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目の前には、大きな扉。その前に立って、深く深呼吸を繰り返す。すー・・・はー・・・よし。
コンコンと扉をノックすれば、「どうぞ」と促される。それを待って、私はゆっくりと扉を開いた。
「し、失礼します」
ぎぃ、と重い音を立てる扉の影から、先に顔だけ出して挨拶をする。と同時に、緊張しながら中の様子を伺った。
ここは生徒会室だ。本来の私には、用事なんてないところ。だけど、今はそうもいっていられない。兄様と姉様が私にまったく構えないくらいに忙しいのだ。私にできることがあるなら、少しでも手伝いたかった。
「アリアじゃないか。どうしたんだい?」
中には殿下とオーウェン様がいた。入ってきたのが私だとわかると、殿下が椅子から立ち上がり、オーウェン様が近寄ってきて、私の手を取る。
「あ、あの、兄様か姉様は・・・?」
ばたんと扉が閉まる音を聞きながら、オーウェン様に手を引かれて一歩を踏み出す。生徒会室には始めて入ったけど、他の教室ではないくらいに絨毯がふかふかだった。何これちょっとびっくり。
思わず足元に目をやれば、二人が笑ったのが聞こえた。ちょっと今のどこが笑うポイントなんですか、ねぇ。
「二人なら出ています。しばらく戻ってこないと思いますよ」
笑いをかみ殺しながら、オーウェン様が私をソファに案内してくれる。これまたふかふかのソファにおとなしく座れば、オーウェン様が隣、正面には殿下が腰掛けた。
「どうしたんだい? 君がここに来るなんて珍しいね」
珍しい、といいながらも、殿下はどこか楽しそうだ。一方で、バレている私は少し居心地が悪い。
生徒会室は、兄様と姉様がいる場所だ。そうとわかっていても、私はここが苦手だった。理由は簡単。この人たちがいるからだ。
ゲーム内の「アリア」は、それはもう足繁く生徒会室に通っていた。大好きな兄に会う、そのためだけに。で、そこにいる姉様にあれやこれやの嫌がらせをするわけだが、今の私にはそんなつもりは欠片もない。むしろ、二人がいちゃつくのを見るためになら、いくらでも通ってもいい。それくらい、ゲームの「アリア」と今の「私」には誤差がある。
そのせいだろうか。私の知っているゲームとは、誤差がある気がするのだ。殿下たちが姉様に猛アタックをしているように見えないのもその一つ。話しているところはよく見るけれど、友人以上の何かがあるようにはとても見えなかった。
その代わりとでもいうかのように、殿下たちは私を構いたがる。幼い頃から面識があるせいか、気分はほとんど皆の妹だ。いつだかオーウェン様が「兄様と呼んで」と言っていたのも、昔はそう呼んでいたからに他ならない。
そんなわけで。彼らが間違っても姉様に恋に落ちないよう見張っていたい私にとって、殿下たちの接し方はむしろ怖い。令嬢たちに苛められるから、という理由ではなく、裏がありそうで本当に怖いのだ。私が姉様を慕っているのは、学校内でも周知の事実。私経由で姉様にアタックされるのが一番怖かった。
だって私が! 私自身が! 姉様と兄様の邪魔をするとか!! 絶対に嫌だ!!!
・・・という個人的な事情により、私は生徒会室・・・というか、殿下たちには近寄らないようにしていたのだけど。
「兄様たちがお忙しそうなので、私にも何か手伝えることはないかと思って・・・」
そう。怖いなんて言ってられないくらい、今の私は兄様と姉様が不足していた。
忙しくなるのはわかっていた。前世の文化祭と違い、この学園の文化祭は「鑑賞」がほとんどだ。生徒たち自ら準備するものが少ない分、生徒会の忙しさは度を越えている。演奏される演目も、出品される作品も、出張してくれる料理人たちの手配も、そのための会場の準備も。全部全部生徒会の仕事だった。
忙しい兄様の邪魔をするわけにはいかないから、と我慢していたのだけれど、家でも学校でも、兄様にも姉様にも満足に会えなくなってもう1週間は経つ。休みの日まで家にいない兄様に、これはもう無理だと思った。
とはいえ、やっぱり邪魔は出来ない。ならば手伝えばいいんだ、と思ったのは、昨日の寝る前のことだった。
兄様に会えないから相談することも出来ないまま、こうして直接生徒会室に来てみたのだけど。
「でも、兄様たちがいらっしゃらないなら、出直します」
これでは本来の目的は達成できない。し、兄様のいない場所で、殿下たちとずっと一緒にいるのも嫌だ。早々に立ち去ろうとした私に、殿下はにこやかに笑いかけてきた。
「ミーシャ嬢は学園の外にでているけど、アルなら学内にいるよ。初等部だけど」
「初等部? どうしてまた・・・」
「夜の舞踏会は、小・中・高等部が全て集まりますから。その打ち合わせです」
ああ、なるほど。要望を聞きにいっているのか。兄様らしいけれど、お仕事ならやっぱり邪魔は出来ない。今日はおとなしく引き下がったほうが良さそうだ。
そう思ったのだけど。
「ちょうどよかった。追加の確認事項があったんだ。今から紙に書くから、アルに届けてくれないかな?」
「行きます」
返事は即答。殿下もオーウェン様もこらえきれずに噴出していたけれど、こればかりは笑われてもいい。
私は今、それだけ兄様に飢えているのだ!!
「じゃあ、ちょっと待ってて。すぐに書くから」
「待っている間、少しお茶でもしましょう。初等部は遠いですから」
殿下が本来の机に戻って何かを書いている間、オーウェン様が私の相手をしてくれた。といっても、殿下が紙に書く間だけだ。そんな長い時間じゃないだろうと踏んでいた私の予測は、見事に裏切られることになる。
オーウェン様とお茶を飲みながら他愛ない話をしていると、時々殿下も割って入ってくる。いいから早く書いてくれ、とは流石に言えなかった。
10分ほど待って手渡されたのは、メモというよりも正式な書類のように私には見えた。これは時間がかかるのも仕方ない・・・
「じゃあ、よろしくお願いするよ」
「はい」
殿下は書類を二つに折って、封筒に入れた。封はされていない。封なんてしなくても私が見ないことを、殿下もわかっているのだろう。
封筒を預かって、ぺこりと一礼してから生徒会室を出る。扉がしまったのを確認してから、深く息を吐いた。思った以上に緊張していたと実感するが、やっと解放された。後は兄様に会いに行くだけでいい。
とはいえ、初等部とはそれなりに距離がある。私は兄様に会うべく、急いで初等部へと向かった。




