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それがほんの数分前の事。教室へと戻る渡り廊下の途中で、私は今、精一杯背伸びをしていた。
「アリア様、本当に大丈夫ですか? やっぱり私が・・・」
「大丈夫。ちゃんととって見せますわ・・・!」
オーウェン様対策を考えながら教室に戻る途中、偶然クラスメイトを発見したのだ。それもなにやら困っている様子。なんだろうと声をかけてみたら、午後の授業で使うプリントを風で飛ばしてしまったらしい。大部分は回収し終えたのだけど、一枚だけ木に引っかかってとれない、とのことだった。
それは一大事だ。だけど、流石に木登りをするのはまずいだろう。自分の立場は忘れてはいない。公爵令嬢が木登りだなんて、あまりにも外聞がよろしくない。だめだめ。
何か使えそうなものはないか、と周囲を見渡して、長い棒(ポール?)を発見し、これで枝を揺らしてみよう、となったのだ。
プリントは下からでは見えないため、必然的に一人は位置を教える係、一人は棒で突く係となる。可憐な貴族令嬢に棒を持たせるなんてできるはずもなく、私がその係を請け負ったのだけど。
重っっい! 棒が何故かとても重い! 何に使うんだ、こんなもの! 誰だ、こんなところに放置したのは!!
「アリア様、せめて二人で・・・!」
「いえ、指示をお願いします! 問題ありませんので・・・!」
ふらふらとしている私にクラスメイトがハラハラと提案してくれるけれど、正直早く場所を教えて欲しい。いつ限界が訪れるかもわからないのだ。一分一秒でも早くこの棒を手放したかった。
「右です」「行き過ぎました」「もうちょっと前・・・!」
私の心境が通じたのか、クラスメイトも指示を出し始めた。私は彼女の合図を受けながら、右へ左へ前へ後ろへ。中々思った場所に当たらずにふらふらと移動を繰り返す。
そんなときだった。
「きゃあ!!」
「っ!!」
急な風に、体があおられる。ただでさえ足元が覚束なかった私は、棒を支えきれず、思わず足を滑らせた。
ああ、これはダメだ。ぶつかる・・・!!
これは地面に転んだ上、棒が降ってくるパターンだ。痛い。絶対に痛い。そう思って、衝撃に備えて目を瞑っていたのだけど・・・
いつまで待っても衝撃はやってこない。変わりに、
「何やってんだ、お前」
どこか呆れたような声が、降ってきた。
恐る恐る目を開ければ、目の前にとても見知った顔があった。声で予想はしていたけれど、信じられずに思わずぱちぱちと目を瞬かせる。
「・・・パーシェル様?」
「おう。立てるか?」
言われて、私はやっと自分の状況を理解した。
背中に回された逞しい腕。穏やかなぬくもり。これは、もしかしてもしかしなくても・・・!
「す、すみません! ありがとうございます!」
パーシェル様に抱きかかえられてるのだと気付いて、いつまでもそのままでいられるはずがない。慌てて離れれば、くつくつと笑う声がした。
だけど、彼はいつまでも人の失敗を笑うような人ではない。私に怪我がないのを確認すると、すぐに笑いを収めてくれた。
「で、何やってたんだ? こんなもん振り回して」
こんなもん、といいながら、私が苦労して持っていた棒をぶんぶんと振り回す。くっ・・・これだから体を鍛えている人は。いや、私が同じようにできてはいけないんだけど。いけないんだけど、こう、なんというか、こうも軽々と振り回されると、いろいろと思うことはあるのだ。
とはいえ、私だって空気は読める。今はプリントのほうが重大だ。
「風でプリントが飛ばされてしまって、とろうとしてたんです」
「プリント?」
木の上を指差せば、先ほどの風で場所を更に移動していた。けれど、やはりまだ手が届きそうな距離ではない。むしろ、先ほどよりも更に上に移動しているようにも見える。これはもう無理だろう。
仕方ない。先生に説明して、新しいものをもらうしかなさそうだ。不可抗力だし、先生も怒りはしないだろうし。
そう思って、クラスメイトに向き直ろうとしたときだ。
「よっ」
小さな掛け声をあげて、パーシェル様が棒を投げた。・・・・・・え、投げた!?
ブンと風を切る音とともに、棒が空に飛んでいく。木の枝を掻き分け、否、むしろ切り落とす勢いで投げられたそれは、プリントを支える枝に当たると、ゴッと鈍い音を上げて動きを止めた。
変わりに木が豪快に揺れる。わっさわっさと枝がゆれ、木の葉が落ち、それらに交じってプリントもひらひらと落ちてきた。
「ほら」
右手でプリント、左手で重力にしたがって落ちてきた棒をキャッチしたパーシェル様。そのままプリントを差し出されても、私は開いた口が塞がらない。
え、だって、え。何が起きたんだ、今。え。・・・え?
「おーい。いらないのか、アリア?」
「はっ!?」
目の前でひらひらと手を振られたら、さすがの私も我に返る。なんだかすごいものを見せられた気がするけど、気にしては負けだ。きっとそういうことなんだ。
それに、プリントをとってくれただけなのはわかっている。手段があれだったとはいえ、素直にお礼を言うべき場面だ。
「あ、ありがとうございます、パーシェル様」
「おう」
お礼を言えば、くしゃくしゃと頭を撫でられる。雑な撫で方だけど、この人に撫でられるのは嫌いじゃない。むしろ、なんだか安心するから、昔から大好きだ。
思わず目を細めて擦り寄ってしまったのは、本当に無意識だ。予鈴が鳴らなければ、私はいつまでも撫でられていただろう。
「あ、いけない。パーシェル様、本当にありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、パーシェル様から離れる。クラスメイトに声をかければ、彼女はどこか呆然としていたけれど、置いていくわけにもいかない。手をとって歩き出せば我に返ったのか、慌てて彼女も足を動かし始めた。
一度だけ振り返れば、パーシェル様がひらひらと手を振ってくれていた。はしたないかなぁ、と思いながらも、私も手を振り返す。パーシェル様は一瞬驚いたように目を丸くしたけれど、すぐに嬉しそうに笑ってくれたから、私も笑って彼と別れた。