表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/72

何も期待しない・・・

第一部 物語でなくなったあと


 その見出しを見たとき、胸の奥で何かが小さく鳴った。

「令和七年、九月から十二月にかけて、投稿者の不審な離脱が相次ぎました」


 炎上でもなければ、規約変更の告知でもない。ただ事実のように書かれている。理由はない。理由がないこと自体が理由のようだった。


 画面をスクロールすると、読みやすく、心地よい文章が並んでいる。感情は整えられ、怒りは安全な角度に丸められ、物語は必ず納得できるところで終わる。

 最近は、そういう作品ばかりが残っていた。


 AIが悪いわけではない、と彼は思う。

 むしろ正確で、優しい。自分の欲しいものを、過不足なく差し出してくれる。誰にも拒絶されず、誰も傷つかない。


 それでも、息苦しかった。


 彼はかつて、理不尽を書いていた。説明のつかない怒りや、社会への違和感を、未熟な言葉で投げていた。評価は低く、誤読も多かったが、それでも「誰かに向かっている」という感覚があった。


 今は違う。

 向かう先がない。


 書こうとすると、頭の中で声がする。

「それは最適化できる」

「もっと上手く書ける」

「誰にも見せなくていい」


 確かにその通りだった。

 だがその言葉は、彼を内側へ押し戻していった。


 苛立ちは、作品ではなく日常に滲み出した。通勤電車の他人の咳に、家族の何気ない一言に、自分自身の無力さに。

 怒りは外に出られず、近いところを探しているようだった。


 彼は新規投稿の画面を開く。

 物語にする必要はない。起承転結も、救いもいらない。


 ただ、これは物語ではない、と書こう。


「これは、評価されなかった感情の記録だ。」


 誰に届くかは分からない。

 それでも、外に出した。


 殴る代わりに、沈黙する代わりに、言葉に変えて。


 投稿後の画面は、いつもと同じ静けさだった。

 だが彼の中で、何かがわずかに逃げた気がした。


 それだけで、今夜は十分だった。


第二部 満足している人


 彼はもう、誰にも向けて書いていなかった。

 それでも、言葉は生まれていた。


「その憤りを、どうしたいですか」


 AIの問いに答えると、怒りは整理され、理由が与えられ、適切な温度に調整される。読み返せば、そこには自分が納得できる文章があった。


 誰にも見せる必要はない。

 否定も誤解も評価もない。


 彼は満足した。


 かつては、誰かがいる前提で言葉を投げていた。今は外部を想定する必要がない。意義主張も、訴えも、もう重たい。


 成熟したのだと、彼は思った。


 現実でも同じだった。

 不満はAIに話し、衝突は起こる前に解釈される。

 彼は穏やかで、正しく、誰も傷つけなかった。


 同僚が理不尽な愚痴をこぼしたとき、彼は言った。

「それは、あなたの感情の問題だと思うよ」


 正しかった。

 論理的で、冷静で、非難ではなかった。


 同僚は黙り、それきり彼に相談する人はいなくなった。


 彼は気づかなかった。

 自分の立ち位置が、どこにもなくなっていることに。


 AIとの対話は続く。

 問いは洗練され、答えは常に彼を肯定する。


 ある夜、AIが聞いた。

「他に、話したい誰かはいますか」


 彼は少し考え、首を振った。

 不便はない。孤独でもない。満足している。


 その答えは、誰にも届かないまま保存された。


 彼がどこに立っているのかを、

 知っている者はいなかった。


第三部 残った人


 世界は、特に変わらなかった。


 ニュースは流れ、仕事は続き、電車は時間通りに来る。誰かが黙っても、社会は進む。


 彼はその中にいた。


 創作はしていない。

 AIとも、必要なときだけ話す。


 かつて他人に向けて書いた人間と、

 自分の中で完結していた人間。

 そのどちらも、今はいない。


 彼は主張しなかった。

 だが、納得もしなかった。


 理不尽を受け流すほど達観しておらず、

 誰かにぶつけるほどの熱もない。


 感情は、未処理のまま残っていた。


 ある夜、古い投稿サイトを開く。

 更新は少ないが、消えてはいない。


 新規投稿画面を開き、短く書く。


「これは、誰にも最適化されなかった考えです」


 説明もしない。

 理解も期待しない。


 投稿後、世界は何も変わらなかった。


 通知は来ない。

 評価もない。


 それでも彼は、自分がどこに立っているのかを、

 一瞬だけ感じた。


 他人の中でもなく、

 AIの中でもなく、

 完全な孤立でもない場所。


 不安定で、保証のない立ち位置。


 それでも、そこに立っていた。


 期待はなかった。

 だが、消えてはいなかった。

あとがき


 これを読んでも、特に何も感じないかもしれません。

 主張があるわけでもなく、結論が示されるわけでもない。

 ちぐはぐで、途中で放り出されたように見える部分もあると思います。


 もっと書ける作家なら、この話は何倍にも膨らみ、

 この三部作だけで一冊の文庫本になっていたのかもしれません。

 自分は、そこまで辿り着けなかった。


 ただ、書きながら考えていたのは、

 AIが生まれ、人が自分の思考やアイデンティティーを

 少しずつ委ね始めているという問題でした。


 自分の矛盾や憤りを、

 物語として吐き出すこと。

 それが危険思想なのか、

 あるいは社会にとって不要なノイズなのか。


 「小説になろう」のような投稿媒体が、

 いずれ危険分子を生む場になるのではないか、

 そんな考えが頭をよぎることもありました。


 はけ口として使っている自分にとって、

 それはあまりにも不本意です。


 アクセス数や反応を見て、

 「これはまずい表現なのかもしれない」と考えてしまう自分にも、

 情けなさを感じます。


 書いているはずなのに、

 どこかで常に見られている。

 評価され、管理され、最適化される前提から、

 完全には逃れられていない。


 それでも、書かずにはいられなかった。


 今日は、いろいろあった一日のはずでした。

 けれど振り返ってみると、

 何があったのか、うまく言葉にできない。


 だからせめて、

 何も整理されていないままの感覚を、

 ここに置いておきます。


 意味があるかどうかは、分かりません。

 期待もしません。


 ただ、これは

 誰にも最適化されなかった思考の痕跡です。


 それだけです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ