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第5話 護衛の少女と『悪魔』の襲来




 桜井家の一室。涼太の部屋。


 そこでは机の上でペンが走る音と、定期的に本をめくっている音のみが反響していた。


 シャープペンシルを握り、一人黙々と作業をし続ける涼太。そして先程涼太が買ってきたタロットの雑誌を読む美鳩。


 お互いが自らの作業に集中し、相容れることはない。


 そんな言葉の沈黙が数時間と続いていた中、それを破る一つの音が桜井家に響いた。


 明日香が玄関の戸を開ける音だった。


「ただいまー。兄さん、今日の夕飯何にするー?」


 涼太が家に居ること前提で明日香は家中に響き渡るような声を出した。


 桜井家は一階建ての和室メインの一軒家であり、声の音響もとても良い木造家であるので、玄関近くの台所から声を出せば、涼太の部屋まで声がしっかりと届くのである。


 いつもなら直ぐに返事が帰ってくるのだが、何故か今日はその気配が無い。


 もしかしたら家に居ないのだろうかと思いつつも、涼太の部屋に向かおうとする明日香だが、涼太の部屋の手間にある客間を通った時に、


 明日香は仰々しく物を積み合わせて入れ込んだような袋が二袋あるのを見かけた。


(……何この袋? 兄さん買い物にでも行ってきたのかな?)


 明日香は少し気になったので袋の中を覗いてみると、そこには女性向けの服が入っているように見えた。


(……もしかして、私の為に買ってきてくれた服、なのかな? そういえば一昨日辺りに、最近服を買いに行ってないって兄さんの前で言ったような……。兄さん、気が利くこともあるんだね)


 そう思った明日香は、唯一の家族である兄が自分のことを大切に思ってくれているような気がして、それを嬉しく感じていた。


 ただ、その袋に関しては明日香の勘違いであるのだけれど。


 嬉しさから少しウキウキとした気分で明日香は客間を通過し、兄の部屋の襖を勢いよく開けると、そこには普段余り見ない光景が広がっていた。


 まず明日香の目に入ったのは、机に向かい勉強をしている涼太の姿。いつもは寝転がって漫画でも読んでいる印象が強いので、明日香は何となく違和感を覚えた。


「明日香様。お帰りなさいませ。……涼太様は今アルカナの力を使って集中しているので、耳元で声をお聞きかせなされば、明日香様が帰ってきたことに気付くと思います」


 部屋の隅で本を読んでいる美鳩が、座ったまま顔だけを明日香の方へ向けてそう言った。


 美鳩がそこに居たことに少し驚きつつも、涼太のアルカナであるならば居ても当然なことではあると納得しつつ。今この家に兄と二人だけではないということに妙な違和感を感じながらも明日香は答えた。


「あ、そうなんだ。うん、わかった。じゃあそうしてみるね。……兄さーん! 可愛い妹が帰って来ましたよー!」


 机の上で物凄いスピードで右手を動かし続けている涼太のもとへ明日香は近づき、耳元近くで声をあげたところ当然の結果といえようか、涼太はいきなり響いた音に驚き体をビクッと振るわせ、ギョッとした顔で明日香の方を振り向いた。


 その様子が面白かったのか、影でクスッと美鳩が笑う。本当は少し肩を叩くだけでも涼太は明日香に気付いたであろうから。


 美鳩はちょっとした悪戯をするのが好きなようであった。


 胸に手を置き、気持ちを落ち着かせながら涼太は明日香に言葉を返す。


「明日香……心臓が止まるかと思ったぞ……。というか、今、何時なんだ?明日香が帰ってきてるということは……」


「涼太様。今現在の時刻は17時30分です。先程涼太様が机に向かい始めててから3時間が経過しています」


 その質問に美鳩は本に視線を向けたまま応答した。


 3時間。それは普段机に向かって勉強をしない涼太にとっては有り得ない程長い時間である。


 そしてそれほどに時間が経過したにも関わらず、涼太自身は10分も机に向かっていなかったような感覚さえ覚えていたので、自らのアルカナの能力の強さに驚愕した。


「3時間……!? そんなに長い時間アルカナを使って兄さん、大丈夫なの!? いくら朝に大量に野菜を食べたからとは言っても、そんなに長く使っていたら体に無理がかかるよ!」


「へ? そうなのか? 朝の野菜炒め食べた後からはずっと美鳩も出したままだし、アルカナも何回か使ったんだけど……特に何ともなってないんだが」


「そ、そうなの? うーん……アルカナによって個人差があるのかな……。私の場合はどんなに大量に力の源を摂取しても、30分で限界なのに……」


 個人差やアルカナの差とは言えども、30分と数時間の差は大きすぎる。これはアルカナを使っていく上では、重要な差違になっていくだろう。


 特に涼太の場合はアルカナの使用を長時間継続出来るのは大きなメリットとなり得る。


「……ところで兄さん。アルカナの話はさて置いて、今日は買い物に行ってきたんだよね? さっき、女の子向けの服が買ってあるのを見たの。まぁ、兄さんにしては気が利いてると思うよ?」


 検討したところで明確な答えが出るはずもないアルカナの話題を切り上げ、満面の笑みを浮かべて涼太を賞賛する明日香。


 今の明日香にとってはアルカナよりもこちらの方が遥かに重要なことである。


 何故か誉められたので、涼太も満更ではなく嬉しさを感じた。


「ああ、美鳩にお前の服をずっと着させるわけにはいかないしな。貯めた小遣いの半分を使って買ってやったんだよ。今日半額セールだったしな」


 妹に誉められ、得意気に涼太がそう答えたその瞬間、明日香の表情が止まった。明日香が自らの微妙な勘違いに気付いたからである。


 あの服は、明日香の為に買ったものではなく、美鳩の為に買ったのだということに。


「へ、へー。今日、半額セールだったんだ。そっか……。良かったね美鳩さん。これでこれから服に困らずに済むね」


 表情を切り替えて美鳩に笑いかける明日香。けれど内心は、かなり動揺していた。


 半額セールとはいっても、袋一杯の量の服を買い込むには、それなり涼太が自分の小遣いを割く必要があるはずだ。


 元々家内のお金の管理は明日香がやっている。涼太の小遣いもまた然り。進学校に通うが故にバイトをしていない涼太が、今日使ったというお金も何ヶ月と使わずに少しずつ貯めたお金に違いない。


 それが、いつも涼太と一緒にいる自分ではなく、昨日いきなり現れたポッと出の少女に与えられ、向けられたということが、明日香にとっては少なからずショックだった。


「……まあ、兄さんがどんな風にお金を使おうと、兄さんの貯めたお金だから文句は言わないよ。女の子には優しくしておくのが基本だと私も思うし」


 言葉では、そう言うことにする。


(……けど、一週間も兄さんの世話をした私にも、何か買ってくれてもいいと思うんだけどな)


 そんな風に明日香は心の内に思うが、嬉しそうな兄の顔を自分の愚痴で曇らせるのもどうかと思い、後の言葉は伏せることにした。


 なんとなくこの話題から離れたくなった明日香は今日の学校での近況報告でもしようかと思った矢先――。


 明日香は、ある異変に気がついた。


 『Strength』。【力】のアルカナに目覚めてから今まで数回と感じてきた特有の感覚。


 言い表すならば、全身に一瞬ピリッとした電気信号が流れるような感覚。


 それはアルカナ毎に変わるが、例えばアルカナ所持者である涼太が近い範囲に来たとき、もしくはアルカナを使えばそれは涼太のアルカナだとわかるのだが、


 この感覚は明日香が今までに数回感じたものと類似していた。


 ――これは自分と涼太でもない、他のアルカナの発動の、気配。


「……っ!! 兄さん! 他のアルカナ所持者が、もしくは所持者のアルカナが近くに来てる。相手がどう出るか分からないから、警戒しておいて! できれば今すぐ野菜を食べて!」


 それに気付いた明日香は、声をあげる。


 しかし一方の涼太と美鳩の二人は、明日香のいきなりの剣幕にたじろいでいた。


 明日香はアルカナの存在に気づいたが、『何故か』彼らは全く気づいてもいないようであった。


 ただ、こういう時の対応は、美鳩は割合と早いようで。数瞬のためらいを見せた後、状況をいち早く察した美鳩は部屋の襖を開け、


「涼太様が食べる為の野菜を取って参ります」


 と一言残した後、台所へと向かっていく。機敏な対応が出来るのはやはりそれが美鳩の性分だからだろうか。


「昨日の今日でアルカナに出会う確立が高いな……。なぁ、明日香も何か食べて置いた方がいいんじゃないか? 魔力とかいうやつの補充用に。というか何で他のアルカナが近くに来ていることがわかったんだ? 俺もわからなかったし、美鳩もそれには気づかなかったみたいだけれど」


 若干混乱しつつも、平静な態度を取った涼太は明日香へと疑問を投げかけた。


 しかし明日香の方は驚いた表情を見せる。


 明日香にとっては寧ろ、わからなかったことの方が疑問であったから。


「あ、うん。私も今兄さんと同じように、今から出来るだけ牛乳を飲むつもりなんだけど……。何も気づかなかったって、ホント? 一瞬、電気信号というかなんというか、そういう何か感じるものは来なかった?」


「いや、全く」


 涼太には実際そんな感覚は無かった。


 この違いは何から来るものなのだろうか、と思索にふけようとするも、そんなことをしている時間は無いと明日香は思考を切り替えて部屋を出て台所へと向かう。


 途中、台所からレタスを丸ごと一個持ってきた美鳩とすれ違いになったが、まあ、緊急事態なので明日香はそれが涼太にとってあまり好物でないことは伏せておくことにした。


(もしかして、美鳩さん。わざと兄さんが好きでないものを選んだのかな? いや、流石にそれは……無いか)


 そんな疑問も浮かぶが、まあいいやと明日香は思う。とにかく今は牛乳を飲まなければならない。


 涼太にとっての魔力の源が野菜であるように、明日香にとっての魔力の源はカルシウムである。


 人体が吸収できるカルシウム摂取可能量は特に影響せず、単純にカルシウムを含む量が多い牛乳を明日香は愛用しているのであった。


 一方涼太の部屋。


「さあ涼太様。このレタスをできるだけ食べてください。もし戦闘になった場合に魔力切れになって気絶したらもとも子もありませんから」


「ぐっ! レタス! なんてチョイスだ美鳩。俺の苦手な野菜だぞ」


「知ってます。けれど冷蔵庫には手ごろな野菜がそれしかありませんでしたので」


 常に料理は明日香任せの涼太には、その真偽を確かめる術はない。


 だからここに疑問の声を挟む余地など涼太には無かった。


「う……。まあいいや、この際仕方が無い。炒めて有りさえすればそこまでレタスも嫌いじゃないんだけど……」


 若干嫌そうな顔でレタスを一枚一枚剥いでもしゃもしゃと食べ始める涼太。


 そんな涼太の姿を見て嬉しそうに笑う美鳩だが、主人の命の為の役に立っていることへの喜びなのかそれとも単なるS的な喜びなのかは定かではない。


 少ししてから台所から明日香も戻って来たので、今からの行動について三人で話すことに決めた。


「今回現れたアルカナの気配は、私が何回か戦ったことがあるのと多分同じやつだと思う。……まだ、所持者自身と直接会ったことは無いけどね。


 以前と同じく所持者の持つアルカナの能力で出した者か、もしくは美鳩さんみたいに、アルカナ自体かのどちらかが、今私たちの近くに来てると思う」


 その明日香の説明に、なる程と頷く美鳩。


「明日香様、そのアルカナはどのような姿をしているのですか?」


「うーん……一概には言えないんだけど、言い表してみるなら、

『悪魔』。その表現がピッタリだと思う。後、二足で歩いていたけれど、明らかに人間の成り立ちはしてなかった」



「……おいおい。本気でファンタジーじゃないか。というより、明日香!俺が知らない間にそんなと戦ってたのかよ、凄いな! ……でも今の今まで、そんな目に遭ってただなんて、何で俺に言ってくれなかったんだよ。そんなに、俺は信用が無かったのか?」


 兄としては頼られたい。明日香を信頼しているからこそ自分も明日香には信頼されたい。


 そう胸に決めて今まで生活をしてきた涼太としては、妹が自分にそんな大変な目に遭っていることを教えてくれず、そして自分も気付かなかったことに改めて不甲斐なさを感じてしまっていた。


「ち、違うよ! 兄さんを信用してないとかじゃなくて、危険な目に遭わせたくなかったから……」


 涼太のその言葉に焦った表情を見せる明日香。


 たった一人の家族である涼太を信頼していないはずがない。


 アルカナなんていうわけの分からないものに巻き込まれていることも伝えておきたいとは明日香も考えたこともあった。


 ただ、それ以上に涼太が危険な目に遭うことの方が、明日香は怖かったのである。


「……涼太様。その点についての議論は後ほどに。今は他の所持者のアルカナの対策について話し合うべきです」


 あくまで冷静な状況を作り出そうとする美鳩。


 今の状況下で彼女の発言が正しいことは、涼太も明日香も重々承知している。


 涼太もまだ明日香に何かを言いたげだったが、ここは口をつぐむことにした。


 その二人の様子を見た美鳩は満足そうに頷くと、今からの行動についての案を示すことにした。


「まず、案としては、私が偵察に行くことです。何度か明日香様がその悪魔らしきアルカナと対峙しているようなので、もはやこの家の場所は知られてると見て間違いないでしょう」


 確かに、そう考えてもおかしくは無いかもしれない。


「そして私は自分の意思で一瞬で涼太様の持つカードへ戻ることが出来ますし、涼太様が危険になったときは、涼太様が望めば直ぐに戻ることができます。この性質ゆえに私が偵察に行くのが適しているでしょう。何か質問はありますか?」


「……あるよ? 兄さんがアルカナの所持者だということはまだ知られてないかもしれない。なのに美鳩さんが出て行ったらそれは敵に情報を与えるようなものだと思うけど」


 若干怒りを露にしながら美鳩の意見に対抗する明日香。


 涼太のことが絡むと、明日香はどうも感情的になる節がある。


 しかし、その明日香の言葉に対して自信があるように構える美鳩。


「その点は大丈夫です。私は、『隠者』のアルカナです。涼太様が拒否しない限りは自分の自由な意思でアルカナが行使できますので、逆位置の能力である、『存在の希薄化』を使えば安全に偵察が行えますから」


 そういうことなら問題は無いだろう。


 涼太のことが知られる危険性が少ないことを知った明日香もその意見には賛同し、涼太もそれに頷いた。


「ただ、おそらく存在の希薄化は集中力の増加よりも魔力の消費量が多いと思われますので、野菜の摂取には気を使っておいて下さい」


「うん、頼んだ、美鳩。だけど、危なくなったら直ぐに戻って来いよ?」


 涼太がそう言うと、美鳩は嬉しそうに笑う。


(これで本日の服の借りも、少しは返せるかもしれません)


 基本的に恩には恩で返すことが好きな美鳩は胸の内にそう思う。


 それと同時に、涼太の従者としての働きを発揮出来ることが、美鳩にとっては嬉しいことであった。


「それでは行って参ります、涼太様。……隠者、逆位置」


 美鳩が呟くと、明日香には美鳩の姿が見えなくなり、


 そして玄関から、外へと美鳩は出て行った。




 彼女が家の外に出てみると、辺りは既に暗く、周りを照らすのは電柱の明かりと月明かりだけの状態であった。


 涼太達の住む周辺は車の往来が激しい大通りからは外れているため人通りは少ない。


 それ故に夜にランニングをしている人の足音や自転車が通るだけでも、人が近くに来たことが分かりやすい。


 歩いている美鳩の足音も鳴り多少は鳴り響き、月明かりによる影も存在はしている。


 だが、存在の希薄化の能力は他人に存在の認識をさせないものであるので、音や光の影さえも美鳩を人に認識させる材料とは成りえないのである。


(……近くとは明日香様は言っていましたが、どの程度までの『近く』までを認識できているのかは定かではありませんから、もう少し遠くまで行ってそれを確かめて置くのも、今後の為には良いかもしれません)


 そう考えた美鳩は、目安を涼太の家から半径800メートル辺りを目安に行動することを決めた。


 そもそも歩いていようが走っていようが、美鳩の生じる音が認識されないことには変わりないため、途中から美鳩は歩くことを止め、走って回ることにした。


 走り始めて5分を過ぎても人が通る気配はない。


 結局当初に決めた探査の範囲を終え涼太の家までもう一度戻ろうと身体の方向を変えた、その時であった。


「――なっ!?」


 振り返ったその目の前に迫るのは月明かりにキラリと一瞬の輝きを見せる刃の反射光。


 とっさに地面を足で蹴り、右方向へと飛んで美鳩はそれを回避。


 しかし、涼太に渡されて今も着ていた明日香の冬用の服の一部が、振り下ろされた刃によって斬られてしまっていた。


(っ! 存在の希薄化を使っている私に、攻撃が出来るなんて! ……これは、涼太様と私にとって、大分相性が悪い相手のようですね)


 どこから現れたかも分からぬ存在からの、突然の不意打ちではあったが、あくまで美鳩は冷静な思考をとる。


 涼太に頼まれた矢先、失態を起こすようなことをしたくはない。


 暗くて相手の姿をしっかりと見ることは出来ないが、先ほど明日香が言っていた『悪魔』と呼べる容姿であった。


 手に握るのは西洋風な剣。それに加えて明らかに衣服ではないものに全身が黒く覆われており、背中には羽のようなものも見える。


 もしこの悪魔が単独であるならば。戦うよりは涼太のいる家への注意をそらした方が速いと判断した美鳩は、涼太の家とは真反対の方向へと走って逃げることにした。


 そして悪魔のような生き物は美鳩の後を追うようにして走り出す。


 ただ、その悪魔の速度は美鳩よりも若干遅いものであった。


(十分意識をこちらに引き付けた所で涼太様の持つカードへと戻ることにして、今は暫く走るしかありませんね)


 鬼ごっこのような状態が始まってから十数秒辺りが過ぎた時、美鳩の前方に人が歩いているのが見えた。


 美鳩の目線の先を歩いているのは、シルエットからしてどうやら女性、というより少女であるようだが、暗くてよく見ることが出来ない。


 人が周りに居ないが故か、その少女はぶつぶつと文句のような声を漏らしていた。


「……全くあの人は! なんでこんな分かり辛い地図をよこすのよ。もうこんな暗い時間になっちゃってるし。えーと桜井、桜井、と……。ああ!もう!暗くて家の苗字の標識も読めないじゃない!」


 その高校生辺りの年齢の少女が発する声は、今日美鳩が聞いたことのあるものだった。


 丁度彼女が向いている方向が美鳩の進行方向の真逆、つまり向かい合う形であったため、数秒で彼女の顔が認識できた。


(この人は、昼間に涼太様が助けた茶色の髪をした魔術師の女? まさか、この悪魔のアルカナは、この女の差し金でしょうか)


 それは昼間に涼太が助けた女の子、『藤野椿(ふじのつばき)』であった。


 椿が悪魔を差し向けたのか知るために、椿の横を通り過ぎた時点で美鳩は足を止める。


 その結果当然後から椿の目の前に現れたのは美鳩を追いかけてきていた悪魔であった。


「へ? な、何あれ……。悪魔? へ? きゃ、きゃああああああああ!」


 突然の不気味な生き物の登場に混乱しつつも、椿はポケットからカードを取り出しつつ


 美鳩が逃げようとしていた方向へと転換。ダッシュで走り出す。


 それに平行して走る美鳩。


 彼女の様子から、おそらくこの悪魔はこの少女の仕業ではないだろうと美鳩は判断した。


 椿の隣を走る美鳩だが、存在の希薄化を使っていることで、例によって椿は美鳩が隣で走っていることには気が付いてはいない。


「はぁ……。なんで今日はこんなに変な奴らに絡まれるのかしら……。というかあいつ、以前にも私の前に現れた化け物じゃないの!……まあ、いいわ。昼間は違ったけど、今回はどう見ても人間じゃないから、一思いにやってしまっても構わないわよね」


 路地の往来に人がいないことを確認した椿は勢いよく後ろを振り向き、悪魔と対峙することを決めた。


「魔術師、正位置! あの変な化け物を、燃やし尽くしなさい!」


 椿がそう宣言すると同時に、悪魔の周りには青い火柱が八本ほど立ち並び、そしてその火柱が一気に悪魔の身体を包み込む。


 断末魔の叫びをあげる暇もなく、数秒後には獄炎の如く燃え盛る青い炎によって悪魔の身体の大半が炭と化した。


「ふんっ。私を殺すつもりなら、もっと強い敵を用意しておきなさい。さて、桜井、涼太? だったかしら。早く彼の家を探さないといけないわね」


 炭と化した悪魔の残骸には目もくれず、再び手にもった地図に目を戻した椿は探している家にたどり着く為に歩き出す。


 しばらくした後、熱で曲がった西洋剣と共に悪魔の身体は自然消滅してしまった。


 倒された場合はその場に跡を残さないようにその悪魔は設定されているのだろうか。


 先ほどの言動からして、椿が向かおうとしているのは涼太の自宅。


 ここから徒歩でおよそ7分以内にはたどり着けることだろう。


(あの悪魔を、一瞬で焼き殺す力……。魔術師のアルカナは、相当危険ですね……)


 椿の戦闘の一部始終を見ていた美鳩は、戦慄を覚えていた。


 先程の魔術師のアルカナの所持者の放った炎は、余りに圧倒的で、余りに強力。


 これで魔術師のアルカナの発動の為のコストが少ないものであれば、奇襲を受けた際には涼太と美鳩に勝てる見込みは無い。


 美鳩はここで初めて次の行動に悩む。


 あれほどの力を持ったこの少女をこのまま行かせた場合、もしアルカナの所持者を殺すのが目的だったとしたら、


 涼太の家が被害に遭い、さらには涼太までもが殺されてしまうかもしれない。


 しかし何かの交渉が目的だった場合は、道中再び新たな悪魔が出現していた時には明日香や涼太の手を煩わせることも無く、この魔術師の少女が悪魔を殺してくれるかもしれない。


 前者であるならば、今この場で美鳩が椿を殺せば対処には事足りる。


 幸い椿には美鳩の姿は認識されておらず、実は昼辺りに行ったデパートで購入して護身用に持ってきた、果物ナイフ程度の装備品ならこの場にある。


 冷や汗が出るような感覚を身に覚え、数秒の逡巡の後に美鳩が出した結論は、――撤退。


 涼太の許可なしに殺すことなど出来はしない。デパートに向かう道中で涼太はこう宣言していた。


『人を殺してまで、奪うつもりはない』と。


 それが主人の意向であるならば、出しゃばって美鳩がそれに違う行動を犯すのは道理ではない。


 結論が出た後、直ぐさま美鳩は涼太が所持する隠者のカードへと戻ることにしたのだった。






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