籬・1
-----籬
――ザッ。
視界が開ける。
黒く、短い髪がゆらりと揺れた直後、それは籬の目の前に姿をあらわした。
ごちゃごちゃと細いケーブルや、太いケーブルが繋がれてできた、ヒト型の機械だった。
顔は白い。
かろうじて、鼻や目の凹凸がわずかながらにヒトの顔だということが分かる。
それが籬を襲おうとしているのだ。
「・・・」
金属がこすれあう音がして、籬は自分の体をゆっくりとみおろす。
黒い。
何もかもが、黒い。
わずかに分かるのは、銀糸で刺繍されている、『籬-漆号』。
それが自分の名前、いや、番号なのだろう。
今までも、漆号と呼ばれたこともあった。
黒い、わずかに長い前髪が視界をくすぶらす。
煙をあげてこちらに向かってくる機械でできた人形は、手に鋭い軍刀を持っていた。
白く、そして鈍く光り、それは籬の首をねらっている。
『――ジッ、ジジッ。』
液晶画面のむこうがわで、なんらかの信号がおくられてくるが、籬はまじまじと自分の腕や足を見つめるだけで、むかってくる機械兵のことなど、眼中にないようだった。
「・・・」
籬。
籬。
籬。
何をしている。籬。
右手を開いて、腰に差してある籬の軍刀、花喰い鶴丸に扇面の柄に手をかける。
鶴丸の目貫には花喰い鶴丸が彫ってあり、柄糸はまばゆいばかりの白糸をしていた。
すっ、
ようやく籬は刀身をむき出しにし、機械人形に刃を向けた。
その刀身は照明にぎらりと反射し、にび色にかがやく。
「・・・」
ばぎっ、という、なにかが断ち切れる音が広くも、狭くもない部屋に響く。
鋼鉄が折れた音だった。
籬の鶴丸が、機械人形の、首元にわずかに見えたむきだしの管、人形の脳につながるその血管に直接電流を送り込む。
高温の電気が直接送り込まれ、人形は体を痙攣させたあと、頭がごとんと落ちた。
脳をうしなった人形は、たちどころにくずれ落ちてゆく。
煙をあげ、火花を散らせる人形は、すでに息をしていない。
「・・・」
籬はそれをじいっと見つめ、足音を耳朶で拾う。
ガスマスクをした『人間』たちが、機械人形の回収にいそしんでいる。
「籬」
ふいに、女の声が聞こえ、ゆっくりと振り返った。
伽羅色をした長い髪をゆるく結っている、女の名を百合子という。
彼女はわずかに化粧をしているものの、派手ではない顔立ちをしている。
そのせいか、目鼻はぼんやりしている。
ただ、美人というよりも、かわいらしいといった方がいいかもしれないが、くたびれた白衣を着ている所為で、あまり印象だたない。
「よくやったわ。これで最後の試験は終了よ」
「・・・」
籬はゆるくうなずいて、鶴丸の柄に手をそえた。
百合子に最敬礼をし、煙のにおいが立ち込める部屋を、籬は足音もさせずに去ってゆく。
その後姿を、百合子は視線だけで追っていた。
「じゃ、始めましょうか」
籬はひとり、薄暗いリノリウムの廊下を歩いている。
かつ、かつ、かつ、と一定の音程で、それは響く。
むかっているのは、自身の部屋だ。
『籬-漆号』と書かれたナンバープレートが掲げられている部屋の目の前で、ひとつまばたきをする。
すると、音もなく扉が開いた。
白いだけの部屋。
彩りもなにもない。だが、籬はなにも感じない。
一色を差そうとも、無駄なことだ。
どうせ、今更だ。
それに、もうこの部屋の世話になる事もない。
永遠に。
「・・・」
籬はソファーに座り、窓もない部屋をぼんやりと見渡した。
その梅紫色の目は、感慨もなく、哀愁もない。
ただ、天井を見渡す。
この葵重工で、籬は生まれた。
籬は人間ではない。
合成人間とでも言えばいいのか、元からこの身体だった。
だから、幼少時というものもないし、青年時というものもない。
最初から最後まで、この身体なのだ。
首からさげられている懐中時計を、手に取る。
それは確かに時間を刻んでいた。
籬は時計機能を体内に搭載されているから、実質時計など持っていたもしかたがないのだが、なぜかも分からず籬はそれを持っている。
思い出せない。
誰かからもらったような気がするし、拾っただけのような気もする。
だが、そんなものは籬にとって、必要のない情報だった。