11 ※オーウェン視点
※オーウェン視点
あの日以来、アリアちゃんは時々生徒会室を訪れるようになった。週に一度か二度。放課後になると、控えめなノックの音が生徒会室に響く。
その音を、私はもちろん、殿下も、パーシェルもとても楽しみにしていた。
今日も響いたノックの音に、主である殿下が答えるよりも早く、パーシェルが扉を開く。
「よ、アリア」
「失礼します」
気軽な挨拶をするパーシェルに対し、アリアちゃんはぺこりと一礼。うん、行儀のよさが現れてる。公爵家の教育の賜物だろう。
パーシェルにエスコートされてソファに座る姿も絵になっている。凛としたミーシャ嬢と違い、可憐なアリアちゃん。両極端ともいえる二人が仲がいいのは、なんだか不思議な気がした。
「あの、今日は、兄様たちは・・・」
「職員室にいってる。すぐ戻るさ」
あからさまにほっとした様子に、私は苦笑を隠せない。アーダルベルトに正座させられて以降、私たちは自分からアリアちゃんの傍に行くことはできない。だからこそ、彼女から生徒会にくるようになってくれて、本当によかった。他の二人は知らないが、彼女がいるだけで穏やかになる心を、私はちゃんと自覚しているのだから。
お茶を淹れてアリアちゃんの前に置けば、それだけで笑顔が向けられる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
お礼を言われれば、悪い気はしない。アリアちゃんの正面に座れば、殿下があからさまに眉根をしかめた。が、ここを譲るつもりはない。彼女の隣にはパーシェルが座っているのだ。いくら殿下とはいえ、アリアちゃんの側を譲るつもりはなかった。
「あの、どうぞお仕事をしててください。邪魔をしに来たわけではないので」
「ああ、いいんだ。アルの帰り待ちをしていたところだから。アリアは気にしないでいい」
殿下が告げたのは本当のことだ。本当のことだったのだけど。
「そうかい。じゃあ今すぐ仕事に戻ろうか」
急に響いた声に、殿下も私もパーシェルも反射的に扉を見る。先ほどアリアちゃんが入ってきたばかりのそこには、にっこりと笑うアーダルベルトと苦笑を浮かべるミーシャ嬢が立っていた。
「兄様、姉様!」
立ち上がったアリアちゃんが、二人の傍に駆け寄っていく。が、近寄ってきた妹に、アーダルベルトは明らかに怒っているのがわかる笑顔で問いかけた。
「アリア。ここに来るのはいいけど、事前に教えてって言わなかった?」
「ごめん、なさい・・・どうしてもお会いしたくなって・・・」
しゅんと顔を伏せるアリアちゃん。可愛がっている妹のしおらしい姿に、アーダルベルトはなんとも言えない顔をした。「会いたい」だなんて可愛い我侭を、跳ね除けることが出来ないのだろう。わかる。私でもきっとこれ以上は怒れない。
でも、少し前まで私たちに会っている事を羨まれ、苛められていたのだ。過保護すぎるほど過保護なアーダルベルトとしては、一人で無防備にこちらにくるのは避けてほしいのだろう。
アーダルベルトの気持ちもわかる。わかるからこそ、私たちは兄妹の様子を見守るだけだ。
「・・・・・・ミーシャ、明日からこっちに来る前に、アリアの教室に寄れる?」
「ええ」
数秒間の沈黙の後。搾り出すように紡がれる言葉を、予想していたのだろう。ミーシャ嬢はすぐに頷いた。それを聞いて、アーダルベルトはアリアちゃんに視線を合わせるように少しだけ膝を折る。
「アリア。明日からは、来たくなったら絶対にミーシャと一緒に来て。それなら、僕も怒らないから」
「姉様と? いいんですか、姉様?」
「もちろんよ。アリアちゃんが嫌じゃなければだけど」
「嫌だなんて! 嬉しいです!!」
ぱぁ、っと表情が華やいだアリアちゃんを見て、ミーシャ嬢も笑みを浮かべる。アーダルベルトもため息をついた後、いつもとは違う穏やかな笑顔でアリアちゃんの頭を撫でていた。
・・・これは私にとってもいい方向に転がったのでは? ミーシャ嬢が毎日迎えにいくのなら、アリアちゃんは必ずついてくるだろう。つまりは、毎日生徒会室に来る。なんて嬉しい結末だろう!
そう喜んだのも、つかの間の間だ。
「言っておくけど、君たちに会いに来るわけじゃないからね。僕とミーシャに会いに来るんだ、間違えないように」
さきほどまでの笑顔はどこへやら。ぎろりと睨みつけられてた私たちの反応は様々だ。
殿下は苦笑を浮かべ、パーシェルは不満そうな顔を隠そうともしない。かくいう私は肩をすくめて、了承の意を表した。
理由なんて何でもいい。毎日アリアちゃんに会えることのほうが大事なのだから。
アリアちゃんの話をこれ以上長引かせるつもりがないのだろう。アーダルベルトが殿下に近づいて、手にしていた書類をばさりと机に置いた。
「あと、ほら。許可もらってきたよ。当日の料理人の件」
「通ったのかい?」
「もちろん。僕を誰だと思ってるのさ」
「さすがはアーダルベルトですね」
今回手配した料理人の中に、当日その場で調理を行ないたい、と願い出た人がいたのだ。パフォーマンスも兼ねて、できたてをどうぞ、と。だが、殿下を初めとする次代の貴族が揃う場で、調理用とはいえ刃物の持込は簡単には許可できない。
許可できることと、出来ないこと。料理人から話を聞いて学園側と交渉するのは、アーダルベルトの仕事だった。
私としては素直に賞賛したつもりだったが、アーダルベルトは不満そうだ。
「こういうの、本当は会長や副会長様の役割だと思うんだけど」
そう愚痴る彼に、私は苦笑で答えとする。こういうことには得手・不得手がある。私も苦手ではないけれど、アーダルベルトのほうが適任なのは誰もがわかっていた。
「まぁまぁ。ありがとうアル。すぐに手配する」
だからこそ、殿下も労わりこそすれ、代わるなどとは口にしない。アーダルベルトも言ってみただけなのだろう。殿下が書類をまとめてデスクに移動するのを見ながら、
「うん、後は任せた」
そう言って簡単に引き下がり、先ほどまで殿下がいたソファに腰掛けた。殿下一人に仕事を再開させるわけにもいかず、私も立ち上がって本来の執務机に戻る。
もちろん、意識の大半はまだアーダルベルトやアリアちゃんに向いたままだったけれど。
「任せた、ってお前は今日は終わりか?」
「終わりに決まってるでしょ。面倒なこと終わったんだから、今日くらい終わりにさせてもらうよ」
どさりと音を立てて座った彼は、本当に疲れているのだろう。いつにない雑な仕草に驚いていると、アリアちゃんが期待に眼を輝かせながらソファに戻ってきた。
「兄様、今日のお仕事終了なんですか?」
「そうだよ。アリア、ちょっとこっちきて」
アーダルベルトに呼ばれて、アリアちゃんが素直に近寄ってくる。そして・・・
「「「ああああああああああああ!!!!」」」
重なったのは、私たちの声。だって、こんな、なんで! 近寄ったアリアちゃんの手を引いたかと思えば、小さな体は簡単にアーダルベルトの腕の中に転がり込む。アーダルベルトはアリアちゃんの体をくるりと回転させると、足の間に座らせて、後ろから手を回して抱きしめていた。
な・・・な・・・!?
困惑は私たちだけではなかったらしい。アリアちゃんがきょっとんとした顔で、兄の顔を見上げている。
「え、っと、兄様?」
「ちょっとこのまま・・・ミーシャ」
「はいはい。我侭な人ね」
呆れたように笑いながらも、ミーシャ嬢も隣に座る。彼女の肩に頭を乗せて、アーダルベルトは瞳を閉じた。
一方で、私たちは黙ってなんていられない。私もパーシェルも立ち上がって、執務机に移動していた殿下の傍に避難した。
「なにこれ!? 何見せられてるんだよ!!」
「婚約者もいない私たちに対するあてつけでしょうか」
「アル。私たちしかいないとはいえ、慎みは大事だと思うんだけど・・・」
口々に批難を口にするが、アーダルベルトはまぶたを閉じたまま体勢を変えようとはしない。
「知らない。狐たちの相手に疲れたんだ。僕をいけにえにした君たちが悪い」
「いけにえ? 兄様、いけにえにされたんですか?」
「そうだよ。こいつらが働かないばっかりに、僕が行くしかなかったんだ」
・・・・・・アリアちゃんの視線が痛い。とても痛い。兄が大好きな彼女は、彼の言葉を疑うことなんてしないのだろう。適材適所。そう言い訳したところで・・・事実そうなのだけど、これはもう、私たちが何を言っても聞いてくれなそうだ。
「・・・アーダルベルト。今日はもう、自宅でゆっくり休んでは?」
「そう? オーウェンがいうなら、そうさせてもらおうかな」
・・・彼の手のひらで転がされている気がするけれど、背に腹は変えられない。アリアちゃんの痛い視線に耐えるくらいならば、アーダルベルトとミーシャ嬢がいないほうが精神的な安静が保たれそうだ。
殿下たちも同じ心境なのだろう。立ち上がったアーダルベルトを止める様子はない。
「帰りましょう、アリアちゃん。アルを休ませないと」
「え、あの、でも、忙しいなら私だけでも残って手伝いますよ?」
アリアちゃんの言葉に、一瞬希望が灯った。が、それを決して許さない男がここにいる。
「アリア。一緒に帰ろう?」
「はい」
返事は即答。
ずるいと、心からそう思う。アリアちゃんが自分を好きなことを理解していて、最大限に利用しているのだから本当にずるい。
アーダルベルトが扉を開いて、レディ二人をエスコートする。二人が部屋を出た後、私たちに向かって笑顔で手を振ってきたが、誰も振り返したりはしなかった。
ぱたんとしまるドアの音を聞きながら、誰からともなくため息をひとつ。
「・・・あの過保護、なんとかならないものですかねぇ・・・」
「無理だろ。アルだぞ、アル」
しみじみ呟けば、パーシェルが手を振りながらそう告げる。同じことを思っているとはいえ、なんとかしてほしいと思っているのも事実だ。どうしたものか・・・
答えなどでないとわかっていても、そう思わずにはいられない。はぁ、とため息をついたら、殿下の声が聞こえてきた。
「でも、あのままではアリアに婚約者ができないだろう。ずっと独身で過ごさせるつもりなのかな、アルは」
「「・・・・・・」」
・・・・・・・・・・・・今なんて言ったんだ、この殿下。
「な、なんだい、その顔は。二人そろって・・・」
感情が全力で表情にでていたらしい。取り繕おうか、と思ったけれど、今更だ。今更過ぎて、呆れ顔が更に増したのが自分でもわかった。
「いや、だって・・・なぁ?」
「ええ。貴方、自分の立場理解してます? この国の次の王妃様、まだ未定なんですが」
アーダルベルトと違い、殿下にはまだ正式な婚約者はいない。候補といわれる令嬢はたくさんいるが、あくまで候補。一刻も早く婚約者を、というのは王城で働く全ての人の思いで、自分が婚約者に、というのは年頃の令嬢たちの願いだ。
「それは・・・わかっているが。父上も母上も急がなくていいと仰るし・・・」
「陛下たちの発言は、下心ありですよ」
「下心?」
きょとんと聞き返されて、私は深く深く息を吐いた。もうほんと・・・鈍いにもほどがある。パーシェルをみて欲しい。開いた口が塞がらない、とはまさに今の彼のことだ。気付きなさい、この鈍感王子。
「・・・・・・気付いてないならいいです」
「え。なんだい、それ。気になるじゃないか」
「いえいえ。わたくしめ如きの戯言ですから」
「オーウェンの戯言は戯言じゃないだろう」
「どうぞお気になさらずーー」
話は終わった、とばかりに、先ほどアーダルベルトが持ち帰った書類を眺める。学園から許可された項目と、その条件と、条件付でも無理だったもののリスト。直接交渉したアーダルベルトなしで精査するのは、時間がかかりそうだ。
不満そうな顔をしながらも仕事に戻る殿下を見て、私はそっと息を吐いた。国王陛下たちの下心を、なんで実の子供であるこの人がわからないのか不思議でならない。
気心知れた幼馴染にして、未だに婚約者のいない公爵令嬢。これほど最適な婚約者などいないだろうに。
陛下たちがアリアちゃんを気に入っているのは、誰の目にも明らかだ。だからこそ、レンナー殿下たちの遊び相手を勤められる。アリアちゃんが殿下の婚約者になれば、彼らは大賛成で迎えるだろう。親も弟妹も何の問題もない。
それでも「政略結婚」にならないのは、陛下たちが恋愛結婚推奨派だからだ。自身が恋愛結婚をされているから、子供たちにもそうあってほしいのだろう。息子の恋愛を見守りたい、という王妃様の下心は、王城に関わるものなら誰もが知っている。
知らないのは、自覚のない殿下だけだ。
もちろん、アリアちゃんにその気がないのも問題だけど、彼女はまだ幼い。色恋がわからない間に捕まえないと、どこの誰に捕まるかもわからないのに、この殿下ときたら・・・
「はぁ・・・」
思わずため息が零れたけれど、仕方ない。次期王妃様が決まるのは、まだまだ先になりそうなのだから。




