涼しい夏
*
海岸を歩いている時は、涼しい潮風に吹かれ続ける。着ていたワンピースに潮の匂いが移っているのが自分でも分かった。海辺の一角に座り込んでいると、背後から、
「徳香」
と呼ぶ声が聞こえてくる。振り返ると、彼氏の大斗だった。手にアイソトニックウオーターのボトルを二本持っている。片方をあたしに渡し、彼もキャップを捻り開け、口を付けて飲んだ。
「今年の夏ってそんなに暑くないわよね?」
「ああ、俺もそう思った。去年なんか、この海の砂は焼けるみたいに熱かったけどな」
「まあ、いいんじゃない?過ごしやすいし」
「そうだな。……君もドリンク飲んだら?」
「ええ。いただくわ」
そう言ってボトルの栓を開け、口を付けた。甘さは控えめだ。ちょうどよかった。ゆっくりと飲んでいると、大斗が、
「もうすぐ街の花火大会があるよ。来週ぐらいだったかな?」
と言った。
*
聞かされて当惑する。あたしの方が訊き返した。
「え?そんなに早く?」
「うん。花火が打ち上がれば、夏も終わりだし」
「本当に短いわね。夏って」
「ああ。俺もそう思ってた。……君も普段仕事で疲れてるだろうから、ゆっくりしな。せっかく地元に帰ってきてるんだし」
彼がそう言い、あたしに寄り添う。ずっと海の彼方を見つめていた。大斗も砂に寝転がり、寛ぎ続ける。いつもはずっと都内の会社のオフィスに詰めていた。窮屈だったし、過労とストレスでやられる。地元は海に面した街だ。帰ってきた時はいつも彼と会う。そして気を抜くのである。
来週の花火大会まで、ここにいられるかどうか分からない。だけど、お盆休みが終われば、また仕事だ。ずっと思っていた。今度大斗と会えるのは、いつになるのかと。
「考え事?」
「いえ。別に特に何も」
こんなウソなら許されるのかもしれない。彼を想っているからだ。罪のないウソだと思える。あたしも二十代後半なのだし、大斗は三十代前半で若干年の差があったのだけれど、ちゃんと付き合えていた。
*
不意に彼が寄り添い、あたしの唇に自分のそれをそっと重ね合わせてきた。ちょっとしょっぱいキスだったのだけれど、別に抵抗はない。ゆっくりと口付けを交わした。何度も繰り返しだ。そしてキスが終わってから、見つめ合った。いつの間にか、持っていたボトルは手から落ちて、海辺の砂が付いてしまっている。
海には絶えず波が打ち寄せていた。数えきれないぐらい、ずっと波音が聞こえてくる。あたしも思っていた。この波が果てることはないと。それに海の彼方には、今のあたしと大斗のように、愛し合うカップルがいることも。
不意に喉が渇き、ボトルを手に取り、キャップを捻って開け、飲んだ。そしてまた砂浜に寝転がる。涼しい夏――、いいかどうかは分からないのだけれど、具に感じ取っていた。夜間など、昼間の余波で体が火照るように暑くなることはあっても、今年の夏は例年に比べ、そうでもないと。
そして揃って、目の前の海を見つめていた。今いるのは海岸の外れだ。ビーチには人がいる。冷夏とあって、そう多くない。海自体、来る人が減っているのである。まあ、あたしも年に一度ぐらいしか、ここには帰ってこないのだけれど……。
「徳香」
「何?」
「これからもよろしくな」
「ええ、こちらこそ」
言い交してすぐに、またそっと口付けた。ゆっくりし続ける。紫外線はそう強くない。彼方にある淀んだ空が、今年の夏の気候を表している。幾分冷えると。波は絶えず打ち寄せては砂をさらっていくのだけれど……。
(了)




