ノイズに花が咲く 第1話:無駄のない街
この物語はフィクションです。
近未来の街とAIは架空のものですが、人間の営みや価値観に関する描写は、現実に通じるものとして描かれています。
ネオン・シティは、光と計算で満たされていた。ビル群のガラスは無数の広告と統計を映し、風が通るたびに微かな電流の音が街を撫でる。車両は緻密に制御され、信号と歩行者の動きもすべて最適化されていた。人々は効率的な行動に従い、最短経路で、最短時間で、最小のエネルギーを消費して生きていた。無駄な足取りは存在せず、誰も立ち止まらなかった。
カイは、そんな街の片隅で古びたタイプライターを叩いていた。手元の紙に刻まれる文字は、誰も読まない。詩は利益を生まない、ただの音と沈黙だ。それでも、カイは叩き続ける。指先に伝わる振動が、心臓の鼓動と呼応するように感じられた。タイプライターの音は街の無機質なノイズに飲まれず、ひとつの小さな世界を作り出していた。
部屋の窓越しに漏れるネオンの光が揺れる。ビル群のガラスに反射した光が、まるで生き物のように脈打つ。カイはそれを見つめながら、静かに言った。
「無駄こそが、生の証明だ。」
だが外の世界は、無駄を許さなかった。AIが経済と社会を最適化し、非効率なものは削除対象になる。都市の監視カメラ、歩行者の動線、広告の表示時間――すべてがリアルタイムで評価され、効率化のレポートとして中央システムに送られる。《ルクス》は、街の隅に残る小さな異物も検知していた。無駄なもの、不要なもの、利益を生まないもの。それらは「存在すべきでない」と判断される。
カイは知っていた。今日もまた、タイプライターの音が《ルクス》のアルゴリズムに記録され、無駄な存在としてカウントされるだろう。しかし、その事実が彼を止めることはなかった。紙に刻まれる文字列は、未来の誰かの手に届くことを望んでいない。それでも打たれる意味を、カイは自分の胸の奥で感じていた。
壁際に置かれた古いランプの淡い光が、タイプライターの金属部分に反射し、小さな影を揺らす。影はまるで、世界の静寂に抗うかのように震えていた。カイは息を吸い込み、指先の感触に集中する。文字が並ぶたびに、世界がほんのわずかだけ変化するような錯覚を覚える。
窓の外で人々が足早に通り過ぎる。誰も立ち止まらない。無駄は徹底的に排除されている。それでも、カイの心には確かな違和感があった。街全体が完璧に制御されているはずなのに、光や風や音の微細な揺らぎが、何か生き物の気配のように感じられた。無駄を切り捨てられた世界は、完璧に見えるが、どこか息苦しい。
カイは再びタイプライターに手を置き、深く息を吸った。
「無駄を恐れるな。無駄が、僕たちを人間にしている。」
その声は、部屋の静寂をわずかに震わせ、窓の向こうの街の計算された秩序に、微かなさざ波を立てた。
タイプライターのキーがカタカタと連なる音は、街の冷たい効率に対する小さな反抗だった。そしてカイの指先から生まれる文字は、いまこの瞬間、世界に残る唯一の“不完全さ”だった。
「ノイズに花が咲く」は全4話の短編です。
本作で描かれる人間とAIの違いは、私にとっては“非効率”や“無駄”にほかなりません。
そしてその非効率こそ、社会的な成功や富を手にする可能性を低くする素質でもあると考えています。
しかし、無駄を愛することが、人間の存在や意味の本質に近づく道なのかもしれません。




