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Vanitas vanitatum  作者: イヲ
第八章
35/56

糸車・3

頭が痛い。

どういうことなの。

百合子はひとりごち、目の前にいる狭霧を見つめた。


「イザヤは簡単にいうと"巨大な脳"。日本国民すべての人間のデータを保存し、遺物から守るもの」

「・・・」

「たとえ、国民すべてが遺物に殺されたとしても、データがある限り、イザヤが生きている限り死なない。…でも、そこに意思は存在しない。意思のない人間は、人間じゃないわ」


彼女は百合子に背をむけたまま、じっとパソコン群を見据えている。

腰までの長く艶やかな髪が照明に反射して、ちらりと光った。


「わたしは、イザヤを破壊する」

「!!」

「人の生は尊い。その人が何を考えて、何を思って生きていたのか。それは、その人を知るひとしか知らないわ。でもね、人間ってそういうことなのよ。その人を永遠に覚えていることは出来ない。いずれ、消える。でも、そういうことなの。生きる、ということは。いずれ消えてしまうから尊いの」

「…社長…」


再び百合子に向き直り、その白い頬をゆるめながら呟く。


「真君は、必死に生きようとしている。最初は、死んでも構わないとそう言っていたようだけど…。"薬"が切れた今、副作用で若干の精神不安定はあるだろうけど、初めて彼は彼として生きられる」

「…では…」

「イザヤを破壊することを望んでくれるのならば、協力は惜しまないわ。そう、琳君と真君に伝えてちょうだい」


百合子は、思わず頭を下げてしまった。

――この人のところで働けていて、幸せだ。

そう心中で呟く。


「ありがとうございます…社長」

「いやね、顔を上げて。これは、エ霞君の提案なんだから」

「え…?」

「利益になっても、不利益にはならない…。イザヤを破壊したって、国は大きな声で言えない。でっちあげた罪を被せたとしても、わたしたちがいなくなれば遺物は人を殺し続ける。まあ、小賢しい案だろうけど、ないよりはマシよね?」


おかしそうに笑って、ちらりとカーテンの端を見つめる。

そこに、エ霞が影のように立っていた。


「い、つのまに…」


驚く百合子に、エ霞はばつが悪そうに笑って、もじゃもじゃの頭を掻く。


「こうするしか、他になかったのさ。真を守るには、イザヤを破壊するしかない」

「…そういうこと。さあ、これから忙しくなるわよ。何てたって、相手は『裏』だからね」

「あの…社長。このこと、ほかの幹部には…」

「内緒よ、勿論。だって、怒られるもの」


おかしなところで子供っぽい狭霧を百合子が呆然と見つめた。

それでもと気を取り直して、彼女に問う。


「ですが、…隠すのは難しいかと…」

「まあ、そうだけど…。でも、先にやったもの勝ちよ!それに、幹部さんたちはわたしに甘いから、大丈夫」

「…はぁ」


それもそうか、と思惟する。

確かに、これまでも突拍子もない案を社長が出したとしても、利益不利益に関わらず、幹部たちは彼女の案に乗ったのだ。

幹部達は、彼女に甘い。

10代に見える彼女に、本気で怒ることができるものはいないのだろう。


「エ霞くん。百合子さん。もう下がってもいいわよ。これからやることがあるから」

「…はい。社長、本当にありがとうございます」


もう一度頭を下げて、社長室を後にする。



「・・・」


彼女はひとつため息を吐き出して、『裏』がある方角を睨みつけた。

とうとう、時が来た。


「…決して、許しはしない…」


少女の外見とは見紛う、低く憎しみに染められた声。


「観世水、高峯…」









「へぇ。この色男がねえ」

「ちょっと蝶子さん、なにじろじろ見てるんすか。失礼ですよ!」


蝶子は無遠慮に琳をじろじろと見つめている。

あれから一晩たっても、五室や執行部隊は襲っては来ない。

しかし、いつ襲ってきてもおかしくはないのだ。

屋上で見張っているエ霞、そしてエントランスで見張っている睡蓮は、ここにはいない。


琳に宛がわれた部屋のなかに、真と籬、はてには蝶子と道成寺が詰めていた。


「何か…?」

「いえ、なんでもないわ。見てただけ」


きっぱりと言い放つと、琳はわずかに苦笑いする。

代わりに道成寺が頭を下げることになった。


「いえ、お気になさらないでください。私は目がほとんど見えていませんので、人の視線と言うものはほとんど感覚でしか分かりませんから」

「兄さんは、せんせいなんです」


ベッドの端にすわっている真は、誇らしげに笑う。


「へええ、先生をしてらっしゃるんですか。でも、え?目が見えないのに?」

「ええ。生徒には秘密にしている事ですが。余計な事を言って、彼らに気を使われても困りますから。それに、黒板に書くような授業はしていません。殆ど、スクールカウンセラーのようなものですね。副担は持っていますが」

「すっげー!かっこいー!」


わめく道成寺に、蝶子は無言の手刀を頭に入れた。

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