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安全確認済み

「安全です」


そう書かれた表示を、私は毎朝見る。

白地に青い文字で、角の取れたフォントだ。

その下に小さく「※想定外の使用はお控えください」とある。


想定外、という言葉がどこまでを含むのか、私は知らない。

知ろうとしたことはある。だが説明書は分厚く、肝心な部分ほど専門用語で書かれていた。

問い合わせ窓口はあったが、「詳細は開示できません」という言葉だけが、丁寧な声で返ってきた。


「安全ですから」


それが結論だった。


私はそれを信じる。

というより、それ以外の選択肢がない。


使わなければ生活が成り立たない仕組みになっている。

使う資格を得るために、私は同意書にチェックを入れた。

全文を読んだかと聞かれれば、読んでいない。

読んだとしても、理解できたかは分からない。


それでも私は署名した。

署名しなければ、先に進めなかったからだ。


事故は「ごくまれに」起きる。


それはニュースで知った。

統計グラフが映り、専門家が「宝くじに当たるより低い確率です」と言った。

スタジオは少し笑った。

安心した空気が流れた。


私もそのときは、安心した側だった。


自分がその「ごくまれ」になるまでは。


異常を示す音が鳴ったとき、私は正しい行動を取ったと思う。

マニュアルに書かれていた通り、触らず、待った。

勝手な判断はしなかった。

素人判断は危険だと、何度も言われていたからだ。


それでも、結果は変わらなかった。


私は床に倒れ、天井を見上げながら、

「これは想定内なのだろうか」

と考えていた。


考える時間は短かった。

でも不思議と、恐怖より先に疑問が浮かんだ。


――この安全は、誰のものなのだろう。


事故後の説明は、整然としていた。


「現在調査中です」

「想定外の事象が発生しました」

「今後の安全性向上に役立てます」


私の状態については、最低限しか語られなかった。

それは個人情報だからだと言われた。


代わりに、数値が示された。

発生頻度、再現条件、影響範囲。

どれも正確で、冷静で、間違ってはいないように見えた。


「今回のケースは非常に稀です」

「全体としての安全性は確保されています」


私はベッドの上で、それを聞いていた。

自分が「ケース」と呼ばれていることに、しばらくしてから気づいた。


回復したあと、同意書をもう一度読み返した。


そこには、確かに書いてあった。

「すべての危険を完全に排除することはできません」

「利用者は残存リスクを理解し、同意したものとみなされます」


理解、という言葉が引っかかった。


私は理解していただろうか。

理解できるように、説明されていただろうか。

それとも、理解したことにされていただけなのだろうか。


誰に聞いても、答えは同じだった。


「必要な情報は提供されています」

「自己責任です」


その言葉は、責めるようでもあり、慰めるようでもあった。


社会は、事故を無駄にしなかった。


私の件はデータになり、

新しい注意書きが追加され、

安全装置が一つ増えた。


「これで、より安全になります」


誰かが言った。


私はうなずいた。

反論する理由が見つからなかった。


でも、心のどこかで思っていた。


――この安全は、次の人のためのものだ。

――今使っている私のためではない。


確率は下がったらしい。

宝くじに当たるより、さらに低くなった。


それでも、その確率を引く人は、必ずいる。

そしてその人にとって、確率は意味を失う。


0.0001%でも、

当たった瞬間に、それは100%になる。


私はそれを、身をもって知った。


今日も表示は変わらない。


「安全です」


私はそれを見て、立ち止まる。

信じるしかないのか、それとも疑うべきなのか。

判断する材料は、相変わらず与えられていない。


ただ一つ分かっているのは、

この安全が失敗したとき、

失われるのは私だということ。


それでも社会は回り続ける。

安全は更新され、

安心という言葉は消費される。


私は今日も使う。

安全だと表示されたものを。


そして心の中で、問い続ける。


――自分の命の価値を、

――私はどこまで他人の判断に委ねていいのだろうか。


その問いに答えが出ないままでも、

システムは私に使用を許可している。


安全確認済み

そう表示されたまま。

事故が起きる確率が宝くじに当たるほど低いとしても、あるいはそれより高かったとしても、

当たってしまった当人にとって、その確率は常に100%になる。

そのことだけは、どんな説明や統計でも消すことができない。


だからこそ、何をして、何をしないかは使用者に委ねられていると考えたい。

マニュアルや説明書も、絶対のものではないと考えうる。


だが、その判断に必要な情報が与えられていないのだとしたら、

それは本当に「委ねられている」と言えるのだろうか。


安全や安心という言葉は、もしかすると、使用者のためというより、

設計者や提供者を守るために作られているのかもしれない。


最後に、何をして、何をしないかは使用者しか決められない。


そして


使用者にとっては、誰が判断、施工したものであれ、

どれほど安全や安心だと言われていたとしても、

それが起きてしまえば、

自分が受け入れるしかない事象になる。


技術を信じるかどうかという以前に、

それが正しいと仮定したとしても、

その結果として失われる自分の命の責任は、

自分が納得するか、不満を抱えたまま受け入れるかの、

どちらかでしか引き受けられない。


そして


誰がどう繕おうと、

それを引き受ける自分の命が有限である以上、

私にとっての結果は一度きりになる。


それを安全や安心という言葉で覆うこと自体が、

命に対する敬意を欠いた行為ではないのかと感じてしまう。

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