第五話 刀が語学堪能なので
次の日、太助の長屋・卯の刻
「おー、邪魔するぞー」
「Zzz……」
「おーい、太助ー朝だぞー」
「Zzz……」
思っていた通り、起きない太助をまるで罪人でも見るような目で
見下ろした耕牛は慌てず騒がず、慣れた手つきで水瓶から桶で
水を汲みますと
ザバッ――
「おわっ!冷てぇ!」
「太助ー朝だぞー起きろー」
「毎度毎度水ぶっかけないと起こせないのかお前は!」
「水かけなきゃ起きないだろ。
俺も忙しいんだよ。何度も言わせるな」
「ったく……うー寒みー。
布団干すから待ってろ」
「布団干したことないだろ。ほら、さっさと服着ろ」
「ふざけんなっ!
ぐしょ濡れの布団で今夜寝ろってか!」
「大体、いつも布団かけないで素っ裸で寝落ちしてんだろーが。
珍しく布団なんか引っ被って寝るな。
もう出るぞ」
「あ!こら待て!」
にべもなく耕牛は外へ出てしまいました。
「ったくよー……人を無宿人みたいに言うんじゃねーよ。
まあいいや。行くか」
太助は傍らに転がしておいた蟹切丸を脇に差し、
顔洗いとうがいを一回づつして、出かける準備を完了します。
『主よ……
爽やかな朝に全く似つかわぬ起床っぷりじゃの……』
「ほっとけ。行くぞ」
この朝の様子を、おみつは見たことがないのでしょうか。
見たら百年の恋も何とやらになりましょう。
――
出島・表門
「これはこれは耕牛殿。おはようございまする」
「はい、おはようございます」
耕牛と太助は出島の唯一の出入口になっております、
「表門」
に入ろうとしているところでありました。
「突棒」と呼ばれる、一間ほどの長い棒を携えた門番二人と
耕牛は軽い挨拶を交わしております。
「本日はどのような御用向きで?」
「今日はシーボルト先生とお会いする予定になっております」
「おお!そうでありましたか。
ささ、どうぞ入られよ」
耕牛はすっかり慣れた様子で表門を通り過ぎます。
太助も耕牛に続き、表門を通り抜けようとしておりましたが――
「ちょちょちょ、こらこらこら。どこ行くんだお前」
誰もが思っている通り、太助は止められてしまいました。
もう、「お約束」です。
門番二人は突棒をクロスに合わせ、太助を通せんぼします。
「は?俺もこの中に用事があんだよ。
耕牛の後ろにいただろーが。」
「お前みてーなクソ怪しい奴、通せるわけねーだろ。
つーか一般人は普通、ここに入れねーんだよ。
知らねーのか」
「なんだ、いきなり態度変えやがって……
そのくらい知ってるわ!
今日はそこの耕牛の付き添いだよ!
つ・き・そ・い・!」
「耕牛殿のようなお方が、お前みたいな汚ねー素浪人と
一緒に来るわけねーだろ。ホラ吹いてんじゃねぇ!」
太助が門番に止められていますと、耕牛が「仕方ないな」という面持ちで
戻って参りました。
「だから早く来いって言ってんだろーが、お前は」
「今の見てなかったんかい!
どう見ても俺は悪くないだろ!」
「シーボルト先生待たせてるんだから、さっさと来い」
「だから入れないんだよ!」
耕牛と会話する太助を見て、門番は恐る恐る耕牛に尋ねました。
「あの……耕牛殿、そちらの小汚い素浪人は、お知り合いで?」
「ええ。今日、私を護衛してくれる御仁です」
耕牛に肯定されてしまい、門番は慌てて突棒のクロスを解きました。
「これは失礼した。お通りくだされ」
「……人を見た目で判断するなって、おっかさんに教わらなかったのかねぇ」
嫌味ったらしく門番に声をかけながら表門を通り抜けます。
「そんな十年くらい風呂も入ってないような様子を見て、
まともな奴だなんて思う人間は皆無だ、皆無。
風呂と喧嘩でもしてんのか?」
門番の一人が太助の通り過ぎ様にボソッと呟きました。
「ほっとけよ!」
――
カピタン部屋
耕牛は通詞の他にカピタン(商館長)も兼任しており、
カピタンと通詞と、そして医師とを同時に熟すという、マルチタスクな
仕事ぶりを発揮しておりました。
そのような理由で、耕牛は「カピタン部屋」という建物を自由に使うことが
出来る人物でありました。
「Oh, dat is lang geleden!」
「Het is echt een eeuwigheid geleden.」
耕牛とシーボルトはカピタン部屋二階のベランダにて、
久々の再会を喜びあっております。
そして……太助はと申しますと、当然、オランダ語なぞ
分かるわけもなく、退屈そうにベンチでひっくり返っておりました。
『なんじゃ主よ、そなた阿蘭陀語くらい分からぬのか』
「普通は分かんねーんだよ!耕牛と一緒にするな……」
『ふむ。それでは退屈極まりないじゃろうのぅ』
「刀に同情される日が来るなんて夢にも思わなかったわ」
『まあ、そういじけるな。どれ、我が訳してやろうぞ』
「は?お前阿蘭陀語分かるのか?」
『フンッ。オランダ語だけじゃないぞい。
何しろこの数百年間、色んな国にたらい回しにされとったからのぅ』
蟹切丸はここぞとばかりにドヤ顔をキメます。
「へぇ……昨日の話は本当だったってことかい」
「嘘なんかつくわけなかろぅ。どれどれ……」
蟹切丸はシーボルトと耕牛の会話に聞き耳を立てます。
「ふむふむ。ほほぅ。
なるほどのぅ……」
「どうだ、なんて言ってるか分かるか?」
「うむ。
……会話の内容が医学用語ばかりでさっぱりわからん!」
「お前、分かってて聞いてたんじゃねーのかよ!」
「医学用語なんてわかるわけなかろうが!」
蟹切丸と太助がまた口喧嘩をしているところに、
なんとシーボルトが流暢な日本語で入ってきました。
「OH、これは失礼しました。
De heer Kougyuの知り合いの方でしょうか」
「『……は?』」
太助と蟹切丸は鳩が豆鉄砲を喰らったという表現が似つかわしい表情を
浮かべながら、歩み寄ってきたシーボルトの方へ視線を向けます。
「耕牛さんも、お人が悪い。最初に紹介してくれたらよかったものを」
「いやいや、シーボルト殿に紹介するまでもない、雑草のような人間ですから」
「牛みてーな名前のやつに言われたかねーよ!」
「そして……bovennatuurlijke gave,
異能力の持ち主ですか。耕牛さんと一緒ですな。
では……はじめまして、刀さん」
シーボルトは蟹切丸に挨拶をしました。
『Aangenaam kennis te maken... Ik ben, tja... een naamloos zwaard.』
蟹切丸の挨拶を聞いて、耕牛がやれやれという顔で太助に言いました。
「おい太助、まだこの刀の名前決めてなかったのか」
「は?いや、昨日決めたが……」
『黙らんか!我はあんな名前決して認めぬぞ!』
「……太助よ、その刀のことは聞いただろ?
とんでもない刀なんだから、刀名しっかりつけてやれよ」
「いや、だから、かにk――」
『おわあああああああああ!!腹が!!腹が痛い!!』
蟹切丸は突然大声で叫びました。
やはり「蟹切丸」という名は恥ずかしすぎるのでしょうか。
しかも愛称は、「かに吉」です。
「てめぇ!いきなりでけー声だしやがって!
びっくりすんだろうが!大体、お前の腹ってどこにあんだよ!」
『さ、主よ。我らは席を外そうぞ。この二人も積もる話があるじゃろぅ』
「今、医学用語ばっかりでわかんねーって言ってなかったか?
どこにも話が積もってる要素がないんだが……」
『やかましい!
耕牛よ、我らは、ちと出島見物でもしてくるがゆえ、
ゆるりと旧交を温めておくがよいぞ』
「いや、勝手に外をふらついてると、同心にしょっぴかれ――」
「おお!そいつは名案だ。
ちぃとばかし行ってくるぜ!Let's Goだ!かに吉!」
『お主、日本語しか分からんじゃろうが!
しかもかに吉とか呼ぶでないわ!』
耕牛が止める間もなく蟹切丸に即され、退屈していた太助も乗り気になってしまい
二人は外に出てしまっていました。
「全く……これからあいつにも会話に入ってもらうとこなのに」
結局このあと半時も経たないうちに同心に捕縛され、耕牛は二人を出島口の詰所へ
迎えに行くはめになりましたとさ。
――今回のお話はここまで。
おあとがよろしいかどうかは、あなた様次第でござ候。