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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)一章 壁の出現
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10話 臣従の誓い

「嘘だ」

「嘘ではない。シャルドンの実の息子と入れ替わったのだ。俺は十二歳まで農家の十人兄弟の一番下だった」


 からかわれているのかと、ユゼフは思った。だが、シーマは笑っていなかった。


「おまえがヴァルタン家に来たのも同じ時期だったな? 俺が来て一年も経たぬうちに、本物のシーマ・シャルドンは亡くなった」


 ユゼフはまだ信じたわけではなかったが、次の言葉を待った。

 シーマ・シャルドンは高身長に加え、透き通るような白い肌をしている。細く長い指、高い鼻、平たい唇、色素の薄い灰色の瞳、長い銀の睫毛……繊細な外見だけでなく、立ち居振舞いも良家の子息としか思えなかった。


「農家の十番目とは、おまえの魚売りよりひどい。でも俺は今、ここにいる」


 一息呑んで、


「俺は今、ここにいる。シーマ・シャルドンとして」

 

 シーマは繰り返した。


「さて、おまえの前にいる五十人は多いか、少ないか?」

 

 シーマの顔は薄笑いに戻った。ユゼフは言い淀んだ。正解を答えられるか、自信がない。


「……多くも少なくもない。人数より質の問題だと思う」

「ほう、質とは?」

「賢さだ」

「その五十人のなかに、おまえより賢い者はいるのかな?」

「さあ……? でも、王になろうとする者はいる」

 

 それを聞くと、シーマは満足そうにうなずいた。


「クロノス・ガーデンブルグは王として相応(ふさわ)しいか? 三百年前までここを統治していたのは不老不死と(うた)われたエゼキエル王だった。大陸は魔の国を除いて、すべて鳥の王国。海の向こうから、ガーデンブルグの一族がやって来るまでは三千年もの間、この大陸は平和だったんだ」


 そのとおり。三百年間、貴族が富を専有し、戦争の絶えない状態が続いている。


「さらに、おぞましいことがもう一つ。俺には亜人の汚れた血も混じっているようだ。白過ぎる肌や黒く染めて目立たなくしている銀髪は、その影響かと思われる」

 

 シーマはユゼフの耳元で囁いた。


「知っている。ペペ、おまえも同じだってことを」

 

 ユゼフはビクッと体を震わせた。


「おまえも髪を染めているだろう。瞳の色も目立たないが、濃い藍色をしている。普通の人間が持つ瞳の色ではない。だから、すぐ目をそらす。それに、俺もおまえも不思議な力を持っているようだ」


 シーマはワインを注ぎ入れた。


「返事を聞こうか?」

 

 しばし黙り込んでいたが、ユゼフの心はすでに決まっていた。


「従う。シーマ、君の望むとおり」 

 

 シーマから華やいだ笑みがこぼれる。通常時の薄笑いとは種類の異なる笑顔だ。


「では、臣従の誓いをしなくてはな? 聖典を使うか、剣を使うか……おまえはどんなやり方がいい?」

「どんなやり方でもいいよ」


 シーマはそう言われるのを最初から、わかっていたようだった。


「ならば、魔族のやり方でやろう。これはユゼフ、おまえと俺の間だけで取り交わす方法だ。今後、誰かに誓いを立てさせることがあっても、同じようにはしないと約束する」


 シーマは(さかずき)を空にし、一振りのダガーを腰から外した。

 きらめく刃を前に儀礼の言葉が紡がれ始める。


「地の神の子ユゼフ・ヴァルタンよ、サタンの名のもとに我シーマ・シャルドンの右手になり、左手になり、目になり、口になることを誓え。我望む時に命と心を捧げ、尽くして仕えよ。敵を退け、我に道をあけよ。月が昇る夜も昇らぬ夜も、死してもなお、我に仕えよ……」


 シーマは腕を切った。

 ほとばしる真っ赤な血が真鍮の杯を並々と満たす。

 その間、ユゼフは以前魔術書で読んだやり方を懸命に思い出していた。

 始めに、シーマの前に(ひざまず)いて頭を垂れる。


「サタンの名のもとに、地の神の子ユゼフ・ヴァルタンはシーマ・シャルドンの右手になり、左手になり、目になり、口になることを誓います。日が昇らずとも、雨が大地を覆い尽くすとも、死すともなお、この心この身体をシーマ・シャルドンに捧げます……」

 

 ユゼフも同じように腕を切って、流れ落ちる血を杯で受け止めた。

 その先の手順はこう──

 杯を交換する。ユゼフの血をシーマが飲んでから、ユゼフがシーマの血を飲む。

 

 直前になって、ユゼフは後悔した。血を飲むのには抵抗がある。魚は食べられるが、肉は食べられないのである。生き血を飲むなどもってのほかだ。

 シーマは少し口をつけただけだった。次はユゼフの番。早く飲めと目で促してくる。

 ユゼフは目をギュッとつむり、息を止めて口に含んだ。


「!」

 

 それは信じられないほど、おいしかった。

 父に無理矢理、牛肉を食べさせられた時とは違う。牛肉はとても生臭かったのだ。嘔吐の止まらないユゼフに、父は蔑みの眼差しを向けていた。あの時もこれぐらい、おいしければ……


 シーマの血は甘く、まろやかで……なんというか、官能的な味がした。中毒性がある。

 獣のごとく喉を鳴らし、夢中で(すす)り、気づいた時には全部飲み干していた。

 シーマはめずしく、もの問いたげな顔をしている。ユゼフは無意識のうちに、血を貪っていた。

 引かれていたのだろう。シーマが微笑みの仮面を付けるまで、間があった。やがて、


「ユゼフ、おまえに最初の任務を与える」

 厳かに口を開いた。


「ディアナ王女を守れ」


 ユゼフはすぐに反応できなかった。もったいぶっていたわりに、シンプル過ぎやしないか? 隠密のような高度な仕事を任されるのかと思っていた。王女を守れとは、従者として当然の役割ではないか。


「……それだけ?」


 ひざまずいたユゼフが顔を上げると、シーマは軽くうなずいている。


「今後、第一王女のディアナは各方面から狙われることとなる。生きた状態のディアナ王女をある場所へ、時間どおりに連れて行ってほしいのだ。美しい顔と子供を産む機能さえ無事であれば、傷物になってようが構わない。欲しいのは王家の名と血だ」

「計画の内容をある程度、教えてくれないと……うまく立ち回れるか、わからない。」

「全容を知らせるわけにはいかない。誰よりもおまえのことを信用しているが、教えられないんだ」

「では、王女を守る理由だけでも教えてほしい」

「ペペ、おまえは俺の嫌いなものを知っているだろう?」


 声音が変わらなくとも、空気は変わった。ユゼフは沈黙せざるを得なくなった。


「愚か者だ。なぜ王女を守るのか、それぐらいは(おもんぱか)ってほしい」

 

 それ以上、ユゼフは何も聞けなかった。シーマは続ける。


「王女が婚約儀礼を済ませて帰路に立とうとするころ、“時間(とき)の壁”が現れる。そうしたらまず、モズのソラン山脈へ向かう。詳しい場所はあとで教えるが、ここには「虫食い穴」がある。虫食い穴はグリンデル王国につながっている。虫食い穴を通り、グリンデル王国に着いたら、今から言う場所へ向かえ。グリンデル王国と魔の国、そして鳥の王国、三国を隔てる境界が交わる所、そこに王女を立たせよ」

 

 「虫食い穴」というのは、アニュラス大陸の所々に点在する異空間トンネルのことである。

 虫食い穴を使えば、数十万スタディオン(数万キロ以上)離れた場所に瞬間移動することができる。

 シーマが言葉を切ると、即座にユゼフは口を挟んだ。


「……ま、待った! いくつか質問がある」

「質問は一つだけ受け付ける」

 

 ユゼフは大げさに息を吐いた。

 先ほど飲んだ血か、ワインのせいか、頭がうまく働かない。それに加えて話の進行が早過ぎて、ついていけなかった。


「王女を守る護衛隊長は兄のダニエルだ。俺はただの従者で、なんの指導権も発言権も持たない。どうやって王女を誘導すればいい?」

「さっき、五十人の話をしたばかりじゃないか?」

 

 シーマは人差し指を顎に当てた。


「物理的に無理な部分はうまく事が運ぶよう、こちらからある程度、手を回しておく。おまえの兄は無能な堅物だ。おまえのことなど視界にも入ってないし、おそらく早死するだろう。護衛隊は王女を狙う者に襲われる。もし、ヤバい状況に陥ったら、王女だけ連れ出して逃げればいい。王女の一番近くにいるのはおまえなのだから、どうにでもなる」


 ユゼフにはシーマの言っていることが、よくわからなかった。


 ──従者として王女を守る、そして指定の場所に誘導する。誘導についてはある程度、手を回しておくそうだが……


「不安なのだな」


 シーマはユゼフの両肩に手を載せた。


「力を抜くといい。息を深く吸って吐く」


 シーマに触れられると、ふたたび心を撫でられているような奇妙な感覚に陥った。


「ペペ、おまえにはできる。これは、おまえにしかできないことだ。俺はおまえを誰よりも信じている……」 

 

 シーマの言葉は強い暗示となって、心に直接刻み込まれていった。


「王女をその場所に連れて行く日時が重要だ。薔薇の月八日の正午、太陽が真上に昇りきった時、その場所に立たせなくてはいけない」

「壁を抜けて無事帰還する方法は?」

「王女を連れて行けば、わかる」


 答えてからシーマは額に手を当て、


「質問は一つだけと言ったはずだぞ? 今日は飲もう。俺は命の次に大切な腹心と、当分離れ離れになるのだから」


 (さかずき)をかざした。




 ユゼフがシーラズ城を出た時には夜が白み始めていた。一晩、飲み明かしたのである。

 帰り際、シーマは意味深な言葉を残した。


「そうそう。できたらでいいが、カワウ国のフェルナンド王子を始末しておいてくれ」

「冗談はもういい」

「冗談ではないさ。俺の右側は、おまえのためだけに空けておく。次、会う時は陛下と呼ばせてやるよ? 間違っても、シーちゃんなどとは呼ばないように」




 ††  ††  ††


 小鳥のさえずりが聞こえる。思い出しているうちに寝てしまったようだ。


 カーテンの隙間から差し込む朝日が涙を滲ませる。ユゼフは大きな欠伸(あくび)をした。それから、あやうく伸びをしそうになり固まった。目の端に映る金髪と、肩に感じるズッシリとした重みを忘れていたのだ。ディアナは昨晩と同じ体勢で、爆睡している。


 胸の辺りに湿った吐息がかかる。実を結ぶまえの可憐な花の香り。なにより心を奪われるのは、微かに聞こえる花の囁き──彼女の寝息だ。


 ──ああ、かわいらしいな


 夢より現実のほうが素晴らしいなんてことは、(まれ)だ。しばらくこのままでいたい。難しいことをあれやこれや考えるより、今はこの幸せを存分に味わうべきだ。


 ──結局、思い出したところで一つも、邪悪な気配と結びつかなかったな


 シーマが国内で何か起こしたのか。壁に遮られ、情報が得られない状況では何もわからない。

 

 ユゼフにできるのは王女(ディアナ)を守ることだけだ。

ここまでお読み下さりありがとうございました。お気に召されましたら、ブクマ、評価してくださると幸いです。


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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる設定集

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまで読ませて頂き。ヨゼフの行動の原理が理解出来ると同時に背景も詳らかに。大きな驚きの中に畏怖や喜びも含まれ。それは少なからずヨゼフの境遇を理解するのとシンパシイも感じます。主人公は主人…
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