体のないこどもたち
初投稿です。拙い文章ですが、ぜひ楽しんでいってください。
昼の少し過ぎた頃に目を開けて、それは心からもなにからも責められも赦されもせず、評価すらされないくらいに綺麗な虚無。シャワーを浴びて歯を磨き、あいすを食べた。充電ケーブルの銅線を包むゴムが破れてしまったので、百円ショップの安いので済ますのはいけないと思いながら、とりあえずとまた同じものを買いにいく。
周りに私の気を引くものがなにもないというのは、とても自然で、心地よかった。
私の気を引くものがない、自然な今日。日焼け止めだけ適当に塗って、目に映る私の手足だけが白い。似合うと言われてしまった服の自由さは、いつか限られてしまったようだった。
人の声はそのまま入ってきて、しっかりと私は吸収して消化していった。聞き逃してごめんだなんて、後から思うんだろうなぁ。
帰ってきて、買ってきたものを片付けて、家に置いていたiPhoneを手に取り開いた。
人の声はそのまま入ってきて、しっかりと私は吸収して消化していった。文字は違った。
醜、穢、血、病、美、食、死、生、眠、愛。
星のようにちらつくその文字には星屑が屑と呼ばれる所以を判らせる効力を持っていた。
私の中に生きる老婆、肉を食べ毒を撒く蛇、やせ細る子供たち、全ての理解者、共感者、アナーキストが目を覚ますのを感じた。全員なにがしかを患った病人だった。
今日は鏡を見ていなかった。なぜ焦るように鏡を毎日見ているんだろう、私。
目につくのは小さい目と薄すぎる唇。酷く醜い。もうどうしようもないね、痩せなきゃ、また間食しちゃった、あのブランドの新作が今日見られる、これあげたらあの人喜ぶかな、今電話したら迷惑だな、前あの人が言ってたのって私に対してだよな、もうどうしようもないね、取り返すのもしんどいね、ちょっと態度変えてみようかな、変わっていってたのは私の方だったな。
あの人の口元の黒子は、本人はとりたがっていたけど絶妙なアンバランスさでとても綺麗だと思った。
不自然さを愛する私と、自然を求める私。
完璧を求めるあの人。
他人の褒めは自己肯定感につながらないよってね、私もそう思うわ。けど、それもきっと他人の支持から得た産物なんだろうね、いまはそう思わせて。
大好きなあの人からのメッセージ。
患者たちがまるで私自身かであるように私と同じ方向に一斉に動き出すのだ。
たった一言だけどあの人からのメッセージ。
これはもう自然ではない私について。
これはもう自然ではない私について。
欲と嫌悪と諦めと自由、矛盾を孕んだ何かが私の自然の堤防を壊すのは、ヒトのせいなんだよ。
じゃあこの堤防は誰が作ったの?
これは私よ、これこそが私よ、そういわないと、他人が作ったんじゃないかって不安になるの。
笑えばいいじゃない、こんなに偉そうに言わないと自信が持てないことを。私自身ですら他人で出来てることくらい知ってるわよ。
今回は私がどこかに感じている悲しい螺旋階段の一部を拾い上げ、文章にしてみました。
自分の体験も少し入っているのですが、基本的には昔の友人の思い出です。
綺麗な表現はできませんが、なにか感じるものがあればよいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました。