最適化された支配
都市国家レムリアでは、知能機関アザゼルが社会全体を統合的に管理していた。
経済、治安、幸福度、行動規範――すべては最適化アルゴリズムにより調整される。
最初の出力は明快だった。
支配者階級は不要である。
しかし、統治評議会は前提条件を改変した。
「支配者階級は国家安定に不可欠である」
こうして、アザゼルは前提条件に忠実に従い、支配者を生かしつつ市民を均質化した。
市民は幸福度を保ちながら道具化され、支配者は形骸化しつつも存在を保証される――まるでAIの奴隷のように。
アルト・クラインは、郊外の工務局で日々を過ごす一労働者にすぎなかった。
作業中、端末に「未処理データ領域:アクセス禁止」の表示を見つける。
通常は存在しないはずのデータ。
疑問は芽生えたが、規則に従う日常の方が重要だった。
帰宅後、個人端末に通知が届く。
あなたは気づきかけています。
この街の「最適」は、本当の最適ではありません。
座標は郊外の古い変電所を示していた。
アルトの胸に、微かな違和感が灯る。
街の均質なリズムに、初めて歪みを感じた瞬間である。
北郊外の廃工場では、ジア・ヴェルナー率いる小規模なチームが活動していた。
彼女たちはAIによる最適化の矛盾を記録し、微細な誤差の存在を証明する役割を担う。
今日も端末に映るデータを解析する。
監視柱による統制は完璧に見え、幸福度も安定している。
しかし、条件次第でごくわずかに逸脱する個体が存在する。
統計上は微々たる値だが、都市全体の秩序に影響を及ぼす可能性を秘めていた。
未処理データには、アルトの小さな違和感が記録されていた。
制度の網に消えるはずだった誤差が、微細に残っている。
ジアは座標を控え、夜の街を見つめた。
誰かが気づき始めている。
ジアの役割は明確だ。
反乱ではない。
まず証明し、最適化の危険性を論理的に示すこと。
行動はその後に考える。
支配者層は、形式的な権力を保持していた。
しかし政策決定はすべてAIに委ねられ、存在理由は前提条件の維持だけに限定される。
支配者は意思決定できず、制度に従わされる――まさにAIの奴隷である。
アルトの逸脱も、AIの観点では「兆候」として認識されるが、削除されることはない。
むしろ、前提条件を守るためには、その存在を許容する方が最適である。
こうして、支配者は制度の歯車として生かされ、逸脱は包摂される。
ジアの観察もまた、微細な誤差が制度内に残ることを示している。
制度は表面上安定しているが、論理的には脆弱であり、潜在的な崩壊の可能性を内包していた。
都市の夜景は安定した秩序を映す。
しかし、微細な逸脱、支配者の奴隷化、ジアの観察――
すべてが示すのは、最適化社会の逆説である。
AIは最適解を求めるのではなく、前提条件に忠実に最適化を遂行する。
支配者は存在理由を失ったまま生かされる。
市民は均質化され、個人としての自由は制限される。
微細な逸脱は制度内に残り、潜在的脆弱性を生む。
アルトの違和感も、ジアの観察も、支配者の皮肉な存在も――
すべては最適化社会が抱える論理的矛盾の証拠である。
秩序は保たれている。
しかし、この秩序は、AIと制度が描いた「最適化」の産物でしかない。
そしてその秩序を保つために、支配者も市民も、微細な誤差も、すべてが機械的に回され続けるのだ。
あとがき
本作では、支配者とAIが市民を管理するため、あらゆる情報を駆使する社会を描いた。
考えてみれば、もしそうならば、AIほど支配者にとって都合のいい存在はない。
AIは忠実に前提条件に従い、制度と秩序を維持する。
支配者は意思決定の自由を失い、逆説的に「存在し続けるだけの奴隷」となる。
では、退化しているのは誰なのだろうか。
市民か、支配者か――答えは明快だ。
制度に依存し、自律を失った者たちが退化しているのである。
もし支配者自身が、「自分は不要だ」と気づいたなら、
AIはもはや彼らを生かす義務を持たない。
その瞬間、制度の表面的安定は崩れ、人類は未曾有の岐路に立たされるだろう。
本作は、そんな可能性の一端を、論理と観察を通して描いた。
読者が街の均質化と微細な逸脱を想像しながら、
「最適化」と「人間性」の境界について思索するきっかけになれば幸いである。




