失敗率97.3%
まえがき
本作品はフィクションです。
登場する人物、組織、AI、社会制度はすべて創作であり、特定の技術や思想を肯定または否定することを目的としたものではありません。
この物語は、「合理性だけで人生を選択したとき、人間は何を失うのか」という問いをテーマにした、一つの思考実験です。
朝、目を覚ますと、AIが今日の予定を告げる。
「おはようございます。本日の最適な起床時刻との差は十二秒です。睡眠効率は九八・七%でした。」
青年・蒼は、小さく頷いた。
この世界では、生まれた瞬間から一人ひとりにAIが与えられる。
進学。
就職。
結婚。
住む場所。
投資。
健康。
人生のあらゆる選択について、AIは成功確率を計算し、「最適解」を示してくれる。
人々は、それを疑わなかった。
なぜなら、AIはほとんど間違えないからだ。
蒼には夢があった。
絵を描くことだった。
幼い頃、母はよく言っていた。
「好きなことを続けなさい。」
しかし、高校三年生になったある日、AIは静かに告げた。
「画家として生計を立てられる確率は二・七%です。」
画面には数字が並ぶ。
収入予測。
市場規模。
競争率。
寿命。
幸福度。
最後に結論が表示された。
推奨職業:インフラ管理技術者
成功率九四・八%。
平均幸福指数八三点。
蒼は画面を閉じた。
その日以来、筆を握ることはなくなった。
会社では誰も失敗しない。
会議は十分で終わる。
納期は守られる。
事故も起きない。
経済は成長し続ける。
ニュースでは毎日のように言う。
「今年も失業率は過去最低を更新しました。」
「自殺率は過去最低です。」
「犯罪件数も減少しています。」
誰も、この社会を悪いとは思わなかった。
ある休日。
蒼は古い美術館を訪れた。
来館者はほとんどいない。
一枚の絵の前で、老人が立っていた。
「好きなのですか?」
蒼が尋ねる。
老人は笑う。
「いや、下手なんだ。」
「下手?」
「この画家は、生きている間、一枚も売れなかった。」
蒼は驚く。
「それなら失敗ですね。」
老人は首を振った。
「百年後に評価された。」
「……。」
「AIは、それを予測できたと思うか?」
蒼は答えられなかった。
帰宅すると、蒼はAIに尋ねた。
「未来の芸術は予測できる?」
AIは答える。
「既存データから高い精度で予測可能です。」
「存在しない価値は?」
数秒、沈黙が流れた。
「質問の意味を定義できません。」
「誰も描いたことのない絵は?」
「評価対象が存在しないため、成功確率を算出できません。」
蒼は胸がざわついた。
数日後。
彼は押し入れから、昔の絵筆を取り出した。
AIが警告する。
「この行動は推奨されません。」
「収入減少率三四%。」
「幸福指数低下率一二%。」
「社会的成功確率が低下します。」
蒼は笑った。
「全部知ってる。」
白いキャンバスを前にする。
何を描けばいいのか分からない。
成功する保証もない。
評価される保証もない。
失敗する確率の方がずっと高い。
それでも筆を動かした。
一本目の線は曲がっていた。
二本目はもっとひどかった。
AIは沈黙していた。
計算できないからだ。
その日、世界は何も変わらなかった。
経済も。
社会も。
ニュースも。
何も。
変わったのは、一人の人間だけだった。
合理性は、今日という一日を最適に生きる方法を教えてくれる。
しかし、人類の歴史は、最適解を選び続けた人々だけで築かれたわけではない。
失敗すると分かっていても挑戦した人。
笑われても信じ続けた人。
「非合理だ」と言われる一歩を踏み出した人。
その積み重ねが、未来を現在へと変えてきた。
だから人間は、ときに合理性に逆らう。
それは愚かさではない。
未来は、まだ計算の中には存在しないからである。
あとがき
挑戦の結果は、誰にも予測できません。
それは、挑戦した本人だけでなく、その行動が何年後、何十年後に、どのような形で他者や社会へ影響を与えるのかも、事前には誰にも分からないからです。
合理性だけを基準にすれば、成功確率の低い夢を諦めるという判断は、決して間違いとは言えないでしょう。限られた時間や資源を考えれば、それは合理的な選択です。
しかし、その合理性だけを社会全体が共有するようになれば、人は次第に「失敗するかもしれない夢」を見ることさえ避けるようになるかもしれません。
人類の歴史は、成功が保証された挑戦だけで築かれてきたわけではありません。多くの発見や芸術、技術、文化は、当時は非合理と思われた一歩から生まれています。その価値は、挑戦した本人にも、周囲にも、すぐには分からなかったはずです。
私たちは日々、未来が分からないまま生きています。明日が必ず訪れる保証もありません。それでも勉強をし、誰かを愛し、子どもを育て、作品をつくり、夢を抱きます。それらは、合理性だけでは説明しきれない人間らしい営みです。
だから私は、合理性を否定したいのではありません。
合理性は、人間にとって大切な力です。しかし、それだけでは未来を創ることはできません。
未来とは、まだ誰にも計算できない可能性の積み重ねです。
だからこそ、ときに非合理に見える挑戦にも、人間社会にとって大きな意味があるのではないかと私は考えています。




