こうして魔の森は後退した
エルマーにしがみ付いていた俺は、ベリって感じでエルマーから引き剥がされた。
俺をエルマーから引き剥がした男は、俺がまるでイヌか何かのようにして抱え、適当に運び出したじゃないか。
「歩けますよ」
「本気で下りたいか?」
「運ばれるのは嫌いじゃないので、別に」
「ほんっとろくでもねえ」
「俺との別れが辛いって、お隠れされてた人に言われましても」
「嫌がらせのようなスープストック。あれは本気で全部俺に飲ませるつもりだったのか? 違うだろ。お前はせっかくだからと、お別れ会を開催したかったんだろ。みんなとのお別れの振る舞いだ。ヴァルターに身銭を切らせてってところが最後まで悪辣で笑えるが」
「違いますよ。腸詰めとか俺の金で買ってますもん。スープの材料費だって俺持ちですよ。だって、スープは本気であなたに飲ませるつもりでしたから。だってあれはごちそうです。あっちの世界ではあれはごちそうだったんですよ。あっちの世界では牛テールなんて良いものじゃなくて、硬いばかりの臭い肉でしたけど。でも、ごちそうだったんです。いつだって父様が美味しいっていってくれた、俺が作れる唯一のごちそうなんです」
「そうか。そうやってお前はごちそうを作って父の帰りを待ってたんだな」
「そうですよ。心配で、心配で。だから、俺はあんたの為にスープを煮たんですよ。ああそうです。本気で全部飲んでもらうつもりでした! 畜生。俺にはそれしか出来ないから!!消えていく俺ができる、あんたへの感謝がそれしか出来ないから!!」
俺はホタホタと流れる涙を乱暴に拭い、その濡れた手をオズワルドの襟元で拭った。俺の涙なんかすぐに乾く。俺がいた証拠なんかすぐに消える。それでも、俺は残したい。情が深いあんたに俺のよすがを残すのは残酷なのかもしれないけれど、俺はあんたにいつまでも俺の不在を嘆いて欲しいんだよ!
「一番胸に来る愁嘆場だな」
「あんたの爛れた女関係と一緒にするなって、なに額にキスするんだ!」
「ハハハ。本気でお前が女じゃないのが残念だ。感謝が手料理って、ああ五臓六腑に染みた。おかげでこれからお前を失う俺は、酒に溺れて明日の朝日は拝めないだろう。ああ、ちくしょう。名も無き騎士の歌は俺が歌う方なのに、音痴なお前が歌いたがっている」
「音痴だなんて、ひどい。酷いよ」
「酷いのはお前だ。ああ、着いちまった。さあて、お前は俺のカッコイイ所が見たいんだっけ? 目に焼き付けとけ。それで、もうすこし、あがけよ」
俺は顔を上げる。
「ここはブリュー畑三号」
「そうだ。二度あることは三度あるって言うだろう」
「俺が帰ってくる前提の願掛けかよ。これで終わりだよ。だって勝利したんだ」
オズワルド達が俺の為に名付け測量して線引きがしてあるその空間は、まだまだ手付かずなために魔素が濃くトレンツ系魔樹も残り鬱蒼としている。だからこそここを一気に焼き払えば、トレンツ系魔樹の悲鳴は起きるはずだ。けれど周囲の魔獣も狩りつくし、ダンジョンも空にしてある。魔樹がいくら叫ぼうが、スタンピードは起きそうもない。が、万が一もある。
だが、その万が一のスタンピードを制する事ができれば、砦の士気はどれほどのものだろう。また焼き払ってスタンピードが起きなかった場合では、トレンツ系魔樹の悲鳴が良き効果音となるだろう。ここに集まった誰にもが確信できる、魔の森への人類の初めての勝利のファンファーレとなるのだ。
魔の森を後退させた英雄、オズワルド・グラナータここにあり。
今までの畑づくりも、オズワルドありきの魔の森後退の結果だけど、過程が地味すぎるんだよ。地道に魔獣を討伐して魔素を減らしてトレント系が姿を消した後に、普通の木々を切り倒してマンドラゴラさん達を植えて行ったという作業じゃ、歴史書に書く文字数は増やせるけどインパクトが足りない。
「オズワルド・グラナータだけが魔の森を焼き払えたのだ。違うな。オズワルド・グラナータだからこそ魔の森を焼き払えたのだ」
「お前は馬鹿ばっかりを」
オズワルドは俺から右手を解き、その代わりに昏き森にゆっくりと右手を向けた。
俺は反射的に落ちまいとオズワルドの体にしがみ付く。彼の腕から降りればいいのだけど、精神的に五歳に戻っているのか。
そうじゃない。
俺の両足はすでに地面に降りている。
俺は、死を迎えた最期の人間がするようにして、生者の肉体に縋ったのだ。
手を握っていてください、そういう感じの感傷だ。
「魔の森に飲み込まれた小国はいくつあるんだろうな」
「その中にオズワルドの国もあるの?」
「俺のひいばあ様はお姫様だった。それが俺の母親の自慢だった。自慢することか? 国民の誰も助けることもできず、自分と側近だけで落ちのびた恥ずべき家系だぞ? そんな王族様の血が自慢だった俺のお袋様は、誇りも何もなく金持ち男の間を渡り歩いていたよ。それで帰って来なくなった思えば、路上でぼろ雑巾になっていた。残されたガキは孤児院だ」
「エルマーとはそこで?」
「あいつがそこまで話したのか?」
「いや。話の流れ的な?」
「そうか。寝物語に聞いたと思った」
「笑えない冗談」
「笑えないのはお前だ。基本自分以外はどうでもいいあいつが、お前の望みを叶えるべく滅私奉公をしているんだ。全く、何て言って誑したのか」
「俺はエルマーにも死んでほしくないと頼んだだけだよ。俺がここに来れたのは、エルマーが自分の命を駄賃にしたからだ。だから、エルマーにそんなことをさせる世界は嫌だと言ったんだ。俺はあの世界が嫌いだ。あの世界を知っている俺でなくていいんだ。聞いていただろ?」
「だが、お前はあの世界の親父さんがお前の親父さんなんだろ?」
「うん。でも、前に言った通り、あんな世界に俺の大事な人を置いておきたくないんだ。だから、もういいんだ」
「俺はもういいなんて、一言だって言えないぞ。お前は嫌だ消えたくないと騒いでくれ。それで俺が情け容赦なく全てを焼くんだよ。そっちの方が俺が格好いいだろ?」
「あんたはいつでも格好いいよ。あんたに殺されるならば本望だ。だから、だから、やってくれ。俺を消してくれ。今すぐさっさとやってくれ。俺に家族を救わせてくれよ!!」
「畜生。俺に罪業ばかり背負わせやがって!!」
オズワルドの手の平から眩いオレンジ色の火球が弾けた。
俺は自分の力が抜けていくのがわかった。
俺は消える。
あの世界も消えるならば、あの世界の俺はここで完全に消える。
夕日のように真っ赤なそれは、デュッセンドルフの夕焼け空よりも赤い。
だから、昔日の、なんて付かないはず。
新しい世界の夕日なのだ。
だから、この上なく喜ばしいことじゃないか。
消えるのがこの上なく寂しくて、怖くて辛かろうとも、
――――――――
「起きろ!!」
俺はパッと目を開ける。
俺はソファの上に転がされていて、俺にはしっかり毛布が掛かっている。そして天井はオズワルドの家での部屋でなく、いつものオズワルドの執務室でもない。
恐らくも何も、寮の部屋の方だ。
俺は消えたはずなのに? と疑問符を増やしながら視線を動かせば、対面のソファには間抜けに口を開けて眠りこけている男がいた。
今の起きろって声は、夢? 研修所をワイバーンに襲われて、オズワルドにそうやって朝に起こされて、それでここは。
俺はワイバーン戦まで戻ったのか? どうして?
不安になったそのまま、オズワルドへと手を差し出す。
俺の手は五歳児のものじゃ無かった。
でもって。
「ぐあ。ぐおおおおおお」
…………。
酒臭く、異常なまでに真っ赤な顔、そして大きな鼾。
脳卒中で死んだりしないだろうな。
俺はそろそろと起き上がると。
「おっ?」
オズワルドがぱっちりと目を開けた。
凄いな。俺の動きで目覚めるなんて、さすが英雄。
けれど、英雄だろうが寝起きの酔っぱらいの口は臭い。
物凄く臭い。
「臭い」
「それか。もっと俺に言う事があるだろう!!」
「酔っぱらい?」
「違う。お・と・う・さん、だ」
「頭大丈夫ですか?」
「これ以上ねえぐらいにハッキリだよ。ハッハ。お前が消えなかったのは俺の先見の明ってやつか。ハハハ。お前でも二枚重ね詐欺に嵌るんだな。養子縁組受理されたから、今日からお前は俺の息子だ」
オズワルドは俺に言うだけ言うと、伸びをして立ち上がり、そのまま俺をほっぽってどこぞに去って行った。
数分後、寮内のどこぞの部屋から建物が揺れる程の大歓声が起きた。
単なる酔っぱらいのがなり立てだけど。
…………俺が城内の魔獣騎士団の寮に泊まった時のいつもの日常。
俺は消えていなかった?
それで、俺とオズワルドが養子縁組?
「はふ?」




