第七話 閑休
長らくお待たせしました。
いつまでも咲椋の家にいることは多少なりとも迷惑かと思った雷電は、樹里を連れて日が暮れた頃潮花家を後にした。腹の傷は思ったよりは深くなく、無理な運動をしない限り大丈夫、と樹里は言った。その際、「もう傷が塞がりつつある」と驚いていたりもしていた。
雷電と樹里は二人で、すっかり太陽も顔を山の向こうに隠し、今度は月が雲の隙間から光を地上に差し出している静かな畑沿いの夜道を歩いていた。
「潮花……咲椋…か」
今日の咲椋の言葉に少なからず動揺させられた雷電。樹里もそうだが、雷電は自分の眼を理解してくれる人間がこんなに最近で立て続けに現れるとは思いもしていなかった。彼が口にしていた通り、今まで雷電は周囲の人々に忌み嫌われてきた。理解してくれる人も勿論いたのだが、それを越して有り余るほどそういった環境に支配され続けていたのだ。だから雷電はひたむきに、彼なりに精一杯努力して自分の事を知られないように隠れ、忍び、関わらないようにしてきた。これからも、そうするつもりでいた。
雷電は、我ながら孤独な人生だな、と自嘲気味に苦笑し、隣で歩いている、何を考えているか分からない――いい意味で表現するならミステリアス――な樹里の美しい横顔を見やった。
最初はその衝撃的な出会いから印象が定まらずにいたが、雷電は徐々に彼女のことを分かり始めていた。雷電と似た無表情、無感情から時々覗く意外な優しさや子供っぽさ。冷酷な軍人かと思えば、そこいらの年頃の少女のような様子を見せてみたりする。しかしやはり冷静な状況分析も咄嗟に出来る機転の良さ。
様々な様相を表す樹里に、雷電は少なからず興味を持ち始めていた。そのことを自覚し、自分でも驚いている雷電だったが、今まで人との繋がりが少なかった雷電にとっては新鮮な感情だった。樹里は自分の理解者でもあるし、自分も心を開いて接してみようか、等とも考えているであった。
雷電の視線に気づいた樹里が、
「人の顔さっきからジロジロ見て、そんなに私の顔はひどい?」
と、明らかに怒ったように言う。
「……何で悪態が一番に口をつくかね」
先ずこいつが心を開いてないな、と思いつつなるべくトーンを落として聞いた。
「別に、何も」
言葉とは裏腹に、明らかに雷電に原因があることを示唆してそっぽを向いてしまった。
「全く、なんだよ…」
短くなった髪を掻きながら、雷電はこういう経験の少なさを悔やみつつ、どうしたら樹里は機嫌が良くなってくれるかを考えた。
「もう希望は無いのかしら…私の始まってるのか分からない、私自身気づいていないゾンビーみたいな恋は…」
樹里が俯きつつブツブツと何かを言っているのが気になり、
「なにか言ったか?」
と雷電が聞いたが、
「いいえ、何も」
と樹里はいつものクールを装って答えた。樹里もまた、色恋沙汰には素人同然であった。
雷電は何かを思いついたようで、少し戸惑った顔になった後、樹里に声を掛けた。
「なぁ…」
「何?」
樹里は怪訝そうな顔で雷電を見やり、聞き返す。
すると雷電は、これから別の顔見せ始めようとしている輝かしく光る街の方を指差し、
「街の方……行ってみるか?」
目を泳がせ、若干照れた様子で言った。
樹里は一瞬キョトン、とした顔になったが、直ぐにケラケラと笑い出した。そうして雷電がやっぱりダメだったか、と落ち込んでいると樹里はひと通り笑い終えた後、
「ちゃんと覚えててくれたんだ。通学路以外のところ行きたいって」
優しく微笑んだ。雷電は少しでも強がりを言おうと
「俺だって夜に射撃訓練の的にされるのは嫌だからな」
と、こんなことを言ったが、内心は樹里の機嫌がうなぎのぼりであることを確認し、まさに『心から』安堵していたのだった。
「もう、雷電ったらしょうがないなぁ、まぁ行ってあげるわ」
樹里は雷電の気持ちを知ってか知らずか、先ほどの怒りも嘘のように上機嫌だった。この時樹里のニヤケ顔は、普通の男ならば一撃K.Oクラスの破壊力だった。流石の雷電も、可愛いな、と思ってしまうぐらいだ。
「そうと決まったら早く行きましょう」
待ちきれないといった感じで、雷電の手を握り、早足で歩いて行く。
「って待て待て!お前道わかんないだろう?!」
「戦場では道なんかわからなくても進むもんよ。特にポイントマンは」
「ポイントマン?」(※ジャングルや屋内などの見晴らしが悪い場所を行軍する時、小隊を先導し安全なルートを提示する兵士の事)
樹里はもう浮き足立ち、雷電をリードし、歩いて行く。
不器用な少年と少女が、少し、心を開いた瞬間だった。
感想いただけると嬉しいです。