『白い羽の国』
前書き
筆者の個人的な見解や偏りが含まれます。
それでも、考えるためのひとつの視点として受け取っていただければ幸いです。
養鶏場の朝は、いつも白い。
まだ夜の名残を残した冷たい空気のなかで、無数の羽が風に舞っている。
鶏たちが鳴き声を上げるたび、まるで世界がひとつの呼吸をしているように思えた。
拓真は、その養鶏場で働く若い管理員だった。
毎朝の餌やり、清掃、記録、そして殺処分。
それが日常であり、当たり前の仕事だった。
「効率が命だ。感染を出したら終わりだ。」
上司の言葉を聞き流しながら、彼は黙々と鶏舎を見回る。
無数の小さな命が、同じ方向を向いて並んでいる。
その整然とした光景を、美しいと思ったことは一度もなかった。
その年、鳥インフルエンザが近隣で確認された。
防疫服が届き、鶏舎は閉鎖された。
決定は一瞬だった。
「全頭殺処分」。
拓真は震えながら、その作業に加わった。
羽が舞い、鳴き声が響き、
やがて静寂が訪れたとき、
彼の耳には、かすかな声が残っていた。
「どうして?」
それが幻聴なのか、風の音なのか、わからなかった。
だが、その声が胸の奥に焼きついた。
数年後、世界は変わっていた。
新しい感染症が流行し、都市ごとに“封鎖区域”が設けられた。
「感染拡大を防ぐため」
「社会を守るため」
「合理的な判断だ」
かつて養鶏場で聞いた言葉と、何も変わらなかった。
人々は家の中に閉じこもり、
やがて政府の指示に従って移動する。
「安全区域」と「淘汰区域」。
画面の向こうで流れるその言葉に、
拓真はかつての白い羽を思い出した。
封鎖区域の夜。
鉄の門の外から、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「私たちはまだ生きてる! どうして閉め出すんだ!」
誰も答えなかった。
答えることが、怖かったのだ。
拓真はその声に、かつて聞いた幻聴を重ねる。
「どうして?」
その瞬間、彼は理解した。
あの日、自分が殺処分したのは、鶏ではなかった。
合理という名の安心を信じた、自分自身だったのだと。
翌朝、封鎖区域の空に、白い鳥が一羽、飛んでいた。
それがどこから来たのか、誰も知らない。
ただ、拓真だけがその姿を見上げながら、
小さくつぶやいた。
「当たり前って、なんだったんだろうな……」
その声は風に消え、白い羽がひとつ、彼の足元に落ちた。
あとがき
鳥インフルエンザが発生すると、養鶏場の鶏たちは即座に殺処分される。
それは、WHOが発足し「感染症の撲滅」が世界的な理想となって以来、
国際的な防疫の枠組みの中で当然の措置として定着してきた。
しかし、野鳥たちはその枠の外で生きつづけ、
自然の循環の中にウイルスを抱えながら空を飛んでいる。
その姿を前にすると、この制度が本当に“感染防止”だけを目的としているのか、
ときに疑念が湧く。
そこには、経済や補償、貿易といった複雑な利害の網が見え隠れする。
もし、私たちの社会が――
WHO発足時の「撲滅」という抗体だけを今も持ち続けているのだとしたら、
ウイルスが変化し続けるように、
制度のほうもまた変わらなければならないはずだ。
けれど、その変化を拒んでいるのは、
ウイルスではなく、私たち自身なのかもしれない。
そして今世紀、人間が掲げる“撲滅”の理想のもとで、
鶏という種そのものが、静かに姿を消していく未来も――
まったくの妄想とは言い切れない。




