― 神より深い場所 ―
まえがき
日々の日記の覚書:「記憶の手前」がノンフィクションでこの小説がフィクションになります・・
実際にあった出来事をもとにしていますが、
いくつかは記憶の欠落を補うために、脚色しています。
夢の中で起きたと考えたほうが自然かもしれません。
けれど、私の中では確かに起きた“現実のような物語”です。
――フィクションよりの記憶として、ここに記します。
朝、目を覚ましたとき、胸の奥に鈍い痛みがあった。
寝違えたのかと思ったが、腕を上げると、わずかに擦り傷がある。
ジャケットの袖口には、乾いた泥がついていた。
思い出そうとすると、頭の奥で霧が立ちこめる。
昨日、何があったのか。
断片的な映像が浮かんでは消える。
交差点。白いヘルメット。誰かの声。
でも、それが現実だったのか、夢だったのかさえわからない。
家族が言った。
「昨日、事故にあったんだよ。バイクで転んで、でも自分で病院に行ってたんだ」
私は笑ってしまった。そんなはずはない、と。
しかし、机の上には病院の領収書があった。
脳外科の文字。支払済の印。
どうやら、私は自分でスマートフォンを使って脳外科を探し、
そのままスクーターを運転して受診したらしい。
医師の話も聞き、会計も済ませ、
その後、総合病院への搬送を自分で了承したという。
――だが、そのすべてを私は覚えていない。
記憶の空白。
その時間の私が何を考え、どんな表情でいたのか、想像もできない。
ただ、家族の話では、私は何度も何度も同じ言葉を繰り返していたそうだ。
「人を巻き込んでいませんか? 警察は来ていませんか?」
私はその言葉を聞いたとき、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
覚えていない時間の中で、
私は“誰かを傷つけていないか”だけを気にしていたというのだ。
意識も曖昧で、自分の状態さえわからなかったはずなのに。
不思議なことに、その間の行動は整然としていたらしい。
転倒したあと、職場に立ち寄り、違和感を覚えて病院を検索し、
脳外科へ行き、診察を受け、会計を済ませ、救急搬送を受け入れた。
一連の動きに矛盾はなく、
ただ、記憶だけが抜け落ちている。
まるで、誰かが私の中で私を操作していたようだった。
それを怖いとは思わなかった。
むしろ、どこか神秘的だった。
意識が途切れても、私の体は生きようとしていた。
しかも、人を思う方向に動いていた。
退院後、スクーターを見た。
右側のカウルが少し割れ、ミラーが歪んでいる。
ジャケットの胸の部分には擦り傷。
そこに入れていた上半身用のプロテクターが、少し凹んでいた。
それを見た瞬間、背筋が冷たくなった。
もしあれがなかったら、肋骨は確実に折れていた。
胸の痛みがまだ残っている。
「スクーターにプロテクターなんて大げさだ」と笑われたこともあった。
けれど、あの装備があったからこそ、私は裂傷と記憶の喪失だけで済んだ。
記憶は失っても、身体は安全を覚えていた。
装備という習慣が、私の命を守った。
そしてもう一つ。
倫理という習慣が、他人を守ろうとしていた。
私は思う。
意識も記憶も曖昧になっても、
それでも人を気づかう行動が残るのなら、
それは理性よりも深く、神の教えよりも根源的な力なのではないか。
記憶を失っても、他人を気づかう心が残っていたのなら、
それは神よりも深いところにある、人間の倫理そのものだと思う。
記憶の空白の中にいた“もう一人の私”は、
きっと、神でも理性でもない。
それは、長い時間をかけて形づくられた人間の習慣、
そして、生きることを選び続けた倫理の結晶だったのだ。
私は今もときどき、あの記憶のない時間を想像する。
あのとき、私の中で動いていた「無意識の私」は、
もしかしたら最も“人間らしい私”だったのかもしれない――。




