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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第十話
49/56

宴・5

籬は、初めて『ヒトに対して』恐怖を覚えた。

琳に縋りつく真を見下ろし、それを庇わねばならないというのに、体が動かない。


「君はまだ若い。殺すのは惜しい人材だ。もっと、強くなれるだろう。恐怖を感じているという事が、その証だ」

「……」


高峯の目が、横にそらされる。

ひゅん、と音がして、籬の喉から先端が外された。

その行き先は、たった一つ。


「俺の視界からは決して外れない」

「……」

「口すっぱく言ってきただろう?――真」


真っ赤な目は、高峯を睨んでいる。

その目は、籬が今まで見たこともないほどに怒り、悲しみ、それに対して戸惑っているようにも見えた。

自分の「思い」そして「意思」に翻弄されているようにも。


「主、……逃げろ。この男は、本気で主を殺そうとするぞ」

「――いいよ。それで、いい」

「ほう?」


息を呑む籬と琳に代わり、高峯がその言葉の先を促す。


「おれは、今までイザヤの為に、他の誰かの為に生きてきた。でも言い換えればそれは、おれは“生きてきた事がない”。それを、ようやく気付けた。だから、これはおれの最期の我侭で、最期の願い」

「主、何を……!!」


真は先刻と違う、恐れも、悲しみさえも拭い去った声色で、琳の前へ歩み出る。

その姿は、月の光に反射し、かがやいて見えた。


「おれは、父さん。……あなたに教えてもらったものすべてを以って、おれはおれのために、抗ってみせる」


高峯は、すぅっ、と目を再び細め、ゆるく目を閉じる。

それは懺悔にも、後悔を抱いているようにも見えた。


「だから、籬」


わずかな、風。


「これは、命令。おれを、見ていて。絶対に、手出しはしないで」

「……」


雪が、降ってくる。

先刻までやんでいた雪が、まるで、嘆くように。


鶴丸の柄に手を当てていた籬は、目を閉じ、くちびるを噛みしめた。


「……ね?籬」

「――了解、した」


籬は分かっていた。

否、戦士として、直感的に理解していたのだ。


――真は、高峯に負ける。

そして死に、……イザヤの、未来の人間の犠牲になるのだ、と。


「やめ、ろ……っ!」

「……兄さん」


膝をつきながらも、真っ直ぐに真を見上げる琳の表情は、絶望に染め上げられている。


「なぜ、……なぜ、真なんだ!!なぜ、真じゃなければいけない!」

「それは、決まっていたことだ。観世水の本家の血が流れている。ただ、それだけの理由だ。お前では、駄目なんだよ。琳」

「ふざけるな!!観世水の血が流れている!?それだけで、たったそれだけのことで、真を殺す気か!そんなもの、人間がしていい仕業ではない!」

「では、神か?神が、我々になにをした?神などこの世には存在しない。存在するのは――己と言う意思だけだ。意思が、すべてを制する」


高峯は槍の切っ先を真へと向けた。


「兄さん。おれ、もうだいじょうぶだよ」

「真……」


そうっと、琳の頬を両手で覆って微笑む。

死にゆくものにしか出来ない、とてもうつくしい微笑みだった。


「おれの為に怒ってくれて、おれの為に悲しんでくれて、おれの為に戦ってくれて、ありがとう。……ありがとう、兄さん」


誰にも止められない。

誰にも、止められないような覚悟を持った目をしている。

それ程、真の「意思」は強い。


しずかに手を離されて、高峯へ視線を上げた。


「心配しなくとも、ここの一帯は交通止めにしてある。被害が出る事はないだろう」

「うん。――行くよ。父さん」

「この高峯。お前に敬意を払い、全力でお相手しよう」









――推して参る。









親殺し子殺し。

これは正義ではない。


――第五室。

第五室自体、正義で行っている。


正義は、その者に勝つことで『正義』と相成る。


即ち、逆らうものはすべて『悪』。



故、


観世水 真は


金居アヤナにとって


『絶対悪』


――いわんや――


彼女にとって唯一無二の存在


観世水高峯


彼の怨敵とならば――。

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