99〜01春までの現状
あまりにも闘病生活の描写が書けず闘病生活のタグ外しました…
1999年
サイレンススズカは現在ブランコ状のハンモックに吊るされていた。
サイレンススズカは左前脚を複雑骨折しているためそこに負担をかけるわけにはいかない。手術後の痛みもあってかそれはしないがサイレンススズカは左回りにぐるぐると回る旋回癖を持っている。それをしなければストレスが溜まってしまう…前にタイヤを吊るしてその旋回癖を止めようとしたが返って膨大なストレスが溜まってしまったのでそれを直す手段は諦めた。
しかし今のサイレンススズカはそれは無理だ。現在ストレスを解消するには左前脚を使わずとも延々と回り続けられるようにしなければならない。だが普通左回りに回るには必ず左前脚は必要になる。
となればブランコ状のハンモックに吊るして左前脚を使わずとも回るようにすればいい。ブランコ状のハンモックならば左に回ろうとすれば右脚の方に体重をかけるだけで済む。何度も試し、ついにサイレンススズカの理想のハンモックが出来上がった。
ブラブラとサイレンススズカがリハビリという名前の旋回をしている頃、4歳クラシックはというとテイエムオペラオー、アドマイヤベガ、ナリタトップロードの三強がそれぞれクラシックタイトル、皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三つのタイトルを奪い合っていた。その内アドマイヤベガはサイレンススズカと同厩同父同主戦騎手であり、サイレンススズカの後輩にあたる馬だ。特に騎乗が田根豊ということもありサイレンススズカとアドマイヤベガを比べるといったこともある。
古馬勢の方は前年サイレンススズカがボコしたエルコンドルパサーはヨーロッパのGⅠを勝っただけでなく凱旋門賞二着と大健闘をしていた。これまで日本…否アジア勢が凱旋門賞に挑戦した馬で歴代最高の順位となった。
日本ではサイレンススズカと同じ産駒であり同じ主戦騎手のスペシャルウィークが天皇賞春秋連覇達成の上に当時連対率100%の凱旋門賞馬モンジュー等を打ち負かしてJCのタイトルを獲得。グラスワンダーはそのスペシャルウィークを宝塚記念、有馬記念と何度も負かしていた。
その結果から『98年代最強馬は誰だ!?』という論争が必ず起こる。エルコンドルパサーは去年のJCでスペシャルウィークを打ち負かし、グラスワンダーはグランプリで三回も打ち負かした。しかしスペシャルウィークはこの中で最も賞金を稼いでおり、二冠馬セイウンスカイもエルコンドルパサーをボコしたモンジューもボロボロにしてやった。
その醜い代理戦争をわかりやすく台本形式風で見てみよう
エル厨「エルはスペにもグラにも先着した! そして凱旋門賞でもアジア勢最高順位! だから最強!!」
グラ厨「何言ってやがる! グランプリレースにも出れねえ、勝てねえような奴に言われたくねえ! それにグラに先着した時だってススズに負けたことに変わりない! その点グランプリ3連覇の偉業を成し遂げたグラ最強!」
スペ厨「エルは古馬になってからスペとの対戦避けただけだし、それにグラは左回りができない右回り専用のポンコツだろ? 賞金ならスペが一番だから最強!」
とまあこのようにサイレンススズカを巻き込み醜い代理戦争がどこでも行われている。ちなみにネタバレになるがその一世代下の馬も巻き込むことになるが割愛させてもらう。
閑話休題
さて話は大きく変わる。『サイレンススズカはアドマイヤベガと同厩』と書いてある通り、サイレンススズカは現役を引退していない。
本来なら引退させてさっさと種牡馬入りさせるところなのだが当の本人ならぬ本馬サイレンススズカがそれを拒否。種牡馬入りするために馬運車を用意したが馬房から離れず、無理やり入れようとしても同期のシルバーコレクターのように噛み付く有様。馬は年老いてから気性が荒くなる傾向があり、メジロマックイーンもその例に当てはまる。サイレンススズカもその例に漏れなかった。シルバーコレクターは元々だが。
そんな訳で現役続行したサイレンススズカは左前脚を使わず、トコトコと器用に馬房の中を歩いていた。狭い馬房の中でブランコ状のハンモックがサイレンススズカの動きを時折邪魔をするが痛みに比べれば大したものではない。
痛みのストレスは想像を絶するものだ。無敗の三冠馬シンボリルドルフと似た配合(父パーソロン、母父スピードシンボリ)のマティリアルは1989年の京成杯オータムハンデキャップで故障し、予後不良となりかけたがオーナーの意向で手術をして成功し生き延びた。しかし術後の痛みから来るストレスにより潰瘍性大腸炎を発症し、下血し、その後回復する見込みがなく安楽死を措置をとらざるを得なかった(その前にマティリアルは出血性ショックで死亡)。
しかしサイレンススズカは痛みに対するストレスを旋回することで解消し、手術とハンモックでこの年を乗り越えた。
〜翌年〜
2000年
20世紀最後の年となった世紀末。サイレンススズカの治療は奇跡的とも言えるほど順調だが春の時点では走るには程遠く、キャンター(駆け足運動)も引き運動もまだまだ出来なかった。しかし馬房では左前脚を庇いながらもクルクルと旋回していた。
その頃のクラシック路線は田根豊騎乗のエアシャカールが皐月賞を制し、二冠目に挑む日本ダービー。田根豊は三年連続日本ダービー制覇という偉業へと向けて気合を入れていた。
しかし田根豊はスペシャルウィークの日本ダービー制覇までは呪われているんじゃないかと言われるほど素質馬に恵まれても日本ダービーを勝てずにいた。
一番有名な例がダンスインザダークだ。ダンスインザダークは弥生賞を制したものの皐月賞は発熱により不出走。だが新馬戦で繰り出した圧倒的な末脚や全姉ダンスパートナーの良血から素質を買われ、SS四天王(他には皐月賞馬イシノサンデー、朝日杯3歳S馬バブルガムフェロー、ダービー馬ウイニングチケットの半弟ロイヤルタッチ)の筆頭と言われていた。しかも騎手二年目からGⅠ勝利(88年菊花賞)を挙げた若き天才田根豊が騎乗する…もはや不安要素などなかった。結果は早仕掛けが災いしたのとフサイチコンコルドの強襲等の不確定要素に足元を掬われ、ダンスインザダークは2着と敗れた。
その後スペシャルウィークに騎乗し、勝利すると今までの呪われぶりが嘘のようにアドマイヤベガで連覇達成。
そして前代未聞の三年連続日本ダービー制覇に気合が入らざるを得なかった。
だが京都新聞杯からやってきた良血馬アグネスフライト。かつてサイレンススズカに騎乗したベテラン川内がペアを組み、エアシャカールに立ち向かった。
【豊の意地か!?川内の夢か!?どっちだーっ!!?】
史上最高クラスのデッドヒートとなった日本ダービー。アグネスフライトが鼻差7cmという差でエアシャカールを抑えて勝利した。その後エアシャカールは菊花賞を勝ち三冠馬に最も近い二冠馬と呼ばれるようになったがアグネスフライトはそれを阻止して正解だったと競馬ファンに言われるようになったがその理由も割愛させてもらう。
古馬の中長距離GⅠ路線の方はスペシャルウィークが引退し、アドマイヤベガも故障によりサイレンススズカを差し置いて引退。
残った主なメンバーと言えば最強世代の一角でグランプリ4連覇を狙うグラスワンダー、去年の皐月賞馬でありながらダービーと有馬を3着、菊花賞2着と善戦マンの印象を隠せないテイエムオペラオー、去年クラシックの内テイエムオペラオーに二回以上も先着した菊花賞馬ナリタトップロード、サイレンススズカの半弟ラスカルスズカ、おまけに去年一昨年と連続で天皇賞秋二着になったシルバーコレクターことステイゴールド。そのメンバーが古馬中長距離路線の中心となり、波乱とされていた。
しかしこのうちある一頭の馬が、古馬になったサイレンススズカの如く覚醒していた。テイエムオペラオーだ。彼は天皇賞春でラスカルスズカ、ナリタトップロード等を打ち負かし、宝塚記念でも同じくグラスワンダーを負かし…天皇賞秋。サイレンススズカですら破ることもできなかった「一番人気の馬は勝てない」というジンクスがテイエムオペラオーの前に立ち塞がるが関係ないと言わんばかりに勝ってしまった。
テイエムオペラオーが完全に無敵となったJC。このレースにはエアシャカールとアグネスフライトが出走していた。準三冠馬とダービー馬が無敵の古馬チャンピオン相手にどれだけやれるか…競馬ファンは見物だったが…エアシャカールもアグネスフライトも2桁順位で散々な結果だった。一方のオペラオーはこの年の2カ国年度代表馬ファンタスティックライトやメイショウドトウを退け優勝。天皇賞秋よりも長く続いていた1番人気不勝利ジンクスを破った。そして信長包囲網よりも過酷なマークをされた有馬記念も優勝。グランドスラムと呼ばれる快挙を成し遂げた。
話が長くなったがサイレンススズカの方はテンポイントという名馬が遺した治療法が効果を発揮し、冬頃には骨がうまくくっついて引き運動を行っていた。
「来年の秋天、頑張ろうな。スズカ。」
来年の天皇賞秋はどうなるかわからない。しかし間違いなくグランドスラムを達成し、史上三頭目の満票での年度代表馬となったオペラオー、宝塚記念から2着続きのドトウ、菊花賞馬トップロードが古馬中長距離路線の中心に立つのは違いなかった。更に来年からマル外がクラシックに出られるようになり、4歳勢からも強敵がやってくるだろう。
そんな最中でもスズカは勝てるのか?と言われれば無理だろう。何しろトウカイテイオーですら一年ぶりに本番ぶっつけの有馬記念に出走して勝ったのが奇跡とも言えるくらいだ。しかもスズカはすでに数え年で7歳であり、人間年齢に換算するとおっさんとも言える年齢だ。それだけ頑張ったのだからもう引退しても誰も文句は言わない。むしろ何故引退しなかったのか文句を言われるくらいだ。
実際、競馬ファンからはオーナー宛に「ススズを引退して休ませろ!」などの手紙が届き、中には「引退させなければお前を殺して俺も死ぬ」など脅迫文も届いていた。しかしその一方で「ススズの走る姿をもう一度見てみたい!」や「病気から早く逃げてくれ!」という声もあり、千羽鶴が届けられたのもあった。
スズカの目を見ると引退した馬のような黒ろずんだ目ではない。現役、それも超一流の馬がタイトルを獲得しようとする時の光り輝いている目だ。まだまだサイレンススズカは引退出来ない。
そして21世紀初年度…まさかの事態発生!サイレンススズカ達が年を取っていないという事態が発生した。
これは年齢表記を日本で使われていた数え年表記から国際標準の満年齢表記に変わったのだ。これにより最優秀3歳牝馬を二回受賞する例もあった。
とにかく何事も問題なく、サイレンススズカは21世紀の初年度春。すでにキャンター運動をこなしていた。この調子であれば秋までとは言わず、夏の終わり頃には出走も夢ではない。
駆け足とはいえサイレンススズカの走る姿を見た田根豊を始めとしたサイレンススズカに騎乗した騎手達は安心7割、その他の感情3割と複雑な気持ちだった。
なおこの年は98年世代にも勝るとも劣らない程豪華なメンツが揃っている。ラジオたんぱ杯で3着だったもののそれまでのレースレコードタイムよりも早くゴールした芦毛の外国産馬クロフネ、そのラジオたんぱ杯でクロフネに先着したTB産駒のジャングルポケット。そしてその勝者であり無敗のまま弥生賞も制したSS産駒の超良血馬アグネスタキオン。
その他にも後にフジキセキを差し置いて父サンデーサイレンス役を演じることになる俳優マンハッタンカフェもこの世代の馬である。
古馬に加え、3歳勢も強力でサイレンススズカが復活したとしても勝てるかどうかはわからない。だがこれだけは確実に言える。
為せば成る為さねば成らぬ何事も。