真・1
----------観世水 真
予定より3時間と37分遅れて、百合子と籬は観世水邸に到着した。
観世水と名だけあって、清く澄んだ川が静かに流れている。
「嫌味なくらい豪華で立派なお屋敷ね…」
土壁が、何百メートルも連なっている。
百合子は呆然とその立派な門構えを見上げて、ため息を吐き出した。
「ねえ、大丈夫かなぁ。私、緊張してきたよ」
「・・・」
籬は答えず、備え付けられているインターホンを鳴らす。すぐに、壮年の男の声が聞こえてきた。
「こちら、観世水でございます。どなた様でしょうか」
「葵重工から参った、百合子並びに籬であります」
「葵重工…。かしこまりました。すぐにお迎えを行かせましょう」
ぎぎぎっ、と2メートル以上もあろうかという、門が重たい音をたてて開く。
そこには、一人の男が立っていた。
二人に気付いているのかいないのか、ただ門のむこうがわで微動だにしない。
百合子はちらりと籬を見るも、特別警戒をいだいていないようだ。
男性は黒髪で、眼鏡をかけている。
真っ黒なコートを羽織って、杖をついていた。
百合子がその男に見とれていると、ようやくその男はこちらをむいた。
「…ああ…あなた方が」
納得したような声色で、こちらを見つめている目は、眼鏡の奥にあって何色をしているのかわからない。
「は、初めまして。葵重工から派遣されました、百合子と申します。こちらが、籬漆号です」
「・・・」
籬は声を黙したまま、敬礼をした。
男は口をつぐみ、ゆるりと微笑んでから、玄関から出てゆく。
「遅れまして」
代わりに、壮年の男がこちらに歩いてくる。
白髪交じりの、気さくそうな男だ。
「いえ。お気になさらず。それで、先刻のかたは…?」
「…ああ、見られましたか。あのかたは、この観世水の次期当主…であらせられたかたです」
「あらせられた…?」
「…さ、当主がお待ちです。こちらへ」
むりやり話を切り上げられて、百合子は不審におもうも、これ以上は聞くなという目をしていた。
口を閉じて、前を歩く男にはぐれぬよう歩いていくと、豪奢な金張りの襖が幾数枚も並んでいる。
趣味が悪い。
そう思うも、籬の雇い主になる家だ。
もしも口をついて出しまっていたならば、早速クビ、ということになりかねない。
「こちらでございます。ご当主、お連れしました」
襖には、唐獅子と牡丹が描かれている。
――ここはヤクザの世界か、と百合子はおもうも、決して口には出さない。
「入りなさい」
さっ、と襖が開かれると、そこには、堂々とした男が座っていた。
男、観世水高峯こそが、この観世水邸の当主だという。
髪の毛を上にあげ、漆黒の着流しを着ている。
目も黒く、鈍く鷹のように鋭い。
奥には物々しく日本刀が置かれていた。
装飾のものなのか、それとも本物の刃があるのかはこちらからでは分からない。
観世水高峯。
この男は、『裏の日本』を背負って立つ人間であり、軍隊を引き連れている『表』とは対なる、『裏』と呼ばれる兵士を抱えている。
あらゆる実力を秘めた「人間たち」が集まるその『裏』を、葵重工、そして『表と裏』を知るものは『第五室』、または『五』と呼んでいる。
何故五室なのかと言うと、その『裏』が作られて五番目になる裏の代表が作った集団だからだ。
「…初めまして。葵重工から参りました、百合子と、こちらがご所望の合成人間…籬漆号です」
「・・・」
正座をし、籬をちらりと盗み見ると、緊張した様子もなく、ただ高峯を見据えている。
彼はゆっくりと首を垂れた。
「して、実力のほどは」
「はい。葵の全てをあげて開発しました。今のところ、試験的にも全てオールクリアです」
「…ほう。では、信頼しておこう。籬君――といったか」
「は」
「どれだけの力があるのか、私には分からぬ。しかし、息子…真を君は守りきれるかな?」
「この存在にかけましても」
淡々と答える籬は、梅紫の色をたたえたまま、視線を高峯に真っ直ぐそそいでいる。
高峯はうなずき、音もなく立ち上がった。
「ついてこい。息子にあわせよう」