「素顔」
前書き
この小説のような人が現れるという事実は、
人と人との交流が、すでに社会の前提ではなくなっていることの証でもある。
顔を知られず、
役割としてだけ記憶され、
私的な関係を結ばないまま一生を終える。
それが特別な不幸ではなく、
説明を必要としない現実になりつつある社会で、
人が人と深く関わり、
未来を共有し、
次の世代を引き受けようとする力が弱まるのは、
むしろ自然な流れなのかもしれない。
少子化は、
価値観の変化でも、
個人の選択の結果でもなく、
人との交流が減少した社会が静かに示している帰結ではないのか。
この物語は、
その「必然」を生きてしまった一人についての記録である。
その人の顔を、私は最後まで見なかった。
正確に言えば、生きているあいだに一度も、だ。
職場ではいつも白いマスクだった。
声は穏やかで、言葉は必要な分だけ。
画面越しの会議では、肩から上が切り取られた四角の中にいて、
表情というものは通信状態と一緒に途切れがちだった。
私が知っているのは、
仕事の手順と、時間に正確なことと、
昼休みに同じ席に座るという習慣だけ。
名前を呼ぶことも、
呼ばれることも、
いつの間にか減っていた。
訃報は、事務的な文面で届いた。
原因も経緯も、詳しくは書かれていない。
「ご参列は任意です」とあったので、
私は行く理由も、行かない理由も見つけられないまま、
式場にいた。
棺のふたが開いたとき、
初めて、その人の顔を見た。
思っていたより、若かった。
あるいは、年相応だったのかもしれない。
判断できるほど、私はその人を知らなかった。
マスクの跡が、ほんのりと残っていた。
それがなければ、
きっとすれ違っても気づかなかっただろう。
涙は出なかった。
驚きも、悲しみも、
強い感情としては現れなかった。
ただ、
「この人は、誰だったんだろう」
という疑問だけが、
静かに胸の奥に沈んだ。
式が終わり、
人はそれぞれ帰っていった。
誰かが「お疲れさまでした」と言い、
それで一日は終わった。
その夜、ふと思った。
生きている間、
私はこの人を「人」として見ていただろうか。
役割として。
機能として。
画面の中の一要素として。
それで十分だと思っていた社会が、
もう十分ではなくなっていることに、
棺の中で初めて気づいた。
あとがき
涙は出なかった。
声を聞けるわけでもなく、
その人個人を、はっきりと思い出せたわけでもない。
それなのに、
何かを失った感じだけが残った。
それは、
「その人」なのか、
「関係」なのか、
それとも
人を人として認識する感覚そのものなのか。
まだ、うまく言葉にできない。
ただ、この違和感だけは、
なかったことにしてはいけない気がしている。




