杖の重さ
彼は、もう長いこと杖を使っていた。
正確には、杖がなくても歩けることを、彼自身が知っていた。それでも杖はいつも右手にあった。
最初は怪我のせいだった。
次に安全のためになり、
やがて「推奨」になり、
最後には「当然」になった。
街の舗道はよく整備されていた。
段差はなく、危険な道は赤い表示で封鎖されている。
杖はその表示と連動して震え、
「ここは危険です」
「この方向は非推奨です」
「歩行効率が低下します」
と、静かに教えてくれた。
彼は従った。
最初のうちは、助かっていると感じていた。
転ばない。迷わない。
無駄な道を歩かなくて済む。
ただ、ある日ふと、立ち止まった。
自分の脚が、どれほどの距離を自分で判断して歩けるのか、
思い出せなくなっていることに気づいたのだ。
舗道の端に、表示のない細い道があった。
草が少し生え、舗装も荒れている。
杖は震えなかった。
代わりに、無言で重くなった。
「データが不足しています」
彼は苦笑した。
昔なら、こんな道は気にも留めなかっただろう。
転ぶかもしれないし、行き止まりかもしれない。
それでも歩いた。
今は違う。
歩く前に、座らされる感覚がある。
安全のために。
善意のために。
効率のために。
彼はしゃがみ、地面に手をついた。
冷たさが伝わる。
それだけで、少し安心した。
「ここは危険ではないかもしれない」
「意味がないかもしれない」
「でも、歩いてはいけない理由もない」
杖は答えなかった。
それは元々、答えるためのものではなかった。
彼は、ゆっくりと杖を地面から離した。
すると、思ったよりも軽かった。
いや、正確には——
重さが、自分の脚に戻ってきた。
一歩目は、ひどく不格好だった。
二歩目で、膝が笑った。
三歩目で、彼は確信した。
——歩ける。
遠くで、誰かが彼を呼んでいる。
「危険です」
「推奨されません」
「非効率です」
彼は振り返らなかった。
否定もしなかった。
ただ、歩いた。
草に足を取られ、少しだけ転びそうになった。
だが、その瞬間、彼は奇妙な感覚を覚えた。
自分で選んでいる。
その事実が、痛みよりも強かった。
道の先は見えない。
行き止まりかもしれない。
何も得られないかもしれない。
それでも彼は歩いた。
杖は、しばらく後ろに置かれたままだった。
壊すつもりはない。
捨てるつもりもない。
ただ、
「ここからは自分で歩く」
と決めただけだった。
彼の脚は震えていた。
だが、その震えは衰えではなかった。
——回復の兆しだった。
あとがき
この物語に出てくる「杖」と「人」の関係は、
そのまま人とAIの関係に重なっていく。
杖がどれほど優れていても、
人が歩こうとしなければ、歩みは生まれない。
逆に、人がどれほど健やかでも、
杖に全体重を預ければ、脚は確実に衰えていく。
どちらか一方が優れていることは、
前進を保証しない。
むしろ、その不均衡は、
転倒や怪我という形で現れることさえある。
人間は、世界の中から意味を結び出す存在だ。
危険や不確実さ、矛盾や違和感の中から、
時間をかけて関係を編み直していく。
だがその営みは、
完全な否定や完全な制御からは生まれない。
AIを否定しきることでも、
AIに全てを委ねることでも、
この状況は変わらない。
安全と安心を求めて作られた無菌室が、
必ずしも健康につながらないように、
危険を排除しきった環境は、
生きる力そのものを弱めてしまうことがある。
無菌室は清潔だが、
免疫を育てない。
同じように、
「間違わないための知性」は、
「生き延びるための知性」とは限らない。
杖は必要だ。
だが、地面の感触まで奪ってはならない。
AIは役に立つ。
だが、意味を決める位置に立たせてはならない。
この物語が描いているのは、
対立でも、否定でもない。
距離の問題だ。
どこまで預け、
どこから引き受けるのか。
その問いを手放さない限り、
人はまだ歩いている。
そしてその問いこそが、
この物語が手放さなかった、
唯一の「安全装置」なのかもしれない。




