第十五話 光速の青年の悩みは打ち明けられない
猫を撫でざるは人に非ず。
これは楠エージが生前にクラスメイトたちに語った格言である。但し書きで「猫アレルギーの人は除く」と明言しているあたり、エージも人権意識は高いようだ。
エージにとって猫は癒しだった。どんなに疲れている時であろうと、猫を一撫ですれば即座に回復するくらいに癒されるのだ。
異世界ノアに来て数日、一度も出会うことは無かった猫。
彼にとっての至高の存在は、何と魔法陣から現れることになった……
「おうおうおう。可愛いなぁ、こんちくしょうめ〜」
「なー」
「確かに可愛いわね」
商隊がクィッセンに向かう途中の町で物資の補給や馬の手入れをしている間、エージたちは自由に過ごす時間を与えられた。
つい先日《超次元召喚》によって喚び出された「ぬこ様」は、現在、エージとクーリンの間で気持ちよさそうに喉を鳴らしている。エージが渾身の撫でスキルを《掌》とともに発揮しているため、ぬこ様は極楽気分である。
その様子を隣で見ているクーリンもまた、ぬこ様の愛らしさに頬を緩めていた。
ここはとある町の小さな公園。数組の親子が遊んでいる側で、ベンチに腰掛けた二人はのんびりとした時間を過ごしていた。
「ああ、幸せだぁ……」
今にも昇天しそうな顔で、実際に蕩けていくエージを見たクーリンは、どことなくソワソワした感じだ。
「ね、ねぇ、エージ」
「もふもふだぁ……」
「……ねぇ、エージ?」
「やっぱり猫は最高だ……もう世界の何よりも」
「ねぇ、って言ってんでしょうが!」
「スバラッ!? い、痛いよクーリン。急に何するの?」
「話を聞かない人にチョップするのは常識よ」
「そ、そうだったの? ごめん……それで、何の話?」
間違った常識を仕込まれたエージが問いかけると、クーリンは少し恥ずかしそうに言った。
「あ、アタシにも撫でさせなさいよ!」
「……あ、クーリンも撫でたかったんだ。いいよ、ほら」
一瞬「こいつ何言ってんの」みたいな顔をしたエージだが、足りない頭を動かして正解に辿り着いた。クーリンに譲るようにぬこ様から手を離す。
「そ、それじゃあ、いくわよ……!」
ゴクリと唾を飲み込み、大袈裟な覚悟を決めてぬこ様に手を伸ばす。半目でクーリンを見つめるぬこ様は、まるで「貴様は儂を満足させられるか……測ってやろう」とでも言わんばかりだった。
クーリンの手がぬこ様の背中に触れる。
もふっ。
「……気持ちいいわね」
「そうだよねぇ」
優しくもふもふと撫でるクーリンの感想に、エージは首を縦に振って同意する。ぬこ様も「ふっ。まぁ、及第点といったところか……」的な雰囲気でされるがままになっている。
ほのぼのとした昼下がり。
そこに、無粋な闖入者が現れた。
「? 何だろう、すごい失礼なことを言われた気がするんだけど……」
五人分の飲み物を抱えたジャクソンが首を捻りながら歩いてきた。その後ろには申し訳無さそうなニーナと食べ物の山を抱えたテオドリッヒが続いている。
「すいません、持ってもらっちゃって」
「……気にするな」
ぺこぺこと頭を下げるニーナに、テオドリッヒは無愛想にそう言った。
「あ、やっと来たわね」
「お疲れさま、ニーナちゃん、テオさん。そしてジャ……クソさん」
「ちょっと待って何その言い方!? そこまで言ったなら『ン』も言ってくれよ!」
どうにも不遇な扱いを受けるジャクソンは、しかし、仕方ないかと一言呟いて飲み物をエージたちに渡した。彼ら三人はジャンケンに負けて買い出しに行っていたのだ。
「はぐっ、もむっ、むしゃむしゃ……」
「よく食べるねクーリン」
「むぐむぐ……ごくん。当たり前でしょ。いい女の条件は『強い、優しい、よく食べる』なんだもの」
テオドリッヒが抱えていた山ほどある食料を、一人で半分近く食べ尽くすクーリン。エージは「イザベラさんの条件と違うなぁ」とどうでもいいことを考えつつ、ぬこ様を撫で続けていた。
「……エージさん、わたしも撫でていいですか?」
「うん、いいよ〜」
ニーナがそっとぬこ様を撫でる。ぬこ様は一瞬ピクリと反応を見せたが、すぐにへにゃりと寛ぎ始めた。
「へぇ、ニーナちゃんは撫でるの上手なんだね」
「え? そ、そうでしょうか。妹たちの面倒を見ることが多かったから、そのせいかな……」
「なるほど、そこで身につけた撫術というわけかぁ」
撫術という新しい概念が生み出された瞬間であった。
撫術マスターエージはぬこ様を撫でるニーナを穏やかな気持ちで眺めていた……が、徐々に意識を奪われていく。
ニーナの頭の上でピコピコと動くウサ耳に。
エージはゆっくりと、その手をニーナの頭へと伸ばす。この時、彼は《影法師》や《朧雲霧》といった気配を消すスキルを総動員していた。
それは無意識のこと。
極限まで気配を薄くしたエージは、五感が人族よりも発達している獣人の、その中でも警戒心の高い兎の獣人であるニーナにさえ気づかれることはなく……
「えいっ」
「ひぇあっ!!?」
……モフモフしたウサ耳に触れることに成功した。
「ええ、え、エージさん!? な、何をしてりゅんでしゅか!」
「すごい、サラサラでフワフワでモフモフで……猫に次ぐ触り心地だよ!」
あくまでも猫が一番らしい。
「ふぇぇぇぁぁぁぁぁ……」
身を捩って逃げようとするニーナだったが、しかしだんだんと抵抗が弱くなっていく。エージの撫術がニーナに最高の癒しを与えていたからだ。
「はふぅ……エージさん、上手ですね……気持ちいいです……」
「ふふふ、これが僕の必殺技だよ!」
「楽しそうなことしてるじゃない。アタシも混ぜなさい!」
クーリンもニーナのウサ耳を弄りだした。全く似てはいないが、エージとクーリンに撫でられてぽへっとなっているニーナたちは、まるで親子のようだった。
その側で。
「猫か……触っても大丈夫かな?」
ジャクソンがぬこ様の背に手を伸ばし、ぎこちなくモフる。少しの間抵抗無く撫でられていたぬこ様だったが。
「……なー!」
「へげぶらッ!?」
目にも留まらぬ速さで立ち上がり、光をも置き去りにする前足アッパーカットをジャクソンの顎に決めた。どうやらお気に召さなかったようだ。
光速の世界で何かの真理を見たジャクソンは、ノアから永久追放される直前で転移してきたぬこ様のキックを喰らって公園の砂場に墜落した。
ドバァァァァァンッ!!!!!
舞い上がる砂塵に気づいたエージたちは即座に臨戦態勢に移る。
砂埃が収まった時。
「……ジャクソンさん?」
砂場の中心には、立派なV字開脚があった。
なお、ぬこ様は既にベンチの上で丸くなっており、一部始終を見ていたテオドリッヒは特に何を言うでもなく苺のクレープを食べていた。
「痛たた……すごく重要な何かを見た気がするんだけど、思い出そうとすると頭痛が……」
「砂場の中で見たんなら砂以外にないでしょ。気のせいよ」
「そうなのかな……?」
馬車の中。商隊が補給を終えたので町を出たエージたちは、開けた草原を走っていた。ほぼ無傷で助け出されたジャクソンは不可解そうな表情をしているが、クーリンに気のせいだと断定されて考えるのをやめた。
言わずもがな、ジャクソンが生きているのは《冗談だってば》が働いたからであるのだが。
スキルの持ち主すら知らないことを他人が知るはずもない。魔物が出ないエリアなので馬車に引っ込んだエージたちはのんびりと会話をしながら帝国に着くのを待っていた。
「……そういえばジャクソンさん」
「えっ、ここに来てまともに呼ぶ!?」
まともに呼んで欲しくなかったかのような言い草である。エージは驚くジャクソンなど無視して、無視した本人に疑問をぶつける。
「どうして僕はジャクソンさんの扱いが雑なの?」
「自覚あったのかよ!!」
ビシッと華麗なツッコミが決まる……ということはなくエージは持ち前の反射神経で避ける。
ただ、エージにとってこれは本当に疑問だった。彼は自分のことを「弄る側」の人間だとは思っていない。それは生前の行いからの判断であったのだが……何故だかジャクソンのことだけは煽ってしまうのだ。
「……まぁ、自覚してるなら説明してもいいか」
溜息一つ、ジャクソンは背筋を伸ばしてエージたちに相対する。多少真剣味を帯びた顔で、それでいて気負うこともなく話し始める。
「エージくんの疑問なんだけど、それは俺の称号とスキルのせいなんだ」
「称号? 【ミジンコ】みたいな?」
「そこまで酷くねーよ!?」
心の広さ的な話だったらジャクソンは相当にデカイ器を持っている。
「酷くはないけど、厄介なヤツなんだよ」
「それが原因で、僕はジャクソンさんをからかっちゃってるのか……」
「まぁ、恐らくはそうだろう。俺の称号は……」
「! 何か来ます!!」
ジャクソンが続きを口にしようとしたとほぼ同時、ニーナが跳ねるように立ち上がった。
突然、馬車が大きく揺れる。
「な、何ごと!?」
「……ヤバそうな匂いがするわね」
慌てるエージとは対照的にクーリンやテオドリッヒは落ち着いて状況の確認に努めていた。馬車は強風に煽られるように横揺れを続けていたが、次に地響きに襲われる。
「……まさか、俺のスキルのせいだったりとか……いや、流石にそんなことは……」
「何ぶつぶつ呟いてんのよジャクソン。さっさと外に行くわよ!」
クーリンが率先して馬車を飛び出す。テオドリッヒが二番目、思案顔のジャクソンと怯えた表情のニーナが遅れて出て行く。エージは馬車の中でひっくり返っていた。頭の上でぬこ様が寝ている。
ふざけているようにしか見えない少年を放置した護衛たち。その目に映ったのは……
「グアアアアアアアアア!!!!」
……黒い鱗を纏った巨躯の竜だった。
ドラゴン、襲来(この作品はコメディーです)
次回の更新は29日の18時です。




