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逃げる決断・・、 声掛けの重要性

工場の朝は、音から始まる。


規則的な機械音。金属が擦れる音。遠くで誰かが何かを落とした乾いた響き。

それらが混ざり合って、まるで最初から決められていたかのように、一日の輪郭を形作る。


彼は、その音の中に立っていた。

最初の頃は、何をしていいか分からなかった。

教えられることは少なく、言われるのはただ一つ。


「見て覚えろ」


それが正解であるかのように、誰も疑わなかった。

確かに、それで育った人たちがいるのも知っている。

背中を見て、真似をして、失敗して、怒鳴られて、それでも残った者だけが技術を手にする。

そういう世界があったことは、理解できる。


けれど、今は違う。


失敗は許されない。

一度のミスでラインが止まり、責任が問われ、評価が下がる。

誰もが余裕を失い、誰もが急いでいる。


それでも言葉は変わらない。

「見て覚えろ」

彼は思う。


——それは、失敗できる前提があって初めて成立するんじゃないのか。


機械の前で、先輩が作業をしている。

手際はいい。無駄がない。

だが、何を見ればいいのか分からない。

どこが重要で、どこが危険で、何を避けるべきなのか。

その境界線が、言葉として渡されない。

ただ流れていく。

ある日、彼は小さなミスをした。

大事には至らなかったが、空気が変わった。


「ちゃんと見てたのか?」


その一言で終わる。

——見ていた。だが、理解はしていなかった。

彼はその時、はっきりとした違和感を覚えた。

ここでは、守る手段が存在しない。

本来あるべきもの——

声を掛けること。確認すること。共有すること。

それらが、まるで無駄であるかのように削ぎ落とされている。


効率。コスパ。時間。


その言葉たちが、静かに人の間に入り込み、

「関わらないほうがいい」という空気を作り出していた。

誰も声を出さない。

誰も止めない。

誰も確かめない。

ただ動く。

まるで、考えることを放棄したかのように。

彼はふと思う。


——これは、働いているのではなく、ただ動いているだけなんじゃないか。


その瞬間、頭に浮かんだ言葉があった。


ゾンビ。


意思も、判断も、共有もない。

ただ与えられた動きを繰り返すだけの存在。

背筋が冷たくなる。

このままここにいれば、自分もそうなるのではないか。

いや、もうなりかけているのではないか。

声を出さないことに慣れ、

疑問を飲み込み、

自分を守る手段を手放していく。

それは緩やかな変化で、だからこそ気づきにくい。

それは手順として決まった、形骸化した会社のルールしか守れないのでは・・・?

その現実は、確実に何かが削られていく。

彼はその日、帰り道で立ち止まった。

機械音の残響が、まだ耳に残っている。


——ここには、育てる前提がない。


それなのに、できることだけを要求される。

それは教育ではなく、選別だ。

そして、自分は選ばれる側ではなく、削られる側にいる。

彼はゆっくりと息を吐いた。


「……離れるしかないか」


その言葉は、逃げではなかった。

自分を守るための、最初の判断だった。

静かな夜の中で、彼は初めて、

自分の声をはっきりと聞いた気がした。



あとがき


この物語に出てくる「声を出せない若者」は、特別な存在ではない。

すでに多くの現場に、似たような状態の人間はいるはずだ。

本来であれば、そうした人間に対しては、

声掛けの意味、確認の重要性、危険の共有の仕方を、

時間をかけて教える必要がある。

だが現実には、その「教える余裕」そのものが失われている。


もし、声掛けができない若者が工場に存在し、

なおかつそれを教育できない環境が続くとすれば、

そこで誰かが犠牲になることは、決して不思議ではない。


それは特定の誰かの責任ではなく、

仕組みとして危険が放置されている状態だからだ。


本来、声掛けは命令されてやるものではない。

マニュアルに書かれているからやるものでもない。


「危ない」と感じたその瞬間に、

自分や他人を守るために自然と出るべき行為である。


そしてその感覚は、経験や教育、

そして他者との関わりの中でしか育たない。


もしそれが育たないまま現場に立たされるなら、

その人は守られていないのと同じである。


効率は重要だ。

だが、安全より優先される効率は存在しない。


声を掛けることは、一見すると手間であり、

非効率に見えるかもしれない。


しかしそれは、事故を未然に防ぐための「時間」であり、

取り返しのつかない損失を避けるための行為である。


その意味で、声掛けは最も現実的で、

最も本質的な「効率」なのかもしれない。



追記

最後に、あえて厳しい言い方をする。


危機感を伴わない示唆呼称は、ほとんど意味を持たない。

それは安全のための行為ではなく、形だけの儀式に近い。


ただ決められているからやる。

周囲に「やっている」と見せるためにやる。

その状態に陥った瞬間、それは機能を失う。


本来、声掛けや確認は、

「危ないかもしれない」という感覚から生まれるものだ。

その感覚が抜け落ちたまま行われる行為は、

注意喚起ではなく、ただの音になる。


そしてそれは時に、

「やっているから大丈夫だろう」という錯覚を生み、

かえって危険を見えにくくする。


親が子供に声を掛けるでも感じる・・・


声が出ているだけでは、安全は成立しない。

そして、自分の思いを伝えるだけでも、会話は成立しない


もし、呼びかけに対して誰も返事をしないのであれば、

その時点で確認は成立していない。

そしてそれは、すでに安全や日常が守られていない状態を意味する。


声掛けとは、本来「伝える行為」ではなく、

「相互に確認する行為」である。


片側だけの発信は、確認ではない。

返答があって初めて、状況の共有が成立する。


それにもかかわらず、

声だけが流れ、返事が返ってこない状態が常態化しているとすれば、

それは形だけが残り、本質が失われている証拠である。


確認の声掛けは、相手の存在と状態を確かめ、

自分の行動が安全に行えるかを判断するためにある。


つまり、返答のない声掛けは、

確認を放棄したのと同じである。


その沈黙の中には、

見えていない危険が潜んでいる可能性がある。


安全とは、声があることではなく、

応答があり、理解が共有されている状態の中にしか存在しない。



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