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追放された侯爵令嬢の契約婚。書庫に届く湯気の理由を、私はまだ知らない  作者: 月雅


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第4話「副団長の献立表」

駐屯地の食堂に、朝日が差し込んでいた。


長い木のテーブルが三列に並ぶ広間。窓は東向きで、朝は光がまっすぐ差す。壁際には配膳台があり、大鍋と木の椀が積まれている。


私はその配膳台の端に立ち、手元の紙を広げていた。 補給路の見直し案だ。


棚卸しから二ヶ月が経った。 定期的な在庫確認の仕組みは定着し、不自然な支出の原因も判明した。前任の補給担当が特定の業者と長年の取引を続けており、相場より高い価格で品目不明の「雑費」を計上していたのだ。不正というよりは、見直しを怠った惰性の結果だった。業者との契約を精査し、適正な価格に改めることで、その分の支出は正常化した。


次の課題は、補給路そのものの効率化だった。


「エステル様、こっちの帳簿もまとめました」


リュカが補給班の発注記録を抱えてやってきた。


「ありがとうございます。並べてみましょう」


配膳台の上に、二人で記録を広げる。


現在の補給路は、王都の大手商会を経由している。公爵家との取引実績が長く、信頼性は高い。しかし中間の手数料が重なり、食材の単価が近隣の直接取引より割高になっていた。


「リュカ、近隣の農村から直接仕入れた場合の輸送距離は」


「馬車で半日っす。城下町の市場までなら徒歩で二刻」


「では王都経由の場合は」


「片道四日。往復で八日。その間に鮮度が落ちるんで、干し物と塩漬けが中心になるっすね」


紙に数字を書き込んでいく。 近隣の農村から季節の野菜と穀物を直接仕入れ、王都経由は保存食と特殊品に限定する。輸送の頻度を調整すれば、食費を二割は削れる計算になった。


「ただ、問題がありまして」


リュカが頭を掻いた。


「王都の商会、公爵家と二十年の付き合いっすから。いきなり取引減らしますって言ったら、面子潰すことになりません?」


「全面的に切るわけではありません。保存食と高級品は引き続き王都経由で。日常の食材だけ、近隣に切り替える形です」


「なるほど。棲み分けっすか」


「商会にとっても、輸送の負担が減る品目があるはずです。交渉の余地はあると思います」


リュカが腕を組み、少し考えてから頷いた。


「エステル様がそう言うなら、やってみますよ。補給班のほうで近隣の農家に声かけてきます」


「お願いします。交渉の書面は私が準備しますので、王都の商会への連絡はルヴァリエール殿の承認を得てから送ります」


「了解っす」


二週間後。


新しい補給路が動き始めた。


近隣の農村から、週に二度、馬車で野菜と穀物が届く。城下町の市場からは鶏卵と乳製品を三日おきに仕入れる。王都の商会には、保存食と香辛料に取引を絞る旨を丁寧に伝え、アルベールの署名入りの書面を添えた。商会からの返答は穏やかなものだった。取引額は減るが、高単価の品目に集中できるため、利益率はむしろ改善するとの見解だった。


食堂の献立が変わった。


干し肉と塩漬け野菜が中心だった食事に、茹でた根菜と季節の葉物が加わった。朝食に温かい粥が出るようになり、夕食には煮込み料理の日が増えた。


団員たちの反応は、数字より先に食堂で表れた。


「今日の煮込み、うまいっすね。前と全然違う」


「野菜が新鮮だからな。干し物ばっかりだった頃と比べたら天と地だ」


「これ、副団長が全部仕切ったんだろ」


副団長。


その呼び名を最初に口にしたのが誰だったのか、私は知らない。 気がつけば、補給班の若手が「副団長」と呼び始め、それが食堂全体に広がっていた。


「副団長、明日の仕入れの件なんすけど」


リュカが食堂で声をかけてきた。


「その呼び方、正式な役職ではありませんよ」


「いやー、もう定着しちゃったんで。諦めてください」


リュカが笑いながら隣の席に座った。


食堂の入口から、アルベールが入ってきた。 配膳台で椀を受け取り、食堂を見回す。普段は騎士団の幹部が座る奥の席に向かうのだが、今日は足が止まった。


アルベールは一瞬だけ迷うような間を置いてから、私の隣の空席に腰を下ろした。


リュカが一瞬目を見開き、すぐに何事もなかったように粥を口に運んだ。


「ルヴァリエール殿。お疲れ様です」


「ああ。……食堂が、変わったな」


アルベールが椀の中を見ている。根菜と鶏肉の煮込みだった。


「補給路の見直しの結果です。食費は以前より二割ほど削減できています」


「報告書で読んだ。数字の通りだ」


アルベールが煮込みを一口食べた。 それから、視線を食堂の全体に向けた。団員たちが談笑しながら食事をしている。以前より声が明るい。


「団員の顔が変わった」


低い声だった。独り言に近い。


私はその言葉に何と返していいか分からず、自分の椀に視線を落とした。


数字ではなく、人の変化として成果が見えた。 備蓄倉庫の棚卸しのときは一人きりの作業だった。今は補給班が動き、食堂の雰囲気が変わり、団員がそれぞれの席で結果を味わっている。


ここに居ていいのかもしれない。


その考えが浮かんで、自分でも驚いた。 二年間、一度も思わなかったことだ。


「エステル殿」


顔を上げると、アルベールが私を見ていた。 灰色の瞳に、食堂の朝日が映っている。


「何かありましたか」


「いや。……いい仕事だった」


短い言葉。 それだけ言って、アルベールは煮込みに視線を戻した。


午後。書庫。


騎士団の兵站報告書をまとめる作業の合間に、書架から外交報告書の綴じを取り出した。


アルベールの委任範囲は帳簿と補給の管理だが、書庫に収められた過去の記録を閲覧すること自体は制限されていない。書庫は公爵家の共有空間であり、収められている文書の大半は機密度の低い行政記録だ。


外交報告書の中に、ヴェルシュタット外務局が配布した最新の写しがあった。 アルセーヌ王国に関する記述を探す。


あった。


「アルセーヌ王国において、王都の備蓄管理体制に混乱が生じている旨、複数の外交筋から報告あり。聖女の加護による行政支援の効果が限定的であるとの観測が強まっている」


一文だった。 外交報告書の一文に過ぎない。しかし、その一文が意味するものは重かった。


あの国で、私がやっていた仕事の穴を、誰も埋められていない。 聖女の加護は癒しの力であって、備蓄管理や予算の最適化とは何の関係もない。当たり前のことだ。加護で帳簿は書けない。


私は報告書を元の場所に戻した。


食堂の煮込みの温かさと、報告書の冷たい一文が、頭の中で並んでいる。


ここでは、私の仕事に名前がある。 兵站補佐。副団長。呼び方は何でもいい。 やったことが数字に表れ、人の顔に表れ、記録に残る。


あの国では、それが消えていく。


私は椅子に深く座り、天井を見上げた。


契約はあと八ヶ月ほどだ。 この仕事を続けられるのは、それまでの間だけ。


でも今は、やるべきことがある。 大規模演習の時期が近づいている。兵站の規模はこれまでの日常業務とは比較にならない。


帳簿を閉じ、新しい紙を広げた。


演習の兵站計画。必要な物資の概算。輸送の手配。人員の配置。 前の人生で培った管理の概念を、この世界の仕組みに当てはめていく。


羽根ペンが紙の上を走る音だけが、書庫に響いていた。

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