制度の向こう側
2026年、日本の労働市場は長い停滞を経て、ようやく変わろうとしていた。氷河期世代――1970年代後半から80年代前半に生まれた世代――は、人口比率で非正規雇用者が多く、若い頃から低賃金に苦しんできた。賃金上昇やスキルアップの恩恵はほとんどなく、消費も控えめだったため、平均賃金は長年ほとんど上がらなかった。その結果、世代全体が経済の下押し圧力となり、物価も抑制され、デフレ圧力が続いた。だがそれも、この世代が低水準でも仕方がないと諦める構造になっていたことは否定できない。実際には、ある一定の時期には低水準ながら経済成長もあり、デフレではない局面も存在していた。極端な話をすれば、そのころでもごく一部のホワイト企業では、スキルアップや賃金上昇が当たり前に行われていたのだろうが、世代全体としては知る由もなかった。
しかし、時は流れ、2035年。氷河期世代は50代後半から60代に入り、労働力人口から退き始めた。統計上の平均賃金は上がり、最低賃金は過去10年で倍近くになった。企業は人手不足に直面し、低賃金層の賃金を引き上げざるを得なかったのだ。インフレは静かに、しかし確実に進行していた。
だが、高齢者の年金は名目で据え置かれ、実質的には購買力が減っていた。介護施設の人件費は急増しても、入所者の支払い能力は追いつかない。制度上は利用できるはずの介護サービスも、順番待ちと高額化で手が届かない。
彼はかつて自分が働いた施設に電話をかけた。料金表を見た瞬間、受話器を置いた。「自分の時給より高い介護費用を、誰が払えるのだろう」
窓口の職員は淡々と告げた。「制度はあります。ただ、今は使えません」
誰も悪くない。ただ、人口構造の変化と最低賃金の急上昇、凍結された年金が、静かに、高齢者の生活を隔てていた。経済はインフレという波に揺れ、物価は上がった。だが、助かるべき人々の手元には届かない。
彼は窓の外の施設を眺めた。人々は生きているはずなのに、手を伸ばしても届かない。制度の向こう側で、生活は沈んでいった。




