宴・5
籬は、初めて『ヒトに対して』恐怖を覚えた。
琳に縋りつく真を見下ろし、それを庇わねばならないというのに、体が動かない。
「君はまだ若い。殺すのは惜しい人材だ。もっと、強くなれるだろう。恐怖を感じているという事が、その証だ」
「……」
高峯の目が、横にそらされる。
ひゅん、と音がして、籬の喉から先端が外された。
その行き先は、たった一つ。
「俺の視界からは決して外れない」
「……」
「口すっぱく言ってきただろう?――真」
真っ赤な目は、高峯を睨んでいる。
その目は、籬が今まで見たこともないほどに怒り、悲しみ、それに対して戸惑っているようにも見えた。
自分の「思い」そして「意思」に翻弄されているようにも。
「主、……逃げろ。この男は、本気で主を殺そうとするぞ」
「――いいよ。それで、いい」
「ほう?」
息を呑む籬と琳に代わり、高峯がその言葉の先を促す。
「おれは、今までイザヤの為に、他の誰かの為に生きてきた。でも言い換えればそれは、おれは“生きてきた事がない”。それを、ようやく気付けた。だから、これはおれの最期の我侭で、最期の願い」
「主、何を……!!」
真は先刻と違う、恐れも、悲しみさえも拭い去った声色で、琳の前へ歩み出る。
その姿は、月の光に反射し、かがやいて見えた。
「おれは、父さん。……あなたに教えてもらったものすべてを以って、おれはおれのために、抗ってみせる」
高峯は、すぅっ、と目を再び細め、ゆるく目を閉じる。
それは懺悔にも、後悔を抱いているようにも見えた。
「だから、籬」
わずかな、風。
「これは、命令。おれを、見ていて。絶対に、手出しはしないで」
「……」
雪が、降ってくる。
先刻までやんでいた雪が、まるで、嘆くように。
鶴丸の柄に手を当てていた籬は、目を閉じ、くちびるを噛みしめた。
「……ね?籬」
「――了解、した」
籬は分かっていた。
否、戦士として、直感的に理解していたのだ。
――真は、高峯に負ける。
そして死に、……イザヤの、未来の人間の犠牲になるのだ、と。
「やめ、ろ……っ!」
「……兄さん」
膝をつきながらも、真っ直ぐに真を見上げる琳の表情は、絶望に染め上げられている。
「なぜ、……なぜ、真なんだ!!なぜ、真じゃなければいけない!」
「それは、決まっていたことだ。観世水の本家の血が流れている。ただ、それだけの理由だ。お前では、駄目なんだよ。琳」
「ふざけるな!!観世水の血が流れている!?それだけで、たったそれだけのことで、真を殺す気か!そんなもの、人間がしていい仕業ではない!」
「では、神か?神が、我々になにをした?神などこの世には存在しない。存在するのは――己と言う意思だけだ。意思が、すべてを制する」
高峯は槍の切っ先を真へと向けた。
「兄さん。おれ、もうだいじょうぶだよ」
「真……」
そうっと、琳の頬を両手で覆って微笑む。
死にゆくものにしか出来ない、とてもうつくしい微笑みだった。
「おれの為に怒ってくれて、おれの為に悲しんでくれて、おれの為に戦ってくれて、ありがとう。……ありがとう、兄さん」
誰にも止められない。
誰にも、止められないような覚悟を持った目をしている。
それ程、真の「意思」は強い。
しずかに手を離されて、高峯へ視線を上げた。
「心配しなくとも、ここの一帯は交通止めにしてある。被害が出る事はないだろう」
「うん。――行くよ。父さん」
「この高峯。お前に敬意を払い、全力でお相手しよう」
――推して参る。
親殺し子殺し。
これは正義ではない。
――第五室。
第五室自体、正義で行っている。
正義は、その者に勝つことで『正義』と相成る。
即ち、逆らうものはすべて『悪』。
故、
観世水 真は
金居アヤナにとって
『絶対悪』
――いわんや――
彼女にとって唯一無二の存在
観世水高峯
彼の怨敵とならば――。




