皮膚の記憶
湯の表面に、ゆらりと自分の影が揺れていた。
あかすりのあと、指の腹で皮膚をなぞると、
小さな粒が浮かび上がる。
それは昨日の垢であり、昨日までの自分でもあった。
人はこうして少しずつ剥がれ、
新しい皮膚をまとって生きていく。
けれど、古い皮膚を洗い流すたび、
どこかで大切なものもいっしょに流している気がする。
日本人は長生きだという。
もしかしたら、毎日湯に浸かるこの習慣が、
命の時計をゆっくりと巻き戻しているのかもしれない。
湯は皮膚を柔らかくし、血を巡らせ、細胞を呼び覚ます。
けれど最近ふと、逆のことも思う。
柔らかくなった皮膚の隙間から、
見えない化学物質が、
静かに体の奥へと入り込んでいるのではないかと。
清めているつもりで、
少しずつ汚しているのではないかと。
湯の中で体が浮かぶと、皮膚が呼吸を始める。
泡のように小さな音が、表面をすべっていく。
その瞬間、思った。
食べ物が体を作るというのは、
もしかすると半分の真実にすぎない。
残りの半分は、
皮膚が吸い込み、飲み込み、記憶している。
水、空気、光、温度──
世界そのものが、皮膚を通して体の中へ入ってくる。
人は口でものを食べ、皮膚で世界を食べている。
そう考えると、
自分の体は、まるで外界の一部が沈殿した器のように思えた。
肩の古い傷跡に指を触れる。
そこだけ盛り上がり、固くなっている。
医者は言った、「皮膚が強くなった証拠です」と。
けれどどうしてだろう。
私にはそれが、ただの“皮膚の記憶”に思える。
過去の痛みが固着して、
もう要らないのに、まだそこに残っている。
皮膚が守ろうとしているのは、
本当は“傷”ではなく、“記憶”なのかもしれない。
湯から上がると、鏡の中の自分が少し違って見える。
しわもシミも消えないけれど、
それらが今日という一日の記録であることを知っている。
皮膚は黙って語る。
どんな言葉よりも、正直に。
私はタオルで体を拭きながら、
“今日の自分”を一枚脱いでいくような気がした。
そして明日、新しい皮膚の下で、
また同じように世界を食べ、記憶していくのだろう。
湯気が静かに消えていく。
その中で、自分の皮膚が呼吸を続けていた。
まるで、生きることそのものが、
一枚の皮膚の物語であるかのように。




