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第6話 力と油断と、危機一髪



「――涼太様、ただいま戻りました」


 一度カードの中に戻った後、美鳩は直ぐに涼太の前に正座をした状態で現れる。


 戻ってくる際に所持者である涼太はそれとなく美鳩が帰還したことを感じていたので驚くことはなかった。


「お疲れ、美鳩。悪魔とかいうのは、居たか?」


 安堵の表情で美鳩を迎える涼太。いくらアルカナであるとはいえ、女の子一人で危険な場所を調査させるのは、涼太にとっては心配であった。


「はい、涼太様。明日香様が言っていたと思われる悪魔らしき存在はこの目で確認しました。暗かったために正確な容姿を伝えることは出来ませんが、特徴としては背中に羽のようなものが生えており、片手には西洋の剣を持ち、全身が衣服では無い、何か黒いものに覆われていました」


「うん。多分それは、私が前に戦ったやつと同じ奴だと思う。美鳩さんは戦わずに撤退したんだよね。それはどの辺りの位置で……って、私の服の一部が切れてる! え、何で? 美鳩さん、戦ったの?」


「いえ、後ろから奇襲をかけられました。咄嗟に回避はしましたが、この有様です。申し訳ありません、明日香様。この服のお侘びについては、いずれ。どうやら悪魔には存在の希薄化が通用せず、私の位置を特定されたようです」


 その言葉は明日香と涼太の二人にとって衝撃だった。涼太が唯一完全なる優位に立てるであろう逆位置の能力が通用しない敵に、早くも出会ってしまったのである。


 ただ、その可能性は涼太も承知してはいた。逆位置が通用せずとも、今日の不良との戦いに使用した正位置の能力であるならば希望はある。


 知らずの内に今日の戦闘が涼太に多少ならぬ自信を付けさせていた。


「……なら、俺は正位置の『集中力の増加』で対抗するしか無いみたいだな。で、美鳩がそいつを見たのはどの辺りの位置なんだ?」


「南西に徒歩7分程度の辺り、場所で言うなら絹村さん宅の近くでしょうか。ただ、私が目撃した悪魔自身はもういません」


「? 悪魔自身がもう居ないってのは、どういう事だ?」


「本日の午前10時辺りに涼太様が助けた、あの先程の魔術師のアルカナの所持者がその場を通りがかり、アルカナの青い炎で悪魔を焼き殺しました。その際の彼女の発言からして、彼女が向かっているのはこの桜井家です。どう対処なされますか、涼太様」


 この情報には涼太も直ぐには対応できない。


 先ほど美鳩が偵察に向かってから数分後、悪魔のアルカナとは別のアルカナの反応があった明日香は涼太に告げていたのだが、


 まさか昼のあの魔術師の少女が来ている等ということは考えにはなかった。


「……ねぇ兄さん。魔術師の女の子を助けたってどういうこと?それにどうしてこの家に向かってるの? 何で、昨日の今日でそんなに女の子との関わりがいきなり増えてるの?」


 涼太が明日香の方へと振り向くと、そこには複雑な表情をした明日香の顔があった。


「いや、絡まれてたから、助けようと思って助けだけであって……。どういう理由でこの家に向かっているのかは俺は知らない。とにかく俺の判断としては、その魔術師のアルカナの所持者に対しては普通に対応するつもりだ」


 涼太のその発言に美鳩は、やはりそうなるか、と心のどこかで予想していたかのように一人納得する。


 涼太の性格からしてあの魔術師の少女に対していきなり武力対抗するとは思っていなかった。涼太の意図することがわかってはいるが、一応美鳩は涼太に確認をとる。


「それは対抗策を練ることなしに、そのまま彼女を家に招くということですか?」


「そうだな。俺が見た限り、あの魔術師の少女は人間には攻撃出来ないはず。多分、今回は何かの対話か交渉目的に来るのだと思う」


 それを聞いた明日香は、不機嫌そうな表情でそれに言葉を返す。


「……ふーん。それ、ホントに大丈夫なの? 兄さん。魔術師の逆位置の異名って知ってる? 『ペテン師』、だよ? そんな簡単に行動を読ませるような相手じゃないかも知れない」


 そう自分で言い放った後に、何故か頬を膨らませて横を振り向く明日香。


 確かにそういったことも考慮にいれておかねばいけないとは思うが、一体何故そこまで怒ったような態度を見せるのかは涼太には理解できない。


「私は涼太様の決定がそうであるならば、それに従います。今回はどれも最良の手とは言えません。ここは涼太様の判断に身を任せるつもりです」


「うん。そうしてくれると助かる。明日香も、さ。一応それを認めてほしいんだけど……」


 涼太のその声にも明日香は振り向かない。しかし無言の肯定、という風には解釈できそうもない。


 しばらく悩むような素振りを見せた後、明日香は「はぁ」とため息をついてから涼太へと振り返った。


「……わかった。私もそれでいいよ。ただし! 玄関でその人に対応するのは私。あと美鳩さんはカードの中に入っててもらう。それでいいなら、私もそれに賛同する」


「……明日香がそうしろっていうなら、そうするよ。美鳩。悪いけど今はカードに戻ってもらうから」


 所持者である涼太の意思次第で、隠者のアルカナである美鳩はカードに戻らなければならなくなる。


 普段の落ち着いた感じ表情は変えず、ただ「了解しました」と言い残し、美鳩はカードの中へと戻った。


「……美鳩をカードに戻したのは、情報を余り提示しない為、っていうところか?明日香は石橋を叩いて渡るタイプだな」


 用意周到であることに越したことはない。まだ美鳩の存在はあの魔術師の前には見せていないので、間違ってはいない選択だとも言える。


「まあ、それもあるけどね。ただどちらかというと、それが主な理由じゃないの」


 明日香のその発言に首をかしげて、分からない、と言葉を零す涼太。それ以外にどんな理由があるのか、彼には思い付かなかった。


「別に、分からないなら分からないで、今はそれで良いかな。……言ってみるならこれは、私のちょっとした我侭みたいなものだし」


 そう言って涼太の近くにやってきた明日香。


 何をするのかと思えば、明日香がとった行動は、涼太が予想だにしなかったこと。


「……しばらくは、こうさせて? 兄さん……」


 明日香がとった行動。それは、腕組み。


 ゆっくりと近づいてきた明日香は涼太の横に沿い、両腕で涼太の右腕に組んで、涼太の肩に頭を傾けた。


 伝わってくるのは、服越しではあるが女の子特有の身体の柔らかな感触と、そして温かなぬくもり。直ぐ側からは明日香の心音が聞こえてくる。


 涼太は動揺した。


 明日香は確かに甘えてくる時はとことん頼みごとをしてくることはあったが、高校生になってから明日香がこのような行動を取るのは初めてのことだった。


 クラスでも女子と話すことの余り無い涼太は、女の子に対する適応力はそれ程無い。


 それ故相手が明日香であっても、恋人同士がするような腕組みという行為に涼太は内心かなりドキドキとしていた。


 しかし、何故このようなことをしようとしたのか、その心境は涼太にはわからない。だが、明日香が次に呟いた言葉で、その理由が少し読み取れることとなった。


「……私を置いて、兄さんまでどこかに行っちゃうのは、……もう、嫌だから」


 弱弱しい明日香の声に、涼太の心は揺れた。


 明日香の声から零れ落ちたその呟き。普段彼女が見せない寂しさと不安が、そこにはあった。


 甘えてくることはあれども、決して弱さを見せない明日香。涼太が寝床に伏し、理由不明なまま動けない状態になった時もこれほどまでに不安感を出したことはなかった。


 こんな時、どんな言葉をかければよいのだろうか、と涼太は迷う。


 そのかけたい言葉には責任が伴う。それはきっと今かけることが出来るどんな言葉よりも、明日香にとっては安心できる言葉だとは思う。


 しかし、時が経てばその言葉も現実のものとはし難くなってしまうのは相違ない。


「……心配すんな。明日香以上に大事なものなんて、今の俺には無いから」


 そして悩んだ末に涼太の口から放たれた言葉。これは涼太の本心。


 少なくとも今は、これが彼にとっての現実。


「……本当に?」


 上目づかいになる形で、涼太の方を見上げる明日香。


 その瞳からは、一筋の涙が伝わった後が見えたような気もするが、その瞬間に明日香が袖で自分の顔を拭ってしまったために、それが本当であったかは分からない。


 しかし、その言葉に確かに頷いた涼太の様子を見た明日香の表情は、先ほどとは変わって明るさを取り戻していた。


 少しの沈黙が二人を包んだ後、インターフォンの音が鳴り響いた。


 恐らく、魔術師のアルカナを持つ少女が桜井家に着いたのだろう。


「『魔術師』が着いたみたい。それじゃあ行ってくるね、兄さん」


 暫く組んでいた涼太の腕を少し名残惜しそうに離すも、反面、その表情には力強い彼女の気持ちが見て取れた。


「ああ。頼んだよ、明日香。彼女への対応は、お前に任せた」


 うん、と嬉しそうに明日香は頷くと、玄関に向かっていった。


 ――先程涼太の口からはっきりと聞けた、あの言葉。


 それが今の明日香にとっては嬉しくてたまらないものであった。


(……兄さんは、私にはほとんどウソを付かない。だからきっと、今の兄さんの言葉も本心。……そうだよね。何を不安になってたんだろう。兄さんにとっても、私は唯一の家族なのにね)


 気づかないうちに自分の表情に零れんばかりの笑みを浮かべてしまっている明日香。


 だがしかし、玄関の前に立つとその思考も冷静になる。


 いきなりの奇襲をかけられる可能性もあることを考慮に入れ、明日香は自分の持つアルカナ、『Strength』【力】のアルカナを使うことにした。


「力、正位置」


 明日香は自分のポケットに入れたカードに触れ、そう呟く。


 明日香の持つアルカナの能力。正位置においてのそれは、『身体能力の上昇』。


 涼太のアルカナの持つ能力、集中力の増加とは違い、その身体能力そのものを上げるものである。


 つまり集中力の増加と比べても、単純に使用する分には、戦闘において優位に立ちやすい能力であると考えられる。


「どうぞ、入っていいですよ」


 玄関越しの人物にそう声をかけた明日香。その声に相手も呼応する。


「では、そうさせて貰うわ」


 明日香の許可に応じて、玄関の戸を開けた椿。


 椿としては、必ずしも涼太が迎え入れるものでは無いであろうと予想していた為に、女性の声が玄関の内から聞こえてくるのもおかしいものではないだろうと思っていた。


 恐らくはそれが涼太の妹であろうとその場で仮定した。


 だが、その正面に立つ者の姿を見て、椿は驚く。


「……ちょっと、待って。これは、どういうことなのかしら?」


 初対面であるのに理解不能な言動をとった椿に、明日香は不信感を募らせる。立ち会っていきなり『どういうことなの?』とは、それこそ一体どういうことなのだろうか。


 首を傾げつつ、少しの苛立ちを含めた声で明日香は対応した。


「あの、言ってる意味がよくわからないんですけど……」


「わからないって……。髪は長いし、声も少し高くしているようだけど、どう見たって瓜二つだわ。あなた、『秋仁あきひと』さんでしょう?一体なんの茶番で私をここに呼んだのか、逆に私が答えて欲しい位なのだけれど」


「……あき、ひと?…………あぁ、そういうことですか。誰のことだかわかりませんけど、勘違いでこの家に来たのだったら帰ってください。私は秋仁なんて名前じゃありませんので。私の名前は桜井明日香です」


 もしかしたら聞いたことのある名前なのかもしれない、と一瞬考えようとした明日香だったが、途中でその思考に走ることは中断した。


 そもそもな話、相手は魔術師のアルカナ所持者。逆位置の異名は『ペテン師』であるのだから何かにつけて騙そうとしている可能性も否めないのだ。


 それならば相手のペースにつられる訳にはいかないだろう、と考えた明日香は、お引き取り願いを椿に対して提示したのである。


 一方、明日香のその返答を耳にした椿は、先ほどの己の発言が勘違いであったことを知った。


 正午に迫る時刻に涼太と会話した時もそうであったが、椿は基本的に、嘘を見分ける能力を持っているためだ。


 これはアルカナの能力によるものではなく、もはや持ち前の感覚的なシックスセンスのようなものに近いかもしれない。


「……なるほど。しらを切っている、というわけではないようね。……うん、素直にここは謝るわ。ごめんなさい。私の勘違いだったわ。貴女に似ている人と知り合いだったから、間違えてしまったみたい」


「……私に似ている、という割には、秋仁なんていう名前は明らかに男性よりな感じがするんですが……。まあ、いいです。とにかく、ここに来た要件を教えて下さい。そしてさっさと帰って下さい」


「なかなかストレートな返答で結構ね。では要件を伝えさせて欲しいから、貴方のお兄さんをここに呼んでくれないかしら。今この時間にいない、ということもないでしょう?」


「残念ですね。兄さんなら今日は学校の友達の家に泊まっています。プライバシーの保護の点から、その場所は教えませんけど」


 もちろんこれは明日香の嘘である。しかし、椿には瞬時に嘘だとわかった。


「そんな嘘はつかなくても結構。大体、しっかりと名前の付いた自転車も二台ある上に、履きなれている様子の靴も玄関にあるのに、出かけたとは思えないわ。それに、学校の友達に対して靴まで気を使うとは考えにくいわね。とにかく、貴方のお兄さんを呼んできて欲しいの。重要な話があるから」


「……いやです、と言ったら、どうしますか?」


「そうね。今日の私は機嫌が悪くなったり良くなった末に悪くなったりを繰り返しているから、イライラしてるの。だから、ちょっと強引な手に出る可能性も無くわないわね」


「そういった手に出るなら、警察を呼びます。……でも、結局今日帰してもまた兄さんに会いに来るなら同じことです。素性の知れない女を兄さんに近づけたくは無いので、要件なら私にことづけでお願い。それが嫌なら……こちらも強硬手段にでますよ?」


 段々と丁寧な言葉を使うことすら止めたくなってきた明日香。この場での対応を兄に任された以上、ここで妥協する気は無かった。


 一方で、明日香がアルカナ所持者であることを知らず、明日香を一般人だと考えている椿としては。


 アルカナについての情報には多少のものであっても耳に触れさせるべきでは無いと考えているために、明日香にことづてを頼むのは躊躇う行為であった。


 その点に椿は悩み、そして沈黙する。その沈黙をどう受け取ったのか、明日香は溜息をつき、椿に進言した。


「私に聞かれたくない内容なんですか? どんな内容かは知れませんが、兄に関わる内容ならどんな内容でも耳には入れたいので、悩まずとにかく言ってください。もし私に不利益な内容であっても、兄に関することなら、一切構いませんから」


 その明日香の声に、躊躇っていた部分が椿の中では解けて消えた。彼女はしっかりとそう発言した。ならば自分の『責任』はきっと軽いだろう。


 そう考えた椿が口を開こうと決意したその瞬間。


 バリン、と、崩れ落ちる軽音。窓ガラスが割れたような音が鳴り響く。それと共に何かの衝撃音。


 恐らくその音が鳴り響く方向に居るのは――――


「っ!! 兄さん!」


 今までこの家に何年も過ごしているからこそわかる、感覚。


 明日香は耳、響きの感触から理解する。


 今の音が鳴り響いたのは、涼太の部屋からだ。


 椿を後目に直ぐさま涼太の部屋へと駆けつけるべく、明日香は方向転換、そして部屋へと走り出す。


 駆け抜けるは長い廊下。二階の無い造りな為に、一階の面積が横に長いものとなっている桜井家は、そういった造りになっている。


 廊下が軋む音が響く。


 もはや椿の存在は明日香の頭からは消えていた。


 ただ、走る。明日香が現在行使するは、『力』のアルカナ。速度は明日香の通常の二倍程。


 長い廊下も無きものが如く彼女は走り抜ける。


 涼太の部屋の前には和室の部屋があり、襖を二度開けなければ涼太の部屋には入れない。


(お願い、無事でいて、兄さん!)


 部屋を挟んだ和室の一枚目の襖を開け、一歩、二歩と瞬歩。


 二枚目の襖に手をかけようとしたその時。


 ヒュンッという音が明日香の耳元で鳴り響いた。


 彼女の真横を通り過ぎるは、(やいば)。そしてその刃がつくり出した、頬を撫でる弱風。


 薄い木と共に、びりびりと襖の左の扉が切り裂かれ、破れていく。


 振り切られた刃の切っ先を見つめた明日香の額には、冷や汗が伝う。


 いくらアルカナを使っているとはいえ、生身の身体であることには変わりない。


 単純に皮膚の強度が上昇していたとしても、もし切っ先に身を切り裂かれてしまえばアルカナの加護有りと言えども致命傷になることに変わりないだろう。


(……。落ち着いて、私。大丈夫。当たらなければ、どうってことは無い。そう、とにかく、兄さんを助けなきゃ)


 二秒での深呼吸。


 自らの気持ちに緩急を付け、明日香はまだ裂かれていない方の、右の襖を蹴り飛ばした。


 その威力には、『力』のアルカナも便乗。うら若い女子高生のものとは思えない程の威力でその襖は吹き飛んでいく。


「兄さん!」


 叫ぶ明日香。涼太の部屋に足を踏み入れ、右方を向くと、そこには涼太の背中。


 そしてそれに対峙し、西洋剣を手にする悪魔の姿があった。


「……! 明日香か!? こいつ、殴っても倒せない! 痛みも余り感じないみたいだ。集中力が増加してるから避けれるには、よっと、避けれるんだが、うわっと、俺の力じゃ倒せないかもしれない!」


 涼太は明日香の方へ振り向かず、悪魔の剣を避けながら声だけで答える。


 その声に昨日のような、恐怖に対する感情や、震えた響きは含まれていない。


 隠者のアルカナの能力の有用性が、涼太の不安の感情の揺れ動きの収縮に一役買っているからかもしれない。


「じゃあ、タイミングを見計らって私がそいつを蹴り飛ばす。兄さんはそのまま、しばらくそいつの攻撃を上手く避けてて!」


「了、解!」


 答えた後も、涼太は悪魔の剣筋を見切り、そして綺麗にかわしていく。一振り、二振り。


 一太刀でもその体に受けてしまえば確実に致命傷となるはずの攻撃のさなか、涼太に焦る様子は無い。


 命を奪うための急所狙いの攻撃が続いてはいるものの、悪魔の動きは至って単調。


 場合によっては涼太でもなくても剣筋を見切ることが可能かも知れない程のわかりやすさ。


(こいつ、確かに俺を殺すための動きはしている。だが、本当に俺を殺すつもりはあるのか? こんな攻撃、パターン化することもできる。隠者のアルカナを使わなくても避けれるかもしれない。こいつのスペックがそもそも薄弱なのか、それとも、何か別の狙いが――?)


 そうして涼太が避けているうちに、悪魔の背後に回り込む明日香。


 その狙いは悪魔の頭、一点。この化け物に脳というものがあるので有れば、そこを狙ってみる価値はある。


 タイミングを計り、明日香はいつでも蹴りを繰り出せるようにと構えを取る。


 明日香が背後にまわっても、悪魔は振り向くそぶりを見せない。


 未だに涼太へと繰り出すは、単調な連撃。


 そしてその剣が涼太の真横に振り下ろされた瞬間、明日香は自身の身体を捻り、飛ぶ。


 狙うは悪魔の側頭部。明日香の足がそのまま当たるかと思われたその刹那。


 ――悪魔が振り向いた。


 先ほどとは打って変わったような鋭い動き。しなやかさを持った反動が悪魔の動きの流れを、突然に反転させた。


(……うそ……!)


 明日香の方へと振り返り、振り下ろされた剣は加速した悪魔の動き伴って横なぎに明日香の腹部へと向かう。


 先ほどまでの動きはこの反撃の為への布石か。恐らくは、悪魔の狙いは油断をつくことであったのだろう。


(これは……ダメ、かも……)


 明日香は瞬時に悟った。


 ――避けられない。


 身体能力が底上げされているとはいえ、彼女の身体は今は宙に浮き、地に足がついていない。


 どれだけ身体の向きを変えようとした所で、この状況下での物理法則には逆らえない。何より、剣の速度が速すぎた。


「明日香!!」


 涼太の叫ぶ声が聞こえる。しかし、どうしようもない。どれほどの傷を受けるかは分からないが、こればかりは避けられない。


「――――風よ、奴の腕を切り裂きなさい!」


 突然どこからか声が聞こえ、そして眼を開いた明日香の視界に映ったのは、腕の無い悪魔の姿。


 迫っていた剣の筋も、今は明日香の目の前に無い。


(今なら、……いける!)


 そのままの勢いで曲げた右足を悪魔の側頭部へと振り切る。


 足が物体に衝突する確かな感触を感じた後、悪魔の身体は涼太の部屋の窓際へと吹き飛んでいく。


 すでに割れている窓を突き抜け、悪魔の体は庭の土壁へと激突した。


 うなだれた状態で、悪魔はそれ以上の動きを見せなくなる。


 しばらく経っても動作がないのを見るに、悪魔との戦いは、一応はここで決着とみて良いようだ。


「危なかったわね。明日香さん」


 土壁の内側から聞こえてきた声。これは明日香が先ほど聞いた声。そして涼太も本日、聞いたことのある声だ。


「……助かりました。ありがとうございます」


 言葉こそ丁寧だが、少し不機嫌そうな声でそれにこたえる明日香。


 先ほどの剣筋の途絶えは、彼女の『魔術師』のアルカナによる援助であることは相違ないだろう。


 彼女の『魔術師』のアルカナによって引き裂かれた悪魔の腕はどこに飛んでいったのだろうか。


 見回してみると先ほど明日香がいた場所の直線距離にそれは有り、涼太の部屋の押し入れの障子に突き刺さっていた。


 絶妙なタイミングに絶妙な傷を与えた椿に、賞賛と感謝の感情を持ちつつも、何だか憎らしいと思う感情も明日香は抱いてしまう。


「いいえ、構わないわ。今日、貴方のお兄さんが私を助けてくれたお礼を、代わりに返しただけだから」


 ことも何気に返す椿に、明日香は少し惨めな気持ちになった。彼女がこの場にいなければ、自分がどうなっていたかわからない。


 そして今引き合いに出された言葉は、兄に関すること。


 それも相まって、自分一人の力だけで対処出来なかった事実に不甲斐なさを感じてしまったのである。それゆえか、明日香の口から出たのはちょっとした意地悪な問い。


「玄関からは入れないからって、兄の部屋の方に回るなんて、よほどの執念ですね」


「ええ。招かれない玄関から家に入って失礼するよりは、その方が余程マシでしょう?」


 椿は不適に微笑む。その表情に釣られて、明日香の頬も何となく緩んだ。


「……そういえば、今度会うことがあれば、私の名前を教えるって言ったわね」


 今度は涼太の方を振り向き、言葉をかける椿。集中力が増加していたとはいえ、避け続けるには若干の体力がいるために、涼太は息切れを整えてから答える。


「そういえば、そうだったな。まさかこんな早く、しかも自分から赴いてくるとは思ってなかったけど」


「私もそうよ。いつか会うことはあるだろうとは思ったけれど、自分から会いに行くなんて思わなかったわ」


「ま、なんか理由はあるんだろうけど、それは後で聞くよ。人に名前を尋ねるときは自分から、とかよく言うから、俺から名乗ってみるかな。俺の名前は、桜井涼太」


「私の名前は、藤野椿(ふじのつばき)。あなたの護衛として、会いに来たわ」


 簡単な会話のやり取りではあったが、何故か椿の心中では緊張感が渦巻いていた。


 表面には出さない。言葉にも出さない。けれど椿の今の複雑な心持を知れるのは本人の椿しかいない。


(どうして、私、この人に対して緊張しているのかしら?)


 ただ名前を名乗るだけ。けれど涼太の方へ言葉をかける度に、浮かんでくるのは自分を助けてくれた昼間の彼の姿。


 あの時の彼を、純粋に少し格好いいと思ってしまった。それだけは事実であると、椿は自分でも理解する。


 この瞬間、なんの脈略もなく、ただ感覚として椿と涼太のお互いが思った。


『きっとお互いの付き合いは長くなるだろう』と。


 ――人生とは複雑な、そして不思議な必然と偶然の交わる盤上だ。この場での椿と涼太の出会いもまた彼らの運命か。


 涼太はかくして、昼間の少女との、再度の邂逅を果たしたのであった。






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