12話 盗賊と遭遇
前にいる熊のような大男は盗賊だ。
目が合って、気づいた時は手遅れだった。
「ひっ! 盗賊……」
尻もちをついたディアナが声を上げてしまった。
男の目はユゼフをしっかりと捉える。野獣の目だ。続いて、野獣の眼球はぐるりぐるり動き、足元にいるディアナへ焦点を定める。
ディアナは顔を背けた。フードが取れてしまったため、金髪が丸見えだ。
「金髪の女……短髪の男、泣きぼくろ……」
唸り声とも聞き取れる低音で熊男はつぶやく。驚いた顔が獲物を見つけた時の笑い顔に変わるまで、時間はかからなかった。
「バルバソフ、早く来い! こっちだ!」
若い男の怒号が聞こえた。すぐ近くだ。あれは美しい顔に傷のある頭領アナン。
熊男は驚いていたし、この出会いは偶然なのだろう。しかし、理由をゴチャゴチャ考えている場合ではなかった。
「おい、なんで俺が盗賊って、わかった??」
熊男の毛深い手がディアナへと伸びていく。その薄汚い手がお姫様へ到達するまえに、ユゼフは剣を引き抜いた。
「エリザ! ダイを連れて走れ!」
駆け寄ってきたエリザに怒鳴る。ただならぬ空気を察し、エリザはディアナの腕をつかんだ。
「やっぱり、テメェ! ユゼフ・ヴァルタンだな!! 顔の特徴はミリヤから聞いてんだよ!」
簡単にバレてしまった。彼らに捕らえられたミリヤが、こちらの情報を漏らしてしまったようだ。
咆哮する熊男へ、ユゼフは躊躇なく剣を振り下ろした。
抜剣間に合わず、男は身を翻して刃を避ける。デカい割に俊敏な動きだ。
「ミリヤは美人だし、いい子だな? お姫様はもう捕まえた、一緒にいた従者は逃げたと嘘をついたら、ペラペラおまえのことを話してくれたぜ……あっ……クソッ! 女どもめ、逃げるな!」
二撃目を避けながら、熊男が叫んだ時、エリザに助け起こされたディアナは走り出していた。
熊男は大きく舌打ちして抜剣する。ユゼフと対峙することになった。
軽々と刃をかわした身のこなしから、戦い慣れているのは容易に想像できる。ユゼフでは到底歯が立たないだろう。できるのは、ディアナが逃げるまでの時間稼ぎだ。
これまで臆病者、弱虫だとさんざん言われ続けてきたが、ユゼフはちっとも恐怖を抱かなかった。覚悟が決まれば、堂々としていられるものだ。
その心意気が熊男にも伝わったのか。すぐには襲ってこない。少時、にらみ合いが続いた。時を稼ぐには良い傾向だ。
だが、敵は一人ではなかった。
「おいっ! おまえ、どういうつもりで……」
湯気を出し、近づく頭領アナン。熊男はユゼフから視線を動かさずに答えた。
「今、女二人を逃がしました。女はあっしが追いますんで、あとはお願ぇします!」
それだけ言い捨て、人混みへ突っ込んだ。
仕方ない。逃げ切れるかはエリザと神頼みだ。ユゼフは視線を美男子の頭領へと移した。頭領はユゼフと目が合うや否や、剣を抜いた。
キィーーーンと剣撃の音が響けば、周りの人々は広がるインクのシミのように離れていく。ユゼフの持つ細身の長剣は銀と銅の合金だ。銀白色に輝くお飾りの剣は、今にも折れてしまいそうだった。
反対に頭領は顔に似合わず、ゴツい剣を持つ。柄のところに二頭の鷲の装飾がされた大剣だ。吹けば飛ぶような剣より重量もあるだろう。そして、素人目にも高価だってことぐらいわかる。
服装も貴族っぽいし、顔に傷がなかったら、彼は盗賊に見えないかもしれない──ゆっくり分析している暇はなかった。
大剣が振り下ろされる。視力が動きについていけず、ユゼフは視認しないで受けた。
反射なのか本能なのか、身体に動きを任せれば、斬られずに済む。
興奮状態のユゼフの視覚はおかしくなっていたのだろう。盗賊らしからぬ頭領の美しい顔が歪んで見えた。空間がねじれたかのように、変な感じがする。
否、彼は笑っていた。これは余裕の笑みだ。
なぜだか、無性に腹が立ってきた。
ユゼフは形だけ習わされた剣術を必死に思い出そうとした。動物も殺せない自分を嘲笑った剣術指南役。その腹の立つ顔を思い浮かべ、指導されたとおりの型をイメージする。
派手な金属音を鼓膜が認識したのは、最初の一閃のみ。耳腔に流れ込むのは荒々しい呼気と、空気がシュッシュッと斬られる音。刺激に慣れた脳は甲高い金属音をシャットアウトする。
打ち込む所をあらかじめ予測していたかのように、ユゼフの剣はことごとく受けられた。まるで、指南役が相手になっているみたいだ。練習のよう。
──これは合っているのか?
戦い方すら知らないユゼフは、妙に落ち着いていた。しばらく打ち込み、受けられるのを続ける。殺すため戦っているのに、変な安心感があった。
知らないというのは怖いものだ。
空気は突然変わる。頭領の目が鋭くなった。
──速い!!
剣の柄近くに、強く打ち込まれた。
手がジィンと痺れ、筋肉は弛緩する。ユゼフの手から容易く剣は離れた。上品なお飾り剣はクルクル回り、群衆のもとへ滑っていく。
ユゼフの剣は頑丈な鉄のブーツで止められた。
頭領の連れだろうか。父親くらいの年齢の、長い髭を胸まで伸ばした男がユゼフの剣を踏みつけている。熊男より巨漢だ。
ユゼフの目に銀魚の腹が映った。ギラギラ輝くそれは魚ではなく、本物の刃。頭領がすかさず刃を突きつけてきたのである。時間稼ぎはここで終了した。
「おまえがユゼフ・ヴァルタンか?」
頭領の形の良い唇が問う。まだ髭が薄く、唇だけだったら女の物と変わらない。いっそ、唇も傷付いていたらいいのに、とユゼフは思った。質問には沈黙で返す。
「おまえ、弱いな! 全然軽い! 打ち込む力が弱いんだよ。習ったままをそのまま、生真面目になぞっていただけだろう?」
頭領の言うとおり、図星だ。経験があると、相手の力量もある程度量れるのだろう。バカにした口調も、ユゼフは気にならなかった。こういうのには、イヤっていうほど慣れている。
「馬車の中から、見張りの心臓を一突きで仕留めた手練れとは思えない。あれは本当におまえがやったのか?」
頭領が言っているのは、潜んでいた馬車からディアナを連れて逃げた時のことだ。精気を読み、心臓を的確に捉えた。初めての血の記憶。
答える義理もないので、ユゼフは黙り続けた。
盗賊の頭領とは思いのほか子供っぽいのだな、と思った。虚勢を張っていようが、わかる。実年齢が幼いだけではなく、精神年齢も低い。兄たちのような凄い英雄を間近で見てきたから、なんとなくレベルの違いを感じてしまった。自分はもっと、たいしたことがないにせよ。
──そうだ! いいことを思いついたぞ!
心にゆとりがあれば、冷静になれる。ピンチだと頭が真っ白になってしまうが、今のユゼフにはそれだけの余力があった。
「こっちは仲間を殺されてるんだ。ただじゃおかないからな! クソッ……おまえみたいな鈍臭くて、亀みたいな弱い奴に……」
頭領は執拗に苦情を申し立てている。ユゼフを取るに足らぬ相手と見て、すっかり油断しているのだ。こういうところが子供。ユゼフは亀の動作で、胸元へ手を伸ばした。
「動くな!」
感づかれた。
剣先が迫り、ユゼフの喉元を軽く傷つける。濡れた感触があったので、血が出たのだろう。地味に痛い。突かれたおかげで、自然と身体を傾けることができた。
スルスルスル──
上衣の内ポケットから魔瓶が落ちる。先日、魔獣を封じた魔瓶だ。地面に転がると同時に、辺りの空気が粘つき始めた。地面の下から、何かがうごめくような音がする。
「出でよ、我がしもべ──」
ユゼフはささやき、光を内包した靄が魔瓶から漏れる。
「闇の底から憎悪を連れてこい。罪人どもを懲らしめよ。その身を解き放て!!」
口のなかで唱える。
「もう一度聞く。おまえは……」
頭領が口を開いた次の瞬間、
「ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ」
轟音が響き渡り、辺りは光と煙に覆われた。
呼び出したのは巨大な芋虫……ワームだ。
一瞬で阿鼻叫喚へと変わる。戦いを他人事だと、安心しきっていた野次馬にワームは襲いかかった。逃げ惑う人々に長い胴体を打ち付け、大きな口で片っ端から補食し始める。
直接見なくたって、手に取るようにわかった。地獄絵図を背中で眺めつつ、ユゼフは走り出した。
煙幕は身を守る防具。悲鳴が追い風となる。早くディアナ様のもとへ行かねば……早く──