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日本は素晴らしい、という声の正体

日本は素晴らしい国だ、と誰かが言う。

その声はいつも穏やかで、敵意がない。

だから否定しにくい。否定すると、こちらが過激者のように見える。


だが、ふと考える。

その言葉は、どこから来たのだろう。


高度経済成長。治安の良さ。中流という言葉。

学校で習い、テレビで見て、親から聞いた。

それらは確かに事実だった。

少なくとも、かつては。


だが気づけば、それは過去の話ではなく、

現在を正当化する呪文として使われるようになっていた。


「日本は素晴らしいのだから、多少の不便は仕方がない」

「他の国よりマシだろう」

「文句を言うほど困ってはいないはずだ」


比較の対象は、いつも下に置かれる。

内戦もない。銃も飛び交わない。

それは安心をくれるが、同時に未来を奪う。


本来あり得たかもしれない、

別の成長、別の選択肢、別の社会像とは、比べられない。


政治の話をすると、空気が変わる。

誰も怒鳴らない。

ただ、少し距離を取られる。


政治家が悪いのか、と聞かれれば、

陰謀だとは思わない、と答えるだろう。


彼らはただ、合理的なのだ。

集団で怒られるより、個人に納得してもらった方が楽だ。

だから制度は、少しずつ個別化されていく。


正社員と非正規。

若者と高齢者。

努力した人と、しなかった人。


分断は叫ばれない。

ただ、自然にそうなったように見える。


気づけば、「自己責任」という言葉は、

説明を省くための便利な道具になっていた。


怒りはある。

不満もある。


だが、それは言葉にならない。

誰かと共有される前に、

各自の胸の内で摩耗していく。


だから団結は起きない。

起きないから、従順に見える。


だが本当に従順なのだろうか。


従順な人間は、もっと誇らしげだ。

自信を持ち、「これが正しい」と言い切る。


今見えるのは、

不安と、自己否定と、沈黙だ。


それは服従ではない。

疲れ切った姿だ。


「日本は素晴らしい」という言葉は、

信仰であり、防衛反応でもある。


そうでなければ、

この静かな停滞を、

自分の人生の削れを、

どう受け止めればいいのかわからない。


もし、この国が実は立ち止まっていて、

問題を先送りし続けていて、

自分たちの世代がその代償を払っているのだとしたら。


残るのは、怒りか、絶望だ。


だから人は、無意識に言う。

日本は素晴らしい、と。


それは誇りというより、

耐えるための言葉なのかもしれない。


問いを立てることは、疲れる。

答えがないかもしれないから。


だが、問いを失った社会は、

静かに衰退する。


それさえも、すべて自己責任として片づけるのだとしたら、

私たちは、我慢し続ける人が静かに消えていく世界を、

ただ見ないふりをしているだけなのかもしれない。


そう思ったとき、

この問いを抱き続けること自体が、

小さな抵抗なのだと、ふと思った。

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