! 勝手に行くのではないっ!!」
「誰もいないですよ。オレ、気配でわかるんです」
慌てて追うアスターを尻目に、済まし顔でラセルタは言う。
「う……だが、冷静な状況分析というのは、つねに必要なのだ。それに目上の人間を差し置いて、先に進むな。小物はちゃんと大物の後ろにおれ」
アスターに叱られ、ラセルタは頬を膨らませた。この年頃の子は大人にあれこれ言われると、よけいに反発する。厄介だ。
無理にでも追い払えばよかったと、アスターは後悔していた。性格上、無作法をついつい指摘したくなる。しかし、注意しても小馬鹿にされ、「はいはい」と適当に返されるだけだ。
子供の体格だし、十五はサバを読んでいるのではないかと思う。彼と一つしか違わないダーラは、大人に近い体つきだ。精神が未熟とはいえ、肉体的には大人に交じっても違和感はない。
「よいか、ラセルタ。おまえ、ユゼフに仕えたいのだろう? ならば、言葉使いや立ち居振る舞いを直さねばならぬ。貴族の社会にはルールがあるのだ」
ブスッとした顔で、後退したラセルタにアスターは説教する。
ラセルタの言うとおり、城内には誰もいなかった。しんと静まり返った景色は廃城……いや、廃城というほど朽ちてもいない。たくさん人がいるはずの立派な城に人っ子一人、存在しないのは気味が悪かった。建物だけ残し、生きている者だけが消え去ってしまった。そんな悪夢の中にいるようだ。よけいに不安を煽られる。
城内の壁という壁が、黒曜石でできているせいもあるだろう。黒光りする岩石は日の射さぬ世界をいっそう暗くする。ラセルタは平気な顔で歩いているが、アスターでさえ気後れしそうになる空間だ。
「怖くないのか?」
「平気です」
キョトン。“何を言ってるの? この人は?”といった表情で返される。焦げ茶の瞳は嘲りまで含んでいた。虚勢は張っていないようだ。
この子供には大切なものが欠落していると、アスターは思った。
自身の体に魔甲虫を寄生させた時だって、そうだ。あの時、アスターは男気を勝ってやったのである。だが、今から思えば、恐怖心とか道義心といったものが皆無だったのかもしれない。良く言えば、勇気がある。実情は怖いもの知らず、向こう見ずだ。
──まあ、私も人のことは言えぬがな?
狂った戦いの世界ではこういう非人間的な精神病質者が力を発揮できる。アスターと同類だ。死ななければ、彼は出世するだろう。死ななければ。
そんなことを考えながら、アスターは誰もいない城郭内を歩いた。
入って真ん前に塔がある。イザベラのメモでは、そこにユゼフの友人が囚われている。ユゼフはもう会えたのだろうか。
塔も黒い。フォルムは画用木炭に似ている。木炭と違うのは光沢があるところだ。見上げた先端が丸いので、海蛇にも見える。呪われた五首城を思い出し、アスターは嫌な気持ちになった。あの城ではアンデッドに襲われ、さんざんな目に遭った。
「おい、ラセルタ! おまえ、気配が読めると言ったな? あの塔から気配を感じるか?」
「うーん、どうでしょう? ちょっと離れ過ぎています。塔の上のほうまでは感知できませんよ。それに……全体的に妙な気配がして、読むのを邪魔するんです」
「どういうことだ?」
「ここの建物のすべてから生命反応を感じるというか……なんか変な感じです」
「気持ち悪いことを言うな! 建物が生きているはずがなかろう」
アスターは一蹴した。建物が生きていたら、アスターたちは敵の腹の中だ。勝ち目などないではないか。
塔を過ぎてしばらく行ってから、主殿が見えた。右手に武器庫、左手にまた塔がある。その間を通ろうとしたところ、急にラセルタが止まった。
「む? どうした?」
「左の塔から、ものすごく感じます。闇の気配を……」
「え……?」
アスターはギギギと首を動かし、そこに鎮座する塔を凝視した。最初の塔と高さは同じくらい。太さは倍以上ある。無能力者のアスターには、さっきの塔との違いを感じ取れなかった。不気味なのは同じだ。
「アンデッドかもしれません。ウヨウヨいる」
「外に放たれたら、マズいことになる」
「でしょうね」
ラセルタは他人事のように答えた。今、考えることではないのは、アスターもわかっている。アスターたちが追っているのは、アンデッドのような雑魚ではない。大きな魚、イアン・ローズだ。
アスターは頭を振って、前を向いた。見据える先も、黒、黒、黒、黒……
悪夢の城は、ときおり歪んで見えた。それがケガの後遺症で起こる目眩なのか、城が起こしていることなのか、アスターにはわからなかった。
キィーーーーン……静かすぎて、耳鳴りまでしてくる。意識せず早足になるが、ラセルタは難なくついて来れている。まったく、かわいげがない。




