真・4
「・・・」
音もなく、籬が立ち上がる。
驚いて彼を見上げるが、その視線の先は何もない。
ただ壁があるだけだ。
「どうしたの?」
「・・・」
答えず、籬は花喰い鶴丸に扇面の柄に手をかける。
鶴丸が唸っていた。
鶴丸とは、遺物確認のレーダーにもなり、籬自身が持つ能力を最大限に発揮するための、所謂籬の『武器』だ。
生きている、とは言わないが、鶴丸は確かにAIにも似たものを持っている。
遺物――獲物を前にすると、武者震いのように唸りを上げるのだ。
しかし、それは籬や、他の合成人間にしか分からない。
それ程微弱なものだからだ。
唸る鶴丸を宥める。
『対象』が見つからない。暗視に切り替えても、この部屋の奥を見られるようにモードを切り替えても、そこには『誰』もいないし、『何』もない。
籬や、他の合成人間に「気のせい」というものはない。
すべて何らかの基準に基づいて行動しているのだから。
「…ここに、遺物があるのか?」
「イブツ?」
「遺物を知らないのか?貴殿は」
うん、とうなずく。
信じられない。毎日のように人間が遺物に殺されているというのに、何も知らないのか。
籬は柄に手をあてたまま、ゆっくりとすわった。
「遺物とは、機械と人間が融合して出来た、人間の負の遺産…。融合した者を遺物と呼んでいる。…遺物は今から約50年前から、ゆっくりとした速度で増え続けてきた。しかし、政府がそれを隠し続けていた所為で、対応が遅れたのだ」
「うん」
「50年前以前は、遺物は世界の宝だと言われてきた。しかし、50年前の12月1日。その日、遺物が初めて人を殺したのだ。理由は、今だ分かっていない。それを期に、遺物が人を殺し始めた。そして今でも、毎日のように人間を殺し続けている。理解したか」
うん、とふたたびうなずく。
真っ白な手が、机の上に置かれていたノートに触れる。
「えっと…」
青いペンを握り、真は独り言を呟きながらノートに写し始めた。
何をしている、と籬が問うと、視線をノートに落としながら、わずかに笑う。
「教えてもらったことを書いておくんだ。忘れないように」
「理解した」
「籬には、これから色んなことを教えてもらうんだ」
「?」
「おれが知らないことをたくさん知ってるんでしょ?」
「自分は、教える立場にはない。守ることが、最重要任務だ」
はっきり否、と述べても、真は期待に満ち満ちた目で籬を見つめている。
無邪気に、それでもどこか暗い赤を滲ませながらも。
――鐘が、鳴る。
重たい音をした鐘が。
真はそれを聞き遂げて、カメラを持ち上げた。
「夕方になった!」
うれしそうに笑って、襖の取っ手に手をかける。
「どこへ行く」
「カメラ屋さん。写真を現像してもらうんだ」
「推奨しない」
「どうして?」
「遺物が活動するのは、ほぼ夕刻時だからだ」
人間が活発に動く夕刻。
仕事帰りの人間、今から娯楽に向かう人間。
さまざまな人間があいまざり、そしてそこにはかならず、遺物がある。
遺物は人間となんら変わりない姿かたちをしているのだ。
人間たちは、よもや――遺物に殺されるなどと、おもってはいないのだろう。
毎日起こる事件も、所詮は他人事。
自分ではないと思い、考え、甘い幻想に身をゆだねている。
籬は理解できない。
戦わぬ人間に、未来などないということを、籬は知っていた。
理解、していた。