呼吸の檻
駅のホームで、すれ違う人の顔には、みな同じ白い布が貼りついていた。
笑っても、怒っても、ため息をついても、
そこには表情がない。
声の代わりに、機械のアナウンスが日々の安全を告げていた。
「マスクは礼儀、そして責任です」
アナウンスは淡々としていた。
人々は頷き、従い、静かに列をつくった。
ある夜、青年・葵は、ひとり街外れを歩いていた。
風が冷たい。
だが、その冷たさを顔で感じたのは久しぶりだった。
彼はマスクを外した。
頬に触れる空気が、刺すように痛い。
鼻の奥がつんとし、
思わず深く息を吸い込む。
――これが、呼吸だったのか。
長く忘れていた感覚だった。
その瞬間、ふと頭をよぎった。
祖母が昔話してくれた養鶏場のこと。
「鶏が病気にかかるとね、全部殺されるんだよ。
抗体を作る前に、ね。」
あのとき祖母は静かに言っていた。
“かわいそう”ではなく、“不思議ね”と。
葵はその言葉の意味が、いまになって分かる気がした。
守ることと、奪うことの境界は、いつも曖昧だ。
安全を求めるあまり、
人間はいつからか、自分の免疫を信じることをやめた。
マスクはもう布ではなかった。
それは社会の同意、秩序の象徴、
そして――思考の檻。
風が強く吹いた。
葵は目を閉じた。
その風は、かつて鶏舎で暴れた羽音のようにも聞こえた。
彼は心の中で、問いかけた。
「僕たちは、何から身を守っているんだろう。
病気から? 他人から? それとも――
自分という生き物の力から?」
風は答えなかった。
けれど、肺の奥で確かに何かが動いた。
それは、ほんのわずかな痛みと、
確かに「生きている」という感覚だった。
あとがき
マスクをつけることは悪ではない。
けれど、それを「正しさ」として思考を止めてしまうことには、
どこか静かな怖さがある。
呼吸とは、世界との対話だ。
それを忘れるとき、人は自分の命の声をも忘れていく。
この物語は、
“安全”と“生きる”のあいだで揺れる、
現代の小さな寓話である。




