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ランス様や騎士の皆様と一緒に馬小屋まで行って、馬たちを繋いで。今度は控室への道を歩く。道中話すのは、なんてことない世間話だ。
元気にしてたか、とか、困ったことはないか、とか、今日の武術祭はどうなりそうなのか、とか。
パーシェル様の家族は陽気な方が多く、ランス様も例に漏れない。久々の会話はとても楽しく、控室までの時間はあっという間だった。
「ここです」
たどり着いた部屋の前で足を止めれば、ランス様達も同じように立ち止まる。先ほどまでの楽しそうな様子はどこへやら。なぜか扉を睨み付けているランス様を疑問に思いながら、私は目の前の扉をノックした。
「アリアです。ランス様、および、騎士の皆様をお連れしました」
中に向かって話しかければ、ゆっくりと扉が開く。と、同時に、私の横を風が走り抜けた。
窓を開けてたのかな、と思ったけど、どうやら違ったようだ。反射的に髪を抑えた私の前で、パーシェル様がランス様に組み敷かれて・・・いや、うん? なんていうんだろう? 技をかけられてるのかな? 組み敷くとは違う気がするけど、床に押さえつけられていた。
「よぉ、愚弟。昨日ぶりだな。アリア嬢を働かせながら自分は優雅に待機とは、いい身分になったものだな、ええ?」
「ギブギブ! 本気で締めるな、馬鹿力!!」
「それだけ大声が出せるなら、まだ余裕だろう」
「全然余裕じゃない! ギブだっつってんだろ!!」
床の上でぎゃあぎゃあとじゃれ合ってる二人を見てから、視線を奥へと移す。そこには苦笑している殿下と、うるさそうに耳を塞いでいる兄様、そして微笑ましそうに見つめるオーウェン様がいる。私はどんな顔をしているんだろう。・・・たぶん、殿下と同じような顔だろうな。
オーカー家にとって、これくらいのじゃれ合いは日常茶飯事だ。「騎士の家系なんてそんなもの」と言っていたのは、確か一番上のお兄さんだったと思う。まぁ、人によってコミュニケーションに差があるのは当たり前だろうから、とあまり気にしたこともなかったけど・・・好意的に見れるコミュニケーションとそうじゃないコミュニケーションがあると思うんだよね、うん。
さて、どうしようかな。流石にこのまま放置し続けるわけにも・・・
「ランシェル殿」
静かな声が部屋中に響き渡る。と同時に、今までパーシェル様を押さえつけていたランス様がすくっと立ち上がって、殿下の前に歩み出た。そして、お手本になるくらいに綺麗な敬礼を行った。
「失礼しました、殿下。お見苦しいところをお見せしました」
「仲がいいのは良いことだが、家でやってくれると有難い」
「そうします」
「え」
パーシェル様の反応は、誰もが見なかったことにして、やっとお話が進むみたいだ。ランス様の突然の奇行に固まっていた騎士団の人たちも、今は部屋の中に勢ぞろいして敬礼している。
私はそっと場所を移動して、兄様の隣にお邪魔する。気づいた兄様はにこりと笑って、よしよしと頭を撫でてくれた。
「お疲れ様。連れてきてくれてありがとう」
「これくらいならいつでも任せてください」
撫でられるのが嬉しくて思わずすり寄れば、兄様は笑ってもう一度撫でてくれた。そのまま温もりは離れてしまったけれど、十分だ。仲直りしていて、本当に良かった。
にこにこと上機嫌な私をよそに、殿下たちのやり取りはすでに始まっていた。
「団長殿は来れないと連絡があったが、何かあったのか?」
「陛下からの緊急の呼び出しで、詳細は私も知りません。急でしたので副団長の都合も悪く、殿下と面識のある私が参りました」
「それは構わないが・・・」
殿下の歯切れの悪さはわかる。国王陛下から、騎士団団長の緊急の呼び出し。響きがあまりにも不穏すぎる。私だって思わず背筋が伸びたくらいだ。殿下が気になるのは仕方ないだろう。
だからこそ、陛下は先手を用意していたようだ。
「殿下には陛下からの言付を預かっております。『勝つことに集中せよ』と」
ランス様の言葉を聞いて、殿下がぱちぱちと目を瞬かせている。あの温厚な陛下がそんなことを言うなんて信じられない、とでも言いたそうで、そう言いたいのは私もだ。
でも、騎士の人たちが陛下の言葉を偽るはずがない。あの方が本当に発した言葉なのだろう。
それがわかったから、殿下も困ったように笑うしかないのだ。
「確かに聞いた。だが、審査は公平に頼む」
「もちろん。我が騎士団の誇りにかけて」
気のせいだろうか。なんだかランス様が嬉しそうに見える。けど、今の会話の流れで嬉しいことなんてあっただろうか?
よくわからないけれど、ここから先は今日の打ち合わせが始まるはずだ。主に一日の流れや、試合の細かいルールの再確認などなどなど・・・うん、正直、つまらない。
無言で兄様を見上げれば、考えてることは伝わったのだろう。くすりと笑われたけど、
「場所取り行っていいよ。ちゃんと僕からもわかる場所にいてね」
そう言われては、私の返事は一つしかない。
「はい!!」
元気よく了承して、殿下たちに断ってから部屋を出る。流石兄様、話が早い!
今日の武術祭は、参加しない人たちにとっては観戦が唯一の楽しみだ。観戦しない人は学校に来なくてもいいけど、大体の人は見にやって来る。特に令嬢たちにとっては、大好きな人を声を上げて応援していい唯一の日だ。力だって入るに決まってる。
そして、観客席は早い者勝ちだ。一部、参加者用の観戦スペースがとられているけれど、それ以外は自由なので、いい場所は早く埋まっていく。去年までの私なら、もう場所取りを終えてる時間だ。一刻も早く移動したいのは、兄様にはバレバレだったようだ。
足早に構内を歩いていた時。ふと見慣れた人物が目に入って、流石の私も足を止める。どうしようか一瞬迷って、
「エミリオ様」
そう呼びかけたら、エミリオ様が私に気が付いて、ほっと安心したように笑った。
「ああ、よかった。探してたんだよ」
「それはすみません。生徒会の仕事を手伝ってました。ご用事でした?」
お互いに歩み寄りながら言葉を交わせば、エミリオ様はうんと頷いて、
「君の賭けの相手。聞いてなかったな、と思って」
あー、そういえば。話していなかったかも? しまった。戦う相手を教えていなかった、なんて私の失敗だ。
だけど、どうしようかな。あれから兄様たちの目が厳しくなったせいか、あの人に会ってない。なので、私も誰が代理の相手なのかは知らないままだ。教えようにも教えれない。うん、困った。
そう思った時だ。視界の奥にあの人を見つけて、思わず目を丸くしてしまった。私の様子が変わったことに気付いて、エミリオ様も同じ方向に視線を向ける。
「あれかい?」
「ええ。隣にいる人が代理人でしょうか」
「たぶんね。さっき控室で見た顔だ」
うん、私も見たことがある。間違いなく参加者だ。
向こうも私たちに気付いたようで、令嬢の目が大きく見開かれる。と同時に、なぜかそのまま踵を返し、私たちとは反対方向に歩いて行ってしまった。
・・・って、ちょっと待ったーー!!
「私の代理人はエミリオ様です! 確かにお伝えしましたから!!」
遠くにいる彼女にも聞こえるように声を張れば、彼女は勢いよく振り返って、忌々しそうに睨み付けてきた。けど、それはほんの一瞬のことで、すぐに前を向いて歩き去ってしまう。
さすがにもう呼び止める気も、用事もないので、大人しく見送る。
それよりも。今は隣で震えているこっちのほうが気になって仕方ない。
「エミリオ様」
「いや、ちょっと・・・ごめん、今無理・・・」
お腹を抱えて、口元を抑えて。ふるふると震えられれば、誰だって気になる。
私、そんなにおかしいことしましたか!?
「エミリオ様」
もう一度呼べば、我慢の限界を突破したようだ。エミリオ様は体を折り曲げながら、今度こそ声を上げて笑い始めた。
「あっはっはっは! あんなに大きい声出せたんだねぇ!!」
「そこまで笑われるほどじゃないです」
「無理でしょー! 仮にも公爵家の令嬢が・・・っはー。ほんと君って面白い!」
「・・・・・・」
いや、わかるよ、エミリオ様の言いたいことは。普通、令嬢は大声なんて出さないし、出す必要もない。むしろ、はしたないから避けるべきだとさえ言われている。だからこそ、今日みたいな「大声で応援していい日」が特別になるわけだしね。
でも、ここで何も言わずに難癖をつけられるのは絶対にごめんだ。エミリオ様が代理人なんて知りませんでしたー、って言われては、元も子もない。エミリオ様が勝ってくれても、賭けが台無しになってしまう。それよりは、多少無茶をしてでも知らせておいた方がいいに決まってる。振り返ったし、エミリオ様もちゃんと聞いてたし。これで白を切り通されることもないだろう。
言いたいことを視線に乗せて、まだ笑ってるエミリオ様を睨み付ける。それでもすぐには笑いやまず、何とも言えない時間が流れる。
エミリオ様が笑い止んでくれたのは、それからたっぷり数十秒は経った後だった。
「はー・・・笑い疲れた」
「・・・これが理由で負けたら怒りますよ」
笑い疲れて本番の勝負に負けた、だなんて流石に笑えない。兄様たちになんて言い訳すればいいんだ。
笑いすぎてたまった涙を拭っているエミリオ様を見る目が、自然と険しいものになってしまう。けど、エミリオ様はまだ楽しそうに相互を崩したまま、
「流石にそれは自分でも怒るから大丈夫だよ。あと、もう一つ確認したいんだけど」
「なんでしょう?」
「借りの話」
この流れで、何があるのだろうと思っていたら。思わぬものが持ち出されて、きょとりと目を丸くしてしまった。
そんな私をエミリオ様はまっすぐに見つめながら、
「君の代理人を引き受けた見返りに、僕と君の兄上殿が戦うことになったら僕を応援して、っていうのは」
「だめです」
エミリオ様の言葉を最後まで待たずに却下する。だって、それはダメだ。受け入れられない。兄様と姉様に対して、私が譲るなんてありえないだろう。私のアイデンティティに反する行為だ。絶対にできない。
エミリオ様もわかっているはずだ。わかっていて口にするのだから、タチが悪い。口調も強くなるというものだ。
即答で拒否した私を、エミリオ様はじーっと見てくる。若干の居心地の悪さを感じながらも堂々と睨み付け返せば、エミリオ様はなぜか嬉しそうに、
「わかった。違うことを考えるよ」
と簡単に折れてくれた。・・・やっぱりわかってて聞いてきたとしか思えない。なのになんでそんな嬉しそうなんだ。本当に意味が分からない。
「でもさ、その話とは別問題として、僕が優勝したら君は祝ってくれる?」
今度は聞きたいことがちゃんとわかった。エミリオ様が優勝したら・・・つまり、兄様に勝ったら。私がどんな反応をするのか、気になってるんだろう。
だけど、見くびらないでほしい。私は兄様が好きだし、応援するのも兄様だ。だけど、正々堂々と勝負した結果として、勝者を讃えれないほど小さいつもりはない。・・・まぁ、悔しいとは思うだろうけど。それとこれとは、全く違う話だ。
「ええ、もちろん。なので安心して戦ってくださいね」
だからこそ、笑顔で当たり前の言葉を口にすれば。
「うん、そうする」
エミリオ様が満足そうに笑って、「じゃあね」と言葉を残して去っていく。その笑顔が、あまりにも綺麗で。
不覚にも、私は呆然とエミリオ様を見送ることしかできなかった。




