価値の置き場所
成田を発つ前、彼はドルを数えた。
新しい紙幣の匂いは、どこか安心の匂いに似ていた。
「これだけあれば、しばらくは困らない」
そう思っていたのは、ほんの数日前のことだ。
ニューヨークに着いた最初の夜、彼はバーガーショップに入った。
見慣れたロゴ、見慣れたメニュー。
だが、値段だけが見慣れていなかった。
「……こんなにしたっけ?」
思わず口に出る。
隣の客は気にも留めず、スマホを見ながらカードをタップした。
彼はポケットの中のドルを指で弾いた。
軽い音がした。
まるで、価値まで軽くなったみたいに。
数日後、彼はホテルの窓から街を見下ろしていた。
ネオン、クラクション、人の流れ。
すべてが活気に満ちているのに、
自分の中だけ、何かが削れていく感覚があった。
「増えてるはずなのに、減ってる」
出発前、銀行で聞いた金利の話を思い出す。
年利5%。複利。
紙の上では、確かに増えている。
だが現実では、
コーヒーも、地下鉄も、部屋代も、
それ以上の速度で遠ざかっていく。
ある日、彼は骨董市に迷い込んだ。
古びた時計、銀のスプーン、使い込まれた革の鞄。
どれも値札がついているが、不思議と「高い」とは感じなかった。
むしろ、こう思った。
「これは、逃げない」
隣で年配の男が言った。
「それは100年前の時計だ。今も動く」
彼はその針の音を聞いた。
カチ、カチ、と規則正しい。
ドルの価値が揺れても、
時間だけは同じ速さで進んでいる。
「お金はね」
男は続けた。
「価値を保存する箱だったんだよ。昔はね」
彼は黙って聞いた。
「でも今は違う。穴が空いてる」
男は自分の胸を指した。
「だからみんな、別の箱を探してる」
帰国の日、彼の財布にはドルが残っていた。
だが、出発前とは違う重さに感じた。
軽いのに、重い。
それは通貨としての重さではなく、
「疑い」としての重さだった。
飛行機の中で、彼はノートに書いた。
「価値は、どこに置くべきか」
通貨か。
数字か。
それとも、手で触れられる何かか。
答えはまだ出ていない。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
もう彼は、
「持っているだけで安心できるもの」を
信じられなくなっていた。
窓の外、雲の向こうに太陽が沈んでいく。
その光は、ドルでも円でも買えない。
だが確かに、そこにあった。
彼は小さく呟いた。
「価値って、なんだろうな」
そして、その問いだけを持って、
彼は帰っていった。
あとがき
この話を書いたあとも、ひとつの違和感が消えなかった。
ニュースを開けば、「ドルは強い」と繰り返される。
その一方で、金利は上がり続けている。
まるで、「強いから金利が高い」のではなく、
「支えるために、金利を上げ続けなければならない」ようにも見える。
もし本当に盤石な通貨であるなら、
そこまで無理に引き上げる必要があるのだろうか。
そんな疑問が、頭のどこかに引っかかり続けている。
さらに奇妙なのは、そこから先だ。
自分の感覚では、
「金利が低くても安定している国」こそ、
本当に信用されている場所だと思っていた。
無理に利息をつけなくても、人が資産を置きたがる。
それこそが「価値の証明」ではないか、と。
だが現実には、
そのはずの通貨が売られ、円安になる。
理屈と結果が、どうしても噛み合わない。
もしかすると私は、
単純な因果で世界を理解しようとしすぎているのかもしれない。
あるいは、もっと別の力——
政治や資本の流れや、見えない思惑のようなものが、
通貨の価値を動かしているのかもしれない。
正直に言えば、この文章の信用度は高くない。
これは分析でも結論でもなく、
ただ「狐につままれたような感覚」を、そのまま言葉にしただけだ。
もし同じような違和感を抱いたことがある人がいるなら、
それは間違いではないのかもしれない。
あるいは、ただの勘違いかもしれない。
自分が信じられる答えは、まだどこにもない。
ただ少なくとも——
「強い」と言われるものに、
素直に頷けなくなった自分だけは、確かにここにいる。




