籬・3
「ちょ、ちょっと!籬、なにを――!」
百合子が焦ったようすで、敬四郎に刃をむける籬を制するが、ほとんど意味などない。
「自分の任務を遂行するまで。そこから退け」
「遂行、ったって、この人は…!」
ぶぅん、とメンテナンスルームが反応する。
5人いた研究員たちが目を見開いて、その音を聞き遂げた。
メンテナンスルームの電源を切っていたというのに、勝手に電源が入ったのだ。
「な、なに!?」
研究員達がもみ合いながら叫んでいる中、二人だけ、冷静を保っているものがいた。
八坂敬四郎と、籬だ。
「貴殿は、何者だ」
敬四郎は答えない。
ただ、立ってわらっているだけだ。
「遺物か、否か。応答を願う」
「―001010101010111111011―」
敬四郎の口からは、意味のない二進法の信号が吐き出される。
遺物はヒトの言葉を使うことができるし、機械の言葉を使うこともできる、と聞いた。
すなわち、有能な遺物ならば、ごくごく単純な機械ならば、意のままに操ることができる。
「その脳波。遺伝子操作の跡と見受けられる。だが、遺伝子操作をした人間は、みな死んだ。しかし、貴殿は生きている。それは即ち、最初から…遺伝子操作をした人間と、機械が混ざった遺物であると仮定される」
「そうだよ。私は遺物。もっとも、遺物になったのはつい最近だけどね――」
朗らかに、まるであいさつでもするかのように、遺物はわらった。
籬は、わずかに眉を動かす。
いぶかしんだのだ。
若い男だった、八坂敬四郎は、にいっ、と口はしをあげて、わらった。
「そ、そんな…。そんなことが…」
百合子の、ふるえる声が聞こえる。
刀身と鞘がこすれる音がして、とうとう刃を抜いた。
「貴殿を敵とみなし、攻撃する」
ひいっ、という、喉から搾り出されたような声が、研究員たちから吐き出される。
五人の研究員たちは我先にと、このメンテナンスルームから走って出てゆく。
そのなかに、無論百合子も含まれていた。
慌てふためく研究員たちに感化されたのか、三人の男達も急いでここから出て行った。
けたたましくなる警報。
赤く点滅するランプ。
ただ、風ひとつない部屋に二人がただ対峙している姿に、ふつうの人間ならば近寄る事さえ出来ないだろう。
先に手をあげたのは、敬四郎だった。
口を大きく開くと、そこから太いケーブルが這い出てくる。
それは瞬時に籬を捉え、そこから百足のような足が外へと飛び出た。
ウイルスを仕込んだ百足は、そこから何百匹と拡散し、籬へ向かってくる。
がさがさ、とひどい数の百足は床を這いずり回り、籬の心臓部――クイーンへとむかう。
「・・・」
しかし籬は、ひたりと刃を敬四郎にあてたまま、微動だにしない。
動けぬのではない。
動かないのだ。
じわじわと体を百足が這いずる。
敬四郎は、先刻とおなじ顔で笑ったまま、籬をじいっと見つめた。
観察するように。
数十秒たったあと、びっしりと肢体に百足が這い、血管と証する擬似ケーブルへと百足の針で人工皮膚を突き破ろうとした瞬間、
――ばちっ、
何万ボルトともなる電気が籬の体から発せられた。
敬四郎の目は白い閃光を見、大きく目を見開く。
百足たちはぼろぼろと煙をあげながら籬の体から離れ、金属音をたてながら落下した。
敬四郎が知覚したときはもう遅い。
「動かねば、敵は斬れぬ」
貴殿のように立ちふさがったままでは、決して敵は、天敵は死なぬ。
敬四郎の耳元でささやき、鶴丸を腹に埋め込んだ。
「が…っ!が、か…」
腹部に刺したまま鶴丸を横薙ぎに払ったあと、すでに敬四郎は膝を床に落としていた。
鶴丸の刀身は、うす赤い、血と人工体液でてらてらと照明のもとでかがやいている。
その体液を振り払い、鞘に鶴丸をもどした。
ばちばちと電流が流れている敬四郎の体を、ガスマスクと防護服を着込んだ人間が、ストレッチャーに乗せて、どこかへと運んでゆく。
百合子は、苛苛としていた。
籬の首筋にあるジャックからプラグを抜き出すと、はあっ、と息を吐き出す。
「まったく、面倒なことになったわ…!」
長い前髪を邪魔そうにかきあげて、書類とパソコンを交互に見やった。
「マスコミも大騒ぎよ!天下の執行部隊の議員が遺物そのものだったなんて!」
「・・・」
籬はなにもいわず、ただ真っ直ぐ、正面を見ている。
「大臣はだんまりを決め込んでいるし、まあ、私には関係ないか…。それで、あなたの処遇だけど…。通常通り、観世水邸へむかってもらうわ」
「了解」
「ちょっと遅れちゃうけど、観世水邸には了解を得ているから。怒られるようなことはないとおもうけど」
百合子は悪戯っぽくウインクをするが、当然籬はそれを無視をする。
彼女は「冗談の通じない子なんだから」とふてくされた。