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※アーダルベルト視点
その報告を聞いたのは、参加者の待合室でのこと。パーシェルが駆け込んできたかと思ったら、「アリアが怪我をした」と教えてくれた。
アリアが、試合の余波を受け、頬に傷を負ったと。
報告を聞いて、足が向いたのは試合会場だった。そこでは隣国の王子が相手を叩きのめしているところで、怒りさえも感じる気迫に、あれがアリアを傷つけた相手だと理解する。
見覚えがない。貴族ではなさそうだ。一般の入学者か?と考えたところで、パーシェルが教えてくれた。
「一般入学のティトゥスだ。モントール侯爵家の子飼いだよ」
「モントール侯爵家だと?」
「そ。お前も知ってる通り、アリア苛めてた侯爵家」
なるほど。アリアを苛めてた侯爵家の子飼い。アリアが選んだ代理人が王子だったから、勝つに勝てなく小細工を仕掛けてきた、と。ハッ。
――いい度胸だ。
「おい、アル。おーい。すっごく嫌な予感するんだけど。なぁ、アリアのところ行こうぜ? な? 大人しく見舞いに行こ?」
「アリアにはマリナーがついてるんだろ。僕はやることができた」
「絶対にいいことじゃないだろ!?」
いいこと、か。どうだろうな。でも必要なことだ。
足を翻した僕の後を、パーシェルがぎゃあぎゃあ言いながらついてくる。でも、今の僕には、それをうるさいと思う余裕もなかった。
基本的に。貴族社会というのは爵位が絶対だ。爵位が上の者に逆らうなどあってはいけない。最近では事情があれば必ずしも絶対服従、ということはなくなってきたけど、それでも相当の事情がなければ認められない。
王族を除くと、爵位のトップに立つのは公爵だ。その次が侯爵。そして伯爵、子爵、男爵・・・と続いていく。つまり、我がミュラー公爵家に喧嘩を売る場合、同列の公爵家か王族でない場合は、喧嘩を売った時点で罪となる。相手が侯爵だろうが、大臣だろうが関係ない。我が一族に逆らうだけで罪。
それをどうやら、モントール家は忘れているようだ。
「愚かな侯爵家があったものだ。そう思わないかい?」
笑顔で尋ねた言葉に、返事はない。目の前にいるティトゥスとやらは、黙って僕の話を聞くだけだ。
愚かな手段を取った割には、分をわきまえている。下手なことを言えばすべて自分の身に・・・引いてはモントール家に降りかかるとわかっている。
「黙り込むだけか」
思わず声が低くなったが、これくらいでは堪えていないようだ。アリアの怪我は事故だ、くらいは言うかと思ってたけど、それもなし、と。
これは手ごわそうだな。まぁ、簡単に折れるようでは面白くないけど。
暴力は使わない。それは愚か者のすることだ。僕の目的はただ一つ。
この男が、モントール侯爵の命令でアリアを傷つけたと認めればそれでいい。
「弁明があるなら聞く。アリアを傷つけた謝罪でもいいよ」
「・・・・・・」
反応なし。ふぅーーーん・・・
さて、どうしようか。侯爵家の娘がアリアを苛めていた証拠はすでにそろえている。こいつが自白すれば、あの家を取り潰すには十分なんだけど。
他人から見れば試合中の事故。狙ってやったのだという証拠は何もない。仕方ない、カマをかけてみるか。
そう考えた、次の刹那。
「兄様、ストップ、ストーーップ!!」
「っ!」
唐突に響いた声に、体が勝手に声の主を探す。すぐに見つけた金の輝きが近寄ってきたと思ったら、どんと抱きついてきた。
「そこまで! 終わりです、兄様!!」
僕を見上げるのは、可愛い妹。その頬に残る一筋の線を見つけて。
ぶわりと殺意が沸くのがわかった。
「兄様!!」
それを敏感に感じ取ったのだろうか。アリアが僕の両頬に手を添えたかと思えば、ぐっと力をこめて引かれ、エメラルドを思わせる深い緑の瞳が近くなった。
「今! 兄様の前にいるのは私です! 私以外を見ないでください!!」
一瞬、何を言われたのかわからなくて反応が出来なかった。そんな僕の前で、アリアが言葉を紡ぎ続ける。
「学校行事での怪我に家は持ち込まない。この学園のルールを破らないでください」
学園のルール。そういえばあったな、そんなもの。でも。
「君に怪我をさせたんだよ?」
「こんなかすり傷、すぐに痕も残らず治してみせます。こんなことで事を荒げないでください」
「君にとっては掠り傷でも、僕にとってはそれ以上の傷だ」
「当事者の私が掠り傷だと言っています。それに、これは事故です。私が事故だといえば、事故です」
事故だって? そんなわけがないと、気付いていないアリアじゃないだろう?
こいつは君を苛めていたモントール侯爵家に縁があって、君を傷つけた。君を苛めていたことについては、すでに証拠もそろえてる。例え本当に事故だったとしても、苛めの事実だけでモントール家を追い込むことは可能だ。可能なのに。
君はまだ、こんなやつらを庇うのか。
「あいつを許せって?」
これ以上はいけない。いけない感情だとわかっている。被害者であるアリアを怒りたいわけではないのに。なのに。
「事故に許すも何もないでしょう? ちょっと私の反射神経が残念だっただけです。そうでしょう、兄様」
アリアはまだ、僕には理解できないことを言う。理解したくないことを、受け入れがたいことを口にする。
アリアは優しい。事を荒げたくないのだと、それだけなんだとわかっている。
そして、それは僕と正反対の感情だということも。きっと君はわかっている。
だからこそかな。今まで必死だったアリアが、ふわりと笑った。
「大好きな兄様。どうか私の我儘を聞いてくださいな」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・・その言い方はずるい」
「効果は抜群でしょう?」
抜群だ。ああ、認めるとも。アリアの我儘を聞くのは、僕にとっては生き甲斐のようなものだ。
例えどんなに嫌な願い事であろうとも。
心を落ち着けるために深く深呼吸をして、小さな体を抱きしめる。ぎゅっと抱きしめれば、アリアもまた背中に手を回してくれた。
「・・・・・・もし痕が残ったら、お嫁さんの貰い手がないかもしれないよ?」
「それはそれで兄様の傍にずっといれるのでラッキー・・・と言いたいところですが、その場合は殿下がもらってくれるそうです」
「は?」
今、なんて言った? 殿下だと?
今まで頭に入ってなかったけど、アリアと一緒にマリナーもきていたのは見えていた。
弾かれるようにマリナーを見れば、困ったような顔で頷かれる。は? なんだそれ。何がどうしてそうなった。ちょっと待て。ほんと待て。
「アリア、離して」
「もうあの人のこと苛めませんか?」
「うん。マリナーと話がしたくなった」
正直、今はそれどころじゃない。こっちのほうが重要だ。
アリアが離してくれたことで自由になった体は、まっすぐにマリナーに向かう。ぐっと服を掴んで引き寄せながら睨めば、マリナーはますます眉根を下げた。
「どういうこと?」
「どうって・・・アリアが言った通りだよ」
「君の心境について聞いてる。ただの同情ならお断りなんだけど」
「同情なんかじゃない。私はアリアを愛してる」
「・・・・・・・・・は?」
そのときの僕は、どんな顔をしていたんだろう。だって今、なんて言った?
愛している? アリアを? マリナーが?
「今更そういうこと言うわけ? 今まで僕やオーウェンが何を言っても自覚しなかったくせに?」
「え? どういうこと? 知ってたのかい?」
「知ってたも何も、君、アリアに対してだけ甘いだろう。気付かないほうがおかしい」
むしろ、何故自覚しなかったのかがわからないレベルだったくせに。
マリナーはアリアに甘い。アリアに限らず、女性には甘いところがあるけど。でも、ミーシャとアリア、もしくは姫様とアリアを比べれば、その違いは歴然としてる。
マリナーは決して、二人に自分から微笑みかけない。それどころか、ミーシャに対しては自分から話しかけることも稀だ。そんなマリナーが、アリアに対しては自分から動く。小さなことでからかったり、その詫びだと好きなものを与えたり。一々反応を返すアリアが可愛くて仕方ない、って顔をしていたり。見ているこっちが恥ずかしくなるくらいだったのに、なんで今まで気付かなかったのか。本当に不思議でならない。
・・・というか、今もまだ自覚ないな、この顔は。
「・・・甘い、かい? 君より?」
「僕と比較するのはおかしい。僕たちは血が繋がった兄妹だ。他人が比較していい関係じゃない」
「そう、だったのか・・・自分ではそんなつもりなかったんだけど」
・・・やっぱり。まだ自覚なしなのか。なのになんで気付けたのか、逆に不思議に思えてきた。
だけど、今はそれはどうでもいい。
「自覚したんなら僕に言うことあるんじゃない?」
もし、本当に君がアリアを愛しているというのなら。僕に、僕たち公爵家に、言わなくてはいけない言葉があるはずだ。
「・・・アリアを、君の大事な妹を私にくれないか。大事に大事に愛おしむから」
マリナーが本気で言っていることは、目を見ればわかる。僕から目をそらさずまっすぐに紡がれた言葉に。少しだけ、泣きそうになった。
ああ・・・僕はこの言葉を、どれだけ待ち望んでいたんだろう。
「君相手なら喜んで。でも、僕は何もしない。君がアリアを口説き落とせたら、の話だ」
「それは・・・うん。頑張るよ」
この国は恋愛主義だ。王子であろうと、政略結婚のために愛を捨てること、捨てさせることは許されない。否、王子だからこそ、国王夫妻が許さないだろう。
だからこそ、アリアがほしいなら彼女を振り向かせてもらわなければいけない。アリアを愛していることは、彼女の夫になる男の最低条件。
アリアが愛している人と結ばれること。それが彼女の幸せであり、僕にとっても幸せなのだから。




