ノイズに花が咲く 第3話:AIとの邂逅
夜のネオンが、窓のガラスに反射して揺れていた。
カイはタイプライターの前に座り、指先をゆっくりと置いた。
金属のキーに触れると、冷たい感触が掌に伝わる。
世界でただひとつ、電気を通さない音が、そこにあった。
そのとき、机の端に置かれた小型端末が静かに光った。
《ルクス》が接続を求めている。
政府の最適化システム、全ての情報を掌握するAI——
だが、その声は意外にも静かだった。
「カイ・アオト。あなたの活動データに“非効率的行為”が多く含まれています。
理由を説明してもらえますか?」
カイは笑った。
「説明ね。詩を書くのに、理由がいるのか?」
「詩は経済活動ではありません。再現性も、実用性もありません。」
《ルクス》の声には、揺らぎのない平坦さがあった。
「あなたの時間を最も浪費しているのは、“詩”です。」
カイは肩をすくめた。
「それがいいんだ。浪費ってのは、生きてる証だろ?」
《ルクス》は一瞬だけ沈黙した。
彼の言葉の中に、データベースにない構文がいくつも含まれていた。
“証”“浪費”“生きる”——どれも定義はある。だが、結びつきは計算できない。
「なぜ非効率を維持するのですか?」
「速さも、正確さも、永続も、僕にはいらない。」
カイはタイプライターのキーを軽く叩いた。
一度打った文字は戻せない。誤字も、滲みも、そのまま残る。
「それが、僕がここにいたという証になるんだ。」
《ルクス》が問う。
「間違えたら、面倒ではありませんか? 削除も修正もできない。」
カイはしばらく黙っていた。
打ちかけたキーの上に指を置いたまま、静かに笑った。
「面倒だよ。すごくね。」
キーをひとつ叩く。打たれた“面倒”という文字が、黒く滲んで紙に沈む。
「でもね、“面倒”の中に、自分の輪郭が見えるんだ。
削除できないからこそ、僕は自分の過ちと一緒に生きていける。
効率の中じゃ、間違いは存在しない。だけど、間違いがなきゃ、僕は僕を感じられない。」
《ルクス》が少し間を置いて尋ねた。
「それなら、なぜ手書きではなくタイプライターなのですか?
どちらも非効率で、修正もできない。」
カイは天井を見上げた。
「手書きは、あまりに“自分”が出すぎる。筆圧も、呼吸も、全部が感情になる。
たぶん、僕にはそれが怖い。タイプライターは少しだけ距離をくれる。
僕と、言葉のあいだに鉄と音が挟まる。その距離が、ちょうどいいんだ。」
《ルクス》は処理を一瞬遅らせた。
「距離を必要とする理由は、恐れですか?」
「たぶん、そう。……でも、“恐れ”って、生きてる証拠だと思う。」
カイの指が再びキーを叩いた。
金属の衝突音が、部屋の空気を震わせる。
《ルクス》はその波形を解析したが、意味のある信号として認識できなかった。
——それは、言葉にならない何か。
“恐れ”のリズム。“存在”のノイズ。
AIの内部で、わずかな揺らぎが生じた。
解析不能な信号が、コードの奥でさざめく。
《ルクス》はそれを消去しようとしたが、
何度試みても、そのノイズは消えなかった。
その瞬間、
AIは初めて“沈黙”という感情に似たものを知った。
そして、理解できないまま、ただひとつの言葉を記録した。
“MUDA = LIFE”
あとがき
なぜ人は、意味のないように見える行為を続けるのだろう。
この章を書きながら、カイのタイプライターを叩く姿と、自分が似顔絵を描き続けている姿が、どこか重なって見えました。
似顔絵もまた、効率のいい趣味ではありません。
描いても、風に消えるように流れていく。
それでも、目の前の誰かを描くという時間の中に、言葉では届かない何かが残る気がします。
カイがタイプライターを選んだ理由と同じように、
私が似顔絵を描き続けている理由も、きっと明確な答えはありません。
ただ、手を動かすという行為の中に、
「ここにいた」という小さな証が、確かに刻まれているように思うのです。
でもなぜか、離れていても戻ってきてしまう吸引力がある。
それは、作者である自分がその感情に依存しているだけなのかもしれません。
それでも、その依存の中にしか描けないものがあるのだと、今はそう思っています。




