神のような人々
前書き
神という存在は、支配者層にとって都合のよい道具であったのかもしれない。
キリストが現れなければ、十字軍も宗教戦争も起こらず、数多の血が流れることもなかったのではないか。
そう考えると、「神がいる」と信じること自体が、人類にとって不幸を招いたのではないか――そんな思 いが、私の胸を離れなかった。
本編
人は死に瀕したとき、神に祈る。
だが、もし神がいるなら、なぜ虫一匹をも救わぬのか。
人間が「無価値」と切り捨てる命に手を差し伸べない神など、不自然ではないか。
人間が思う以上に、虫にも、草木にも、知性が宿っていて、次の人間の代わりになるかもしれない・・
そう考えると、人間本位の「神」の観念はあまりにも傲慢に思えた。
「神は存在しない」――それが、直樹の長い持論だった。
けれど彼は気づき始めていた。
助けを求める声に応じる人、絶望する他人の肩を抱く人、倒れた者を支える人。
そうした人々の行為こそ、人の中に生まれる「神」に違いないのではないか、と。
ある晩、直樹は偶然見かけた。
夜のコンビニの前で泣きじゃくる子どもを、母親がそっと抱きしめる姿を。
その抱擁には怒りも虚飾もなく、無償に近い愛情の表れだった。
その瞬間、直樹の胸に浮かんだ。
「虐げることなく、ただ守ろうとする親――それは、神のような存在ではないだろうか。」
神が天にいなくてもいい。
人の中に宿る、誰かを救おうとする善意。
それがある限り、この世界は完全に見捨てられてはいない。
直樹は初めて
「神はいるかもしれない」
と小さくつぶやいた。
あとがき
もし神が存在するとすれば、それは宗教の形をとった偶像ではなく、人と人の間にある倫理の中に宿っているのかもしれない。
困った人を助ける意志、苦しむ人に手を差し伸べる行為、それ自体が「神のかけら」だと考えれば、私たちはすでに幾度となく神と出会ってきたのではなだろうか・・・




